6月15日の日記
(今日はちょっと真面目モード!
ちょっと長くなって申し訳ない m(u_u)m )
・万全の準備をしてきたが故の不安というものがある。
お稽古、申合と卒無くこなし迎えた本番ほど恐いものはない。100回稽古がうまくいったとしても、101回目の本番が失敗してしまったらば観客の評価は「あの役者は失敗した。」になってしまう。確かにそれまでの苦労は評価に値するもので、稽古で体験した過程は役者本人の財産である事は変わり無いし、観客の方も一回の失敗に対してそんな意地の悪いレッテルを貼るような人はいないと思う。しかし、舞台に生きる人間として観客の前での失敗はプロとして致命的なミスだと僕は思う。なぜならば観客は本番しか見ていないのだから。僕はそういう緊張感を常に感じて舞台に望んでいる。
・今日ほどの緊張感はそうそう味わえないと思う。
6月研能会 能「通盛」シテ青木一郎 ツレ青木健一 いわゆる親子共演というヤツである。しかし、この「通盛」と言う曲、シテを父親がやるからツレを息子に、と単純に決められる曲ではないと思う。以前父が「通盛のツレはシテと同格」と言っていた。
能の中でのあらすじは鳴門の磯で平家を弔う僧の前に現れた老人(シテ)と女(ツレ)は平家方武将 平通盛とその妻 小宰相局の物語を述べて海に飛び込み姿を消す。やがて通盛と小宰相の幽霊が現れ、二人の情愛や通盛の最期の合戦の有様を語り、僧の念仏によって成仏するというもの。
・小宰相という人物像
自分が演じた小宰相という人物は上西門院(鳥羽上皇の皇女)に仕えていた人物で、禁中一の美人と聞こえていた。清盛の女の周辺が華美で今様風であったのに対し、上西門院の御所には、一時代前の伝統が色濃く残っており、格調高いサロンを形成していた。そういう所に仕えていた小宰相は王朝風の空気を身につけていたように思われる。
度重なる通盛のプロポーズの後、夫婦となった二人は次第に深い絆で結ばれてゆく。やがて源氏方の挙兵によって都落ちした平家に小宰相は随行した。平家の軍勢は随行の女性や子供達を船に残し、一の谷に上陸し陣を構えた。通盛は陣中に小宰相を招き、名残を惜しむが、弟の教経は陣中に女性を招いた通盛にひどく怒り、小宰相を船に追い返してしまう。小宰相はこの時通盛の子を妊娠しており、子供が一人もいなかった通盛は大変喜び、気分はどうだ?船中でのお産は大変だろう?などと労い心配していた。弟の反感を買いながらも陣中に呼び寄せたのはこのためであるだろう。
この後、通盛は一の谷の合戦で戦死し、その報に深く悲しむ小宰相は静かに子を産んで、亡き夫の形見に育てようとも思うが、その当時女性はお産で十中八九死ぬものとされていた。恥ずかしい思いをして、生き長らえるのは不本意だし、助かったとしても、この先どんな憂き目に会うか分からないので、いっそ海に入って死のうと決心するが、周りの者は尼僧となって亡き夫の菩提を弔って欲しいと引き止めた。一度はその言葉に耳を傾けた小宰相であったが、夜が更け人々が寝静まった隙に一人海に身を投げてしまった。他の船の舵取りが気づき引き上げようと試みるがおぼろ月夜の海上は漆黒の闇で、ようやく引き上げた時には息も絶え絶えで、やがて静かに息を引き取った。残された人々は船中にあった通盛の鎧を重りとし、水葬にして手厚く葬るのだった。
平家物語の中でももっとも哀れが深く、しかも美しい場面であるとされるこの辺りのエピソードを題材に作られたのが能「通盛」である。
・自分には勿体ないほどのお役を演じること
ツレとは言えこれだけ趣深い人物を演じる事が出来るのだろうか?と言う疑問が頭から離れなかった。本来ならば父ほどのキャリアを持つ役者であれば、僕よりも先輩がツレを演じるのが妥当な所である。しかしお役を頂いた以上は「自分の限界に挑戦する」のが役者というものだと思う。
冒頭に書いた『失敗出来ないという緊張感』そして『小宰相という人物を演じる重圧』そんな中で自分自身の『強い気持ちで舞台に望む』という信念だけが僕を支えていると思う。
評価は観客がするものだと思うから、「朝長」の時同様、うまくいったかなんて分かりません。でもこれだけは言えます。『強い気持ちで今日も舞台に望めた』と。