「大塚国際美術館・地下二階 ルネサンス・バロック」のエリアを

   拝見しております(地下二階モデルコースの所要時間20分とか、

   地下三階は25分との事でしたが、如何でしょうか? 足りない   

   んじゃないかな・・・・・)

   

   「聖体の論議」

   1509年 ラファエッロ

   ヴァティカン ヴァティカン宮殿・署名の間

   このフレスコ画は「ユリウス2世」が政務をとる「署名の間」に

   描かれています。 教会の中心問題である「カトリック協議」を

   一つ壮大な構図に纏めたもので、画面は上下三層に区分され、最

   上層中央には「神」が居ます。 第二層の中心は「キリスト」が、

   その左右に「聖母」と「ヨハネ」。 第三層は「地上界」で祭壇

   に置かれた「聖体」が中心です。 ここには「大教皇や 神学者」

   らの他、「ユリウス2世・シクストウス4世、ブラマンテ、フラ

   ・アンジェリコ」らも描かれています。

 

 

   「アテネの学童」

   1509~1510年 ラファエッロ

   ヴァティカン ヴァティカン宮殿・署名の間 

   「聖体の論議」が「カトリック教会」の教義や歴史、階層制度を

   表わすために、光と雲から成る神聖な「内陣形式」で構成された

   のと対照的に、「哲学」を表わすこの壁画は、人間の英知と理性

   的な成果を示すように、「古代ローマ風」の壮大な「大聖堂」と

   彫像で構築されています。 中景、アーチの下に立つ中心人物は

   左が「プラトン」、右が「アリストテラス」です。 前者が天を

   指しているのは彼が精神世界を研究したからで、後者が地を指し

   ているのは彼の科学を意味しているからです。

 

 

   「小椅子の聖母」

   1514~1515年 ラファエッロ

   イタリア・フィレンツェ ピッティ美術館

   「円型画」は祭壇用の縦長形式と違い、親しみのある個人用の信心

   画です。 しかし、ここでの人物構成は 伝統的ではありません。

   空間描写は見られず、画面一杯に「イエス」の 大きな体が描かれ、

   「マリア」は身を屈めてようやく円形に収まっています。「聖母」

   はターバンにショールと云う世俗的衣裳で、伝統的な「赤と緑の

   マント」は着ていません。 円光が無ければ 世俗の母子像に見え

   るであろう。 かなり 大胆な構図には、「ラファエッロ」晩年の

   傾向が現れているようです。

 

 

   「壮厳の聖母(ルチェッライの聖母)」

   1285年 ドゥッチョ

   イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館

   主題は「チマプーエ(フィレンツェ出身のイタリアの画家であり、

   モザイクデザイナーで、イタロビザンチン様式から脱却した最初

   の偉大なイタリア人画家の一人とか)」と同じだが「ドゥッチョ」

   の作品では「マリア」も「イエス」も「天使」も自然で のびのび

   している。 しかし「天使」は背景の金地に浮かんでいるようで、

   王座の遠近法もぎこちない。 個々の事物は写実的で優美で 洗練

   された趣味と 高度の技術を見せるが、空間の感覚も身体の物質性

   もない、これこそ 中世からルネッサンスに至る時期の絵画の典型

   的特徴である。 天蓋や「聖母」の衣服の優美さは「シエナ(現地

   音では スィエーナ、中世に金融業で栄えた有力な都市国家であり

   13~14世紀にかけて最盛期を迎え、トスカーナ地方の覇権をフィ

   レンツェと競い、その経済力を背景に ルネサンス期には芸術の中

   心地の一つであったとか)」の高い文化と 洗練された美意識を表

   している・・・絵に添えられた 解説文なのですが、少々解り難い

   文章です。

 

 

   「春(ラ・プリマヴェーラ)」

   1478~1482年頃 サンドロ・ボッティチェッリ

   イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館

   絵の舞台は、世界の西に在る 永遠の春の園「へスぺリデス」で、

   右に青春の生殖力を象徴する「西風・ゼフュロス」が居ます。

   「西風」は「ニンフ」を我が物にしたが、「ニンフ」が嘆くので 

   その代償に彼女を春の女神「フローラ」に変身させた。 つまり

   この右手の三人は愛と性・死と再生・永遠の寓意である。 一方

   左で踊るのは古代の「三優美神」で、右から美・貞節・愛欲の擬

   人像である。 中央には「聖母」のように 気高い「ヴィーナス」

   が居る。 ここは愛と豊饒の季節、春とヴィーナスの国である。

 

 

   「ヴィーナスの誕生」

   1485年頃 サンドロ・ボッティチェッリ

   イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館

   形と寸法が、ほぼ「春」と」等しい事から、この二点は対として

   描かれたとされる。 それは「新プラトン主義者フィチーノ」の

   思想「二人のヴィーナス」を表わす為で、「ヴィーナス」は二人

   いて「地上のヴィーナス」は大地と人間の豊饒を司り、「天上の

   ヴィーナス」は精神的愛を司ったとされます。 この絵は天の愛

   が生まれた瞬間を描いたものである。 「ヴィーナス」の全裸は

   古代ローマ以後初めて絵画に現れたもので、あらゆる意味でこれ

   は「古代ヴィーナス」の復活であった。

 

 

   「聖母被昇天」

   1516~1518年 ティツィアーノ

   イタリア・ヴェネツィア 

   サンタ・マリーナ・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂

   フランシスコ会による「聖母」の絶対的純潔の教義が教会に浸透

   した15世紀末から、「聖母昇天」のダイナミックな図像が聖母

   栄光化の主題となり、16世紀の対抗宗教改革ではカトリックの

   聖母擁護図像となった。 中でも、この画家のダイナミックな上  

   昇と法悦の表現は、その決定的モデルとなった。 「聖母」は両   

   手を拡げて迎える「父なる神」を見上げ、神は黄金の光の中を飛

   翔している。 「聖母」の栄光が極めて演劇的で感覚的な説得力

   をもって謳い上げられている。

 

