2022年10月29-30日
(その一)からの続きです
姫次で早めの昼食を摂って
蛭ヶ岳方面へと下りだす
西野々の登山口からここまで
1000m程の高度を稼いだのだけれど
それを浪費するように斜面を下って行く
縦走路では当たり前の事なのだが
何時も損をした気分になる
丹沢は言わずと知れた鹿の生息地
辺りはノイバラとアセビの木が目立つ
アセビは勿論、鹿の忌避植物なのだけれど
ノイバラのトゲトゲも鹿は苦手らしく
枝先を舐めるようにかじり取ってあるだけ
そのトゲトゲ枝が登山道に張り出して
ウエアを引っ掛けないよう
気を付けながら下って行けば
その道すがらにはこんな花も残ってた
↓
リンドウは薬草としても知られる植物
苦味が強くてこれもまた
鹿が嫌う要因なのかも知れません
道は尾根状に切り替わり
一部、西側の神ノ川の谷が見下ろせる
右側から下る斜面は袖平山か?
その向こうには今回の最終目的地
大室山の姿も確認出来て
紅葉も見頃の高さまで下りて来た
やはり赤いカエデの葉っぱが
今年の紅葉の主役
黄色い葉っぱは今一つという感じだ
道は緩々と下って”原小屋平”
小広い平地の辺縁を通り
暫くは緩やか起伏を繰り返す
こんな道がずっと続くなら
ハイキング気分で歩けるのだけれど
”地蔵平”で広河原への道を分けると
道は緩やかに登りへと切り替わる
気持ちの良いブナ林の道はこの辺りまで
道は徐々に傾斜を増して
再びアセビのエリアへと入って行く
小さな崩落地を迂回して開けた斜面に出れば
正面には間近に蛭ヶ岳の頂きが仰ぎ見れて
道は更に斜度を増して続いている
その斜面の木段道を
一段一段数えるように登って行けば
薙斜面の上部に出て展望が開ける
蛭ヶ岳から西に続く
丹沢主脈の山並みが望めて
更に右へ視線を移せば
先程までいた姫次の
なだらかな高まりも見える
道はいよいよ蛭ヶ岳山頂直下
急な傾斜の木段道がうねうねと迫り
喘ぐようにそれを登って行く
程なくして木段道は緩やか傾斜に切り替わり
冷たい風が正面からやって来た
ふと足元から視線を前方に移すと
山荘の屋根とその右側に平地が見える
13:47
遂に蛭ヶ岳山頂へとやって来た
これで念願だった丹沢主脈の全稜線に
自身の足跡が繋がった
そして更に丹沢の主な山稜と
甲相国境尾根も踏破しているので
自身の中では
丹沢山塊はほぼコンプリートという気分
ま、自己満足ですけど・・・
山頂には誰もおらず
だだっ広い山頂には
冷たい風が吹き抜けているだけだった
ここは神奈川県の最高峰なのだけれど
拍子抜けするほどの静かさだ
まあ、この寒さの中では
皆さん山荘にでも退避しているのでしょう
そんな誰もいない山頂のベンチで
南に続く稜線を眺めながら
手短にエナジー補給をして
身体が冷えてしまう前に
西側の檜洞丸方面へと急な道を下りだす
この先暫くは険しい地形の為か
灌木地帯が続く
チョット風当たりがあるが展望は良い
ちょうど南側に口を開いているのは熊木沢
その向こうには鍋割山と檜岳(ひのきだっか)
ここは丹沢山塊のど真ん中に位置する
15:00
ミカゲ沢ノ頭までやって来た
目指す檜洞丸はまだ遠い
それにしても蛭ヶ岳からの道は
瘦せた岩尾根とクサリ場などの
危険箇所の連続だ
体力のあるうちは良いのだけれど
朝からずっと歩いてきた一日の終盤
疲れた身体にはチョット辛い
そんな難所続きの斜面には
鹿たちも近付き難いのだろうか?
