あおいです。
息子を取り巻く現状を深く思索するために、彼の幼いころの話を書いています。
息子は発達障害の診断をいただきませんでしたので、グレーゾーンに属しているであろう子です。
息子は発達障害の診断をいただきませんでしたので、グレーゾーンに属しているであろう子です。
新しい幼稚園では担任の先生から「何もできない子」認定を受けたようでした。
保育園は平和でしたが、幼稚園では息子がちょっかいを出されまくっていて、私は衝撃を受けました。
一人っ子というのは、親の心も打たれ弱くていけませんね。
保育園は平和でしたが、幼稚園では息子がちょっかいを出されまくっていて、私は衝撃を受けました。
一人っ子というのは、親の心も打たれ弱くていけませんね。
さて、民生委員さん経由でやってきた三歳児半健診のお知らせ。
一歳児半健診で保健師さんと言い合いになってしまい、私は要注意人物となったようなのです。
一歳児半健診で保健師さんと言い合いになってしまい、私は要注意人物となったようなのです。
しかし、実際の三歳児半健診は特に何事もなくすすんでいきました。
私の目の届く位置に「非協力的」の文字が書かれた調書が置かれます。
今回の保健師さんとは穏やかに話が出来ました。
息子も今回は先方の指示通りに動いて問題はなさそうでしたが、最後にカウンセラーの部屋に行くように言われました。
私の目の届く位置に「非協力的」の文字が書かれた調書が置かれます。
今回の保健師さんとは穏やかに話が出来ました。
息子も今回は先方の指示通りに動いて問題はなさそうでしたが、最後にカウンセラーの部屋に行くように言われました。
別室には前回とは違うカウンセラーさんが待っていました。
息子がおもちゃで遊ぶ様子を眺めながら、話し合いが始まりました。
息子がおもちゃで遊ぶ様子を眺めながら、話し合いが始まりました。
基本的に育てにくいと思っていないこと。
発達の速度については、小学校までに追いつけばいいと思っていること。
それはそれとして、どうやら「普通」とは違うところがあるとは思っていること。
新しい幼稚園では浮いていると思うけれど、でも本人が困っているかどうかの判断は分からないこと。
発達の速度については、小学校までに追いつけばいいと思っていること。
それはそれとして、どうやら「普通」とは違うところがあるとは思っていること。
新しい幼稚園では浮いていると思うけれど、でも本人が困っているかどうかの判断は分からないこと。
「集団行動が出来ないというか、みんなと一緒に行動するとワンテンポ遅れる感じなんです。その場を逃げ出したり、その場で暴れたり、騒いだり、完全に別のことをしたり、というのはないんです」
カウンセラーさんは時折息子と一緒に遊んでみたり、質問をしたりしています。
「こちらに積極的に関わってこようとはしませんけど、別に一緒に遊べないわけではないんですね。こちらから質問すれば妥当な答えを返してきますし…積極的じゃないんですけども」
そういってカウンセラーさんはこちらに向き直りました。
そういってカウンセラーさんはこちらに向き直りました。
「確かにソーシャルスキルに乏しいと思いますけど、幼稚園に通っているのならそこでもスキルは磨かれますし、別の療育機関に通うほどでもないと思います。他の子と違う部分が、自閉的なものなのか性格なのか、それは私では判断できませんが、自閉的なものであっても性格であっても、息子さんが困っているのなら療育支援を求めるといいと思います」
30分の約束を15分オーバーして話は終わりました。
話を聞いてもらって、私も随分と気楽になりました。
「困れば支援を求めよう」という単純で明確な解が、とても心地よかった。
話を聞いてもらって、私も随分と気楽になりました。
「困れば支援を求めよう」という単純で明確な解が、とても心地よかった。
しかし、私も、息子も、そして家族も「困る」の定義がよく分かっていませんでした。
それは今でもそうなのです。
学校での嫌がらせは、それはもう困っていますが、それはやんちゃな子を先生が注意しても言うことを聞かないということに対して困っているのです。
そういう子を呼び寄せてしまう息子の性質に困ってはいますが、今さら相手と殴り合いのケンカでもしろというのでしょうか。
それとも相手の心が折れるほどの語彙力でぶちのめしても良いのでしょうか。
それとも今まで以上にやんちゃな子を受容してあげて平穏な生活を手に入れればよいのでしょうか。
発達障害であろうと、そうでなかろうと、人間関係というものには「困り感」がついてきてしまうことがあります。
療育をすれば何とかなる、というのは、的確な表現ではないのです。