 

   「東方三博士の礼拝」

   1423年 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ

   イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館  

   「東方三博士」がイエス誕生のしるしを見て、ベツレヘムまで旅

   する主題が描かれている。 左には丘で救世主誕生の地を示す星

   を仰ぐ姿、中央アーチ下にはキャラバンの賑やかな行進。 前景

   には彼らが「イエス」に礼拝し贈り物を捧げる情景が見えます。

   この豪華な祭壇画を委嘱したのは、当時「メディチ家」と勢力を

   二分した大富豪「バッラ・ストロッツィ」で、この作品の絢爛さ

   はメディチ家が保護していた「東方三博士」の祝祭行列を意識し

   ていた為であろうとの事。

 

 

   「眠れるヴィーナス」

   1510~1511年頃 ジョルジョーネとティツィアーノ

   ドイツ・ドレスデン ドレスデン古典絵画館

   穏やかな田園に「ヴィーナス」が全裸で眠っています。 この絵は

   疫病で死んだ「ジョルジョーネ」が未完で残し、それを「ティツィ

   アーノ」が手を加えて完成したもので、背景が「ティツィアーノ」

   だそうです。 彼はこの抽象的ヴィーナス像に神話的細部を描き加

   え、通常の神話画に変えようとしました。 大地の豊饒を象徴する

   女性が自然の平和に守られて眠る姿は後の人々に圧倒的な黄金時代

   の印象を与え、多くの画家がアルプスの南北を越えてこれ以後「大   

   地に横たわるヴィーナス」を描いたと云います。

 

 

   「ウルビーノのヴィーナス」

   1538年頃 ティツィアーノ

   イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館

   「ウルビーノ公グイドバルド」が自室の為に依頼した作品で、豪華

   な室内に全裸の美人が横たわっています。 彼女は「眠れるヴィー

   ナス」のポーズで定まらない視線を送っています。 モデルが「グ

   イドバルド」の寵愛した女性なのか、画家の理想の美女なのかは不

   明だが、愛人を迎える準備をしている高級娼婦である事は明らかで、

   彼女が手にする切られたバラは、儚い快楽の隠喩であり、迫りくる

   黄昏は快楽の為の時間が近づいた事を暗示しているとの事。

 

 

   「ヴィーナスとマルス」

   1578年 パオロ・ヴェロネーゼ

   アメリカ・ニューヨーク メトロポリタン美術館

   「ヴィーナス」が「軍神マルス」と新田の蔭で抱き合っています。

   甲冑を着た色の浅黒い「軍神マルス」とは対照的に「ヴィーナス」

   の裸身の白さが際立ちます。 「キューピッド」が二人の足を離れ

   ないように リボンで繋いでいる。 もう一人の「キューピッド」

   は軍神を 戦さに連れて行こうとしているか、動物的欲望を象徴す

   る 逸る馬を押し止めています。 このテーマは「ルネサンス」に

   はよく描かれた。 戦国の武将である都市国家の君主は、愛の女

   神と理想的カップルと思われたのである。

 

 

   「四使徒」

   1526年 アルブレヒド・デューラー

   ドイツ・ミュンヘン アルテ・ピナコテーク

   左には「ペテロ」と「ヨハネ」、右には「パウロ」と「マルコ」

   が居ます。 画家は ここに人間の気質が 火、空気、水、土の 四大

   元素に支配されると云う「四性論」を表象した。 衣裳の色を見る

   と「ヨハネが赤で火=多血質、ペテロが青で水=粘液質、パウロが

   白で空気=胆汁質、マルコが黒で土=憂鬱質」で、空気と火は活動

   的、水と土は受動的な元素とされた。 カトリックでは「ペテロと

   パウロ」が二枚看板だが、「ヨハネ」を前面に押し出した点でプロ

   テスタントの聖人画像となっているそうです。   

 

 

   「ルイ14世の肖像」

   1701年 イアサント・リゴー

   フランス・パリ ルーヴル美術館

   「リゴー」は宮廷の肖像画家として名を成し、貴族や国王「ルイ

   14世」の肖像を数多く手がけました。 尊大に胸を張って立つ

   王の姿からは、絶対王権を確立し、「朕は国家なり」と言い放っ

   た「太陽王ルイ14世」の威厳と品位が漂ってきます。 この作   

   品では華麗なバロック的肖像画の伝統が踏襲されているが、それ

   に留まらず少なくとも洗練された優美さを備えている点で、18

   世紀の典雅なロココ美術の始まりを告げてもいる。

  

 

   「大法官セギエの肖像」

   1660~1661年 シャルル・ル・ブラン

   フランス・パリ ルーヴル美術館

   「大法官」として活躍した「ピエール・セギエ」は、学芸擁護者

   としても知られ、本図の作者「ル・ブラン」はまだ若い時分から

   彼の庇護を得てイタリア留学もしている。 広範な領域で活躍し

   た「ル・ブラン」であるが、ここでは肖像画家としての力量を遺

   憾なく 発揮している。 厳しく計算された構図をとりながらも、

   「セギエ」と小姓たちを 親しみ深い風貌に描き出す事で、全体を

   和やかな雰囲気に纏め上げています。

 

 

   この後「モネ・大睡蓮、グロッタ(貴族が庭園に作った人工洞窟で

   ルネサンス期に大流行したと云う)、フェルメールギャラリー」を

   見るのですから、「地下二階・モデルコース20分」は無理でしょ。

   (それにしても、それぞれの絵に添えられた「解説文」が解り難い

   と思うのは私一人でしょうか?)