ノイバラは伸び伸びと枝を広げて
野菊の群生もある
野草好きとしては嬉しいのだけれど
この終わりの見えない気の抜けない道には
少しばかり嫌気が差してくる
正面に大きなブナの樹が現れて
樹々の色付きもイイ感じ
険しい地形も幾分穏やかになった
と言う事は
標高を大分落としてしまったと言うことか
そのブナの樹から穏やかな鞍部へと下る
少しばかり緊張の糸を緩めて少休憩
再び斜面を登り返す
蛭ヶ岳からもう幾つのピークを
超えてきたのだろうか?
思い返しても数は辿れず
目指す檜洞丸はいつまでも遠くて
近付いている気配がない
そんな疲れた自身の姿を
冷静に見ている自分がいる
「これは大分疲れているな、
こんな時こそ如何に慎重さを保てるか
それも実力というものだ」と・・・
道は臼ヶ岳のピークを越える
振り返れば蛭ヶ岳も漸く遠退いた位置に
右に伸びる稜線はもう一つの丹沢主脈
中々良い眺めなのだけれど
能天気に眺めている時間はない
臼ヶ岳からも険しい道が続き
日は山の端に落ちて肌寒さがやって来た
16:08
神ノ川乗越を通過
ここは蛭ヶ岳からの最低鞍部か?
ここから檜洞丸へ向けて登り返しが始まる
だがもう疲労はピーク
振り上げる脚の活力も頼りない
数歩進んでは立ち休みを入れて
漸く小ピークを乗り越えて
16:30
何とか金山谷乗越へと辿り着く
ここでミニあんぱんを一つ頬張って
アウターを羽織りヘッドランプを用意する
奥深い山懐を照らす光は
か弱くなった空からの残照のみ
暗闇が音もなく忍び寄って
谷間は既に闇に飲まれかけている
さあ、最後のひと頑張り
檜洞丸への急登道に足を踏み入れる
だがしかし
相変わらず振り上げる脚の脚力は頼りない
数歩進んでは立ち休みの繰り返し
闇はどんどん優勢となり
遂にヘッドランプの点灯となる
視界に入る世界は
ヘッドランプの照らし出す僅かな範囲のみ
道は明瞭で不安は無いが
時々現れる鹿道のトラップには
気を付けなければだ
前方を仰ぎ見れば
雲の切れ間に三日月が見え隠れして
星たちも幾つか煌めいている
吐き出す息は白い塊りとなって流れ
振り返ると
遠く横浜の街明かりが煌めいている
「それにしても山頂は遠いな」
暗くなって益々距離感が掴めなくなった
「もうそろそろ山荘が見えても
良い筈なんだけどな」
そんな独り言を呟きながら
重い脚を振り上げる
当初、初日は犬越路まで頑張ろうと
考えてたのだけれど
蛭ヶ岳へ着いた時点で時間と体力を考慮して
今日は青ヶ岳山荘泊まりとプラン変更
ですが、その青ヶ岳山荘手前でもこの有り様
本当に体力が落ちたものだな・・・
幾度も立ち休みを繰り返して斜面を登り
漸く傾斜が緩み始めた頃
前方に突然、山荘の灯りが現れた
山荘は100m程の距離だった
「着いた~!」
これまでグッと抑えられていた緊張感が
ここで漸く解放された
17:55
山荘の扉を開くと
中は登山者でいっぱいだった
「飛び込みだけれど」と前置きをして
受け付けを済ませる
既に定員オーバーのようでしたが
自分は食糧も寝具一式も
持っているので受け入れて下さいました
山荘の一角に一人分のスペースを頂ければ
御の字というものです
山荘では折しも百名山の取材中
TVクルーと山荘の常連さん達が
メインという雰囲気でしたが
我々一般人も寛げる雰囲気は保たれてました
支配人さんの心遣いでしょうか
という事で
消灯は遅めの21時半頃
食堂の一角に伸び伸びと寝袋を広げて就寝です
*** 青ヶ岳の由来 ***
昔、カモシカの事を(あお)と呼んだ
そのカモシカが多く生息していた
この山を青ヶ岳と云う
青ヶ岳は津久井町側から見た
檜洞丸の別称です
(その三)へ続く