詩人別でわかる 漢詩の読み方・楽しみ方 時代や作風で深める読解のコツ 35  鷲野正明/監修 | 青子の本棚

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「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

 

 

 

 

作るのはムリでも、読めたらいいなと図書館で借りました。

「漢詩の基礎」と「各時代の代表的な詩人の生涯とその詩の味わい方」の二部構成になっています。

 

 

第1部では、基本的なルールが、ざっくりと紹介されていて、これが分かりやすく、大変お勉強になりました。

 

私の乏しい知識でも、漢詩が出てくると、だいたい杜甫か李白、そこに酒が絡んでいれば李白(たまに、杜甫だったりするけど汗うさぎ)と言っておけば、ほぼ正解でした。

なので、日本人って杜甫と李白が好きなのねと単純に思っていたのですが、実は、科挙の試験に作詩が課せられたことにより、漢詩は唐の時代(初唐・盛唐・中唐・晩唐)に全盛期を迎え、「詩は必ず盛唐」と呼ばれるようになり、当時の李白・杜甫の詩が模範とされたのだそうです。

なるほど、ちゃんと理由があったのね。

 

 

漢詩は、大きく分けて「古体詩」と「近体詩」に分かれます。

古体詩は、押韻以外、平仄や字数や句数は不定です。

しかし、近体詩は、字数や句数の違いにより、「絶句」、「律詩」、「排律」に分けられます。

五言絶句とか七言律詩というやつですね。

絶句……四句

律詩……八句

排律……十句以上

 

 

そして、「押韻」と「平仄」。

 

「押韻」は、英詩やラップでもお馴染みですが、漢字は日本語とは微妙に発音の違いがあるため、なんでこの字が韻を踏んでるの?と思われます。

かと言って中国語で読まれても、わからんし。

まぁ、そこはスルーやな。

とりあえず、知識として知っとけばいいか。

 

でも、中国国内でも地方によって微妙に発音が違うだろうし、そこはどうなってるんでしょうね。

まぁ、詩なんか作るのは、恵まれた家庭の出身者だけだろうし、地方の秀才たちは、科挙の試験のため必死に勉強するのでしょう。

 

ちなみに、五言絶句では二句と四句、七言絶句では、一句と二句と四句で押韻します。

 

 

そして、もっとワカランのが、「平仄」です。

実は、これが知りたかったのですが、これもまたもやもや……。

 

漢字には、母音の個所が右上矢印上がったり右下矢印下がったりする四つの「声調(せいちょう)」があります。

うんうん、ここは、中学の先生(担任が、中国語のできる日本人の国語の先生だった)に習いました。

 

「声調」は、①平声(ひょしょう)右矢印②上声(じょうしょう)右上矢印③去声(きょしょう)右下矢印④入声(にっしょう)(つまる調子)の四つに分類されます。

これを「四声(しせい)」と言います。

そして、①を「平」、②③④を「仄」とに分けて、リズムを作っているのです。

 

五言絶句では、二字目と四字目の「平」と「仄」は必ず逆にする「二四不同」し、七言絶句では、加えて二字目と六字目は同じにする「二六対」で作詩することになっているそうです。

なるほど、それで、あの独特のリズムができるのね。

うーん、でもこれは、中国語ができへんと無理やん。。。ネガティブ

 

その上、律詩では、「押韻」「平仄」に「対句」が加わった規則を守って、詩を作らなくてはならないのです。

 

とりあえず、ざっくり理解したものの、ややこしい。汗うさぎ

 

 

 

第二部では、各時代の代表的な詩とその作者(陶淵明から魯迅まで)の生涯が紹介されています。

こちらも、ざっくりね。

 

「白文」、「書き下し文」、「大意」、「観賞のポイント」や、その時代や人物についてのコラム記事が簡潔にまとめられています。

気になったところを、以下にピックアップしておきます。

 

 

 勉励

「雑詩」五言古詩  陶潜(=陶淵明)

 

及時當勉勵  時に及んで当に勉励すべし

歳月不待人  歳月は人を待たず

 

超有名な最後の二句ですが、言葉の意味として「勉励」:行楽に勉め励むことと書かれていて、えっ?ポーン

思わず、ググって虫めがねしまいました。

そしたら、なぁんと、そのようで。。。

勉強しなさい!ではなかったんだと。ドクロガーン

 

どうやらおバカは私だけではなかったようで、次ページでも、「観賞のポイント」として、勉学に励むという意味ではなく、若いときは二度と来ないのだから楽しめる時には大いに楽しめ!ということだとダメ押しされていました。

 

 

 隠者

「尋胡隠君」五言絶句  高啓

 

渡水復渡水  水を渡り復た水を渡り

看花還看花  花を看還た花を看る

春風江上路  春風江上の路

不覺到君家  覚えず君が家に到る

※胡隠君……胡という姓の隠者。「隠君」は隠者の敬称。

 

 

うららかな春の日のふわふわした情景が浮かんで、これ、一番好きなんだけど。。。

 

世俗から離れて、自給自足しながら悠々自適に生活する世捨て人のことを「隠者」と言います。

しかし、時の政治への暗黙の批判者として、その存在が認められており、為政者は隠者を尊重することにより、その度量の広さを示したのだそうです。

 

そこで、出世が望めなかった人が、第二のチャンスとして隠者となって名声を得たり、最初から隠者になって出世しようと目論む者もいたそうな。

そこまでするとは、あざといなぁ。

 

いえ、高啓が訪ねた胡隠君が、そういう人だったというわけじゃないんだけどね。

そういう計算高い隠者もいたんやとおもうと、なんとなく「隠者」に高潔なイメージをいだいていただけに、ちょっとがっくりしました。ガックリ

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

望族

意味は、「名家」。

具体的には、六朝・隋・唐の時代の名族。

「望」は人々から羨望のまなざしで見られるという意味で、個人やその家固有の価値を表す言葉なのだそうです。

類語として、「門望」……声望のある家柄。

 

また、一般的には、高級官僚を輩出した門閥貴族のことを言うのですが、勉学に励むとともに徳行を積んで地域社会をまとめ、その人々の指導に努めた人やその家柄を言うときにも使われたようです。

 

◆推敲

賈島(かとう)が、ロバに乗って街をいくときできた詩句「僧推月下門」に、「推」と「敲」のどちらを使うか迷っていた時、韓愈の行列にぶつかります。

非礼を詫びながら、そのことを伝えると、韓愈は「敲」の字を推したという故事から、この言葉ができたそうです。

 

◆幷洲之情(へいしゅうのじょう)

第二の故郷とも言える場所を懐かしむことの意。

同じく故事成語で、賈島の「度桑乾(桑乾を度る)」の七言絶句からできたのだそうです。

故郷の長安へ帰りたいと思っていたのに、更に桑乾河を渡って別の任地に向かうことになり、幷洲を故郷のように懐かしく思ったという故事。