前回までのマイストーリー・・・2話より第3話の方が反響が大きくて驚いてます。
私の中では第2話が人生のピークだったんですけどね・笑
それはさておき、今回は着物と着付けに関するお話。
あまりにも面白く無いので写真を満載にしてお届けします。
過去のストーリーはこちら。
~着物にはまったきっかけ~10代の終わりから某大手着付教室に通い始めました。
きっかけは、母親とケンカして「もうお母さんには何も頼まない!」と宣言してしまい、
「母にしてもらわないと出来ないこと・・・」とあれこれ考えた結果、
「あっ、わたし自分で浴衣着れないやん!」と。
親には内緒で着付教室に通い始めました。
だって、憧れの先輩と祇園祭に行く約束してたんだもの。
というわけで、3ヶ月コースで着付け教室に入門します。
当時はまだWindowsはなくて、MS-DOSの時代。
IT環境がめまぐるしく変わるっていく時代でした。
そんな、時代の最先端を行く仕事に従事していることの反動で、
文化を継承するということに妙な憧れを抱くようになります。
当時はとてもはれぼったい顔をしてまして、
着付教室では「ふゆみちゃん(坂本冬美に似てるから)」と呼ばれてましたっけ。
3ヶ月で修了するはずが気づけば、4年ちょっと。
花嫁着付けや
時代衣裳着付けも習いました。
ダントツで若かったので、先生からもインターンさんからもかわいがっていただきました。
若いことをいいことに、振袖を沢山着ました。
人にも積極的に着付けをさせてもらいました。
友達の結婚式で4人の友人に振袖を着付けて自分も着るというチャレンジャーなこともしました。
この頃から外国人の方へのボランティアで着付をさせてもらってました。
着物ショーに出させてもらったり、雑誌に掲載されたりもしました。
着付教室に関しては、
基本的に途中で辞めることがない私なので、(先生が辞めたり教室がなくなったりする)最後のコースまで修了しました。
その間、4年1ヶ月。
受講料は合計1,761,220円
(今の着付け教室に入ってからの受講料を足したら、2,000,000円を超えますね)
習っている途中で花嫁さんに憧れる年齢に差し掛かり、「花嫁着付師になりたい」と思いました。
教室から斡旋していただき、某ホテルの着付師の面接にも行きました。
面接後、個別に呼ばれました。
「今、一流企業に努めているあなたを雇うことは出来ない。
この世界は女だけの縦社会。お給料面でも精神的にも結構しんどい世界です。
子どもを産んで一段落してからでもこの仕事はできます
もっと今の会社で色々もまれてから戻ってきなさい。
私の娘にだったらそう言います」
そんなアドバイスを受けて妙に納得。
「子ども産んで一段落してからでも間に合う仕事なんだ」と気づき、あっさりと路線変更し、当時勤めていた会社を続けることを決意。
それまでは身につけた技術を忘れないように・・・と、着付教室修了後もインターンを続けてました。
担当の先生が変わっていく中、2~3年ほどして(私には珍しく)先生と波長が合わなくてインターンを辞めました。
それを知った他の先生が「うちにおいで」と呼んでくださいましたが、ときすでに遅し。
これをきっかけに着物から距離を置いてしまうことになります。
と同時に、一社目を退職して時間が出来たことで洋裁にはまります。
そろそろ振袖も飽きてきた頃、訪問着を着て見たけれどイマイチしっくりこない。
そんなときに自分でパーティドレスなどを作るようになり、一時期完全に着物離れしてました。
なるほど、呉服の衰退ってこういうことなのか!?
てなことは、当時一度も考えませんでしたけどね。
洋裁など、独身時代をエンジョイしていたときの話は第5話につづきます。