小学校時代の話 | マイペースな日々

マイペースな日々

『中学生 いじめと学級崩壊』というタイトルを変更しました。
息子は2024年に大学生になりました。

あおいです。

*このブログ記事は過去の話です。
大変モヤモヤされることとは存じますが、息子(アキトくん(仮))のような小学生がどのようなトラブルに遭ってしまうのかを書いています。*

息子は、発語の少ない幼稚園生でした。
意思の疎通は図れるのですが、小さい子がよくする「ねーねーお母さん聞いて!」という行動は皆無でした。
マイペースで、集団行動も苦手です。
よく泣いていましたが、怒りの表現はあまり見られませでした。

大変不器用で、幼稚園のイベントでは苦労していました。
運動も、図画工作も、自分の身体も道具も自己流では使いこなせません。
自転車の練習と同じで、手取り足取り根気よく教えてあげることが必要でした。
本人の思い込みが激しいものは、どれだけ教え込んでも上達することが出来ません。

ドンくさくて、マイペースで、自己主張をせず泣き虫な息子は、他人とコミュニケーションを取るのも苦手でした。
でも、私たち家族は、彼を療育に結びつけることが出来ませんでした。
なぜなら、こんな息子でも、夫の一族からみれば、「普通」なタイプだったのです。

とある息子の従兄は、幼稚園から「親が同伴でなければ通園を認めません!」と言われるほどの多動っぷりで、実際に三年間、母親同伴で幼稚園生活を送りました。
とある従姉は、幼稚園のカリキュラムに興味がなければ脱走してしまう常習者で、発表会や運動会のほとんどが不参加でした。
それに比べたら、大人しくて優しい息子は、もう、問題点なんて一つもないレベルだと言うのです。

夫も、夫の兄弟も、それぞれが「あいつは普通じゃなかった、小学校時代から、あいつはヤバいって思ってた」と兄弟のことを評するので、彼らや彼らを育てた義母からすると、息子は「普通」なのでした。

さて。
息子は早産児で、私はお医者さまから「小学校低学年までは、他の子と比べても意味ないよ」と言われてきました。
なので、幼稚園時代のトラブルに関しては、自分でも不思議なくらい気にならず、出来ることを一緒に増やしていければいい、友達関係はそのうちついてくるでしょう、とのほほんと暮らしていました。
あまりに発語がないので、小学校に入るのを一年猶予しようかとは悩んでいましたが、結局は流れに任せる形でそのまま入学させたわけです。
 → 就学時健診

意識が低いお母さんだったと、今でも思います。
異質が排除される、ということに、鈍感でした。