![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
そんなんできたら最高やん。
まぁ、そんな便利な言い回しが一朝一夕で身につくはずもなく……。
タイトルに惹かれ図書館で借りたけど、これは、ちょっと失敗したかな。
残念なことに人間の脳は、互恵性を築く前に、相手より優位に立とうとするようにできているそうです。
確かに、どーでもよいようなちょっとしたことにもマウント取ろうとする人いますもんね。
それを京都弁の”イケズ”な言葉を使って、やり過ごそうというのが、この本の趣旨です。
私は生まれてからずっと神戸(厳密にいうと、京都市と神戸市発行の母子手帳があるので、赤ん坊の時何か月かは京都にいたみたい)ですが、「いけず」という言葉は、神戸でもフツーに使われていたように思います。
同義語で「根性ババ」とも言ってましたが。
例えば、こんなふうに。
下線部分は神戸弁です。
前にクッション言葉のように相手を持ち上げといて、しっかり否定。
京都弁では、この否定さえも使わず褒めているように見せかけて否定するところに、技ありなんでしょうね。
例えば、ピアノの音がうるさくて苦情を言いたいとき
お嬢さん、ピアノが上手どすなぁ
仕事ができない(遅い)くせに、えらそうにふるまってくる人に、「丁寧な仕事してはりますなあ」と言うのはイヤミやと判っても、これは判れへんわ。
私なら、「ありがとう」と言ってしまいそう。
相手を論破すると快感があります。
しかし、そのために敵をつくってしまうと、後々面倒なことになりかねません。
なので、本当は、相手を傷つけず、自分の感情を抑え、沈黙や妥協を戦略的に使うことで、互恵性を維持できればベストなのですが、誰もがそんな能力に恵まれているわけではありません。
ストレスたまっちゃう。
しかし、京都は長く都として続いてきた土地であるので、後に情勢が変化したときをも見据え自身の安全のため、むやみに敵を作らない、相手をとことん追い詰めないことを念頭に、ダイレクトに論破することを避けてきた歴史があるのだといいます。
孫子の兵法でも、囲師必闕ともいいますしね。
反対に、人間関係が短期的にしか続かない、またはコミュニティをつくる必要がなく自分一人で生活が成立するのであれば、恨みを買ったとしてもリスクが低いため、論破のスキルを磨いて、ストレス解消するほうがコスパがよいとしています。
でも、そんな場所ってなかなかないし、一人で完結する強い人なんて、いないのでは?
あほやから、ようわからへんけど。
ちなみには、≪レッスン③自分を下げる「枕詞」を入れて、断る」≫を使ってみました。
どうでしょう?
エレガントな毒、感じました?