ここ10日間ほど、スマホからの簡単な更新しか出来てませんでした
さくらマップは途中の状態でしたが、すでに開花情報が飛び交っていたので、休憩
自己プロデユースコース最終回までにマイストーリーを進めたいなと思っております。
第1話が華やかすぎて、ここからが生真面目で努力家(自分で言うな・笑)な本来の私の姿かも。
地味で面白くないですが、お付き合いください。
第1話はこちら ~子役で着物生活していた幼少期~
習い事の一環としてやっていた子役生活は小学校入学と同時にフェイドアウト。
その後も母は色々と習い事をさせたがりました。
特に体操系のことをさせてかったらしく、
何度も教室の見学に連れて行かれたこと覚えています。
ですが、私はそれらに全く響くことなく・・・
最初に習った習い事はピアノとお習字。
幼稚園の年中の時でした。
~ピアノにはまる小学校時代~
お習字はさておき、ピアノにはかなりはまり、
小中学生時代は、暇さえあれば朝から晩まで、歌の教則本を1ページ目から最後のページまでピアノ弾きながら歌ってました。
いとこが音大に行っていたこともあり、自分も音大に進むつもりで猛練習してました。
家には双子の妹と2つ下の弟が、近所には同い年の幼馴染が沢山いたので、
誰かと遊びたいと思えば家の外に出れば友達がたくさんいてくれたので、遊び相手に不自由したことはなかったです
~卓球に目覚めた小学校時代~
そんな私がもう一つ習いたかったことが卓球。
母が卓球をしていたので、小さいときから練習について行ってました。
体操教室などの見学に連れて行かれるたびに、
「体操じゃなくて卓球がしたい」と言い続けてました。
でも、母は「卓球は地味だから」と反対。
「どうしてもやりたいなら4年生になってもやりたかったらやらせてあげる」
と言われたのが1年生の時のことでした。
「その頃には忘れているだろう」という算段だったそうです。
そして、小4になって「4年生になったから習わせて」と言ったところ、
「まさか覚えているとは思ってなかった」「そこまで言うなら・・・」とようやく念願叶い、卓球教室へ通いだしました。
そこで恩師や憧れの先輩に出会い、私の青春はすっかり卓球漬け。
恩師に恵まれたお陰で、技術面だけでなく、沢山のことを学びました。
「卓球をして性格が明るくなった」とも言われました。
卓球って根暗なスポーツなイメージだけど、性格明るくなるらしい
当時、上級生の男子に「お嬢様」とからかわれて(?)呼ばれていた私が、
卓球のお陰で「卓球の女王」と呼ばれるようになりました。
まぁ、どっちもどっちやけやけどね。
ピアノの先生からは「卓球をしていると指が歪むから辞めてほしい」と言われて、「だったらピアノ辞めます」と答えて泣かれましたっけ。
結局、「卓球やめなくてもいいからピアノも続けて」といわれて続けてましたが、
先生の妊娠をきっかけにピアノの先生を辞められたのが小6。
入試を考えていたこともあり、ピアノは辞めました。
~卓球一筋の中学生時代~
親は卓球の強い私立中学に入学させようと進学塾に通わせてくれましたが、塾の先生はもっとレベルの高い私立中学へと入学させようとして・・・
結局「わざわざ遠い学校に行きたこともないか・・・」と、実家の隣の公立中学に入学。
相当荒れた中学校でしたが、不良の先輩から守られていたのでイジメることもイジメられることもなく、平和に3年間を過ごしました。
今思えば、常に誰かに守られていたな、私
中学校の時は人生最大のモテ期。
男女問わず好意を寄せてくれる人が多かったです
試合会場に行けば、他校の女子で作られる私の応援団があったりもして、サインや握手をするための行列が作られていました。
~卓球一筋の高校生時代~
高校は卓球の名門校へ進学。
テスト期間も勉強せずに卓球ばかりしてました。
それはそれは、厳しい練習で(というか厳しい顧問で)、血と汗と涙を流しながらのスパルタな練習の毎日でした。
入学前の合宿のときすでに「失敗したな」と思いましたっけ。
当時の気持ちはすっかり封印していたのですが、
これを書くにあたり、アルバムを開いて高校時代のページに差し掛かったとき、
そのときの重いがよみがえり、涙があふれ出てきました。
学校での練習の後も、他の卓球場に出向いて練習してました。
毎日帰宅は22時過ぎ。
それでも朝の6時に起きて、北野天満宮までジョギングしてました。
うち、ベンチに入れるのは8人。
遠征に連れて行ってもらえるのは11人。
ありがたいことに、どんなにことがあってもメンバーには入れてもらえました。
その理由は、強いからではなく「気が利くから」ですけどね。
最高戦績は、
団体:全国インターハイ ベスト8、近畿大会優勝
ダブルス:近畿大会 ベスト16、府下大会3位
シングルス:近畿大会 ベスト32、府下大会ベスト8
人数に比例している感じですね。
個人の戦績は決して満足いくものではありませんでしたが、
この3年間で得たことは、大きかったんだなー。
卒業後、「戦績は満足いくものでなかったとしても、みんな同じ練習していたことに変わりはないんだから、自信を持てばいい」と言われましたが、それもピンとこず。。。
それに気づけたのはごく最近のこと。
それまでは、あの3年間はトラウマで振り返ることすらできなかったけど、今では無駄ではなかったと思えるようになりました。
身近なチームメイトが優勝するという状況が当たり前だったお陰で、
無意識のうちに「やってできないことはない」という考えが備わりました。
あの頃の精神状態はかなりしんどかったですけどね。。。
顧問が怖くて怖くて・・・
対戦相手というよりは、顧問への恐怖心と戦ってました。
卒業後、顧問に出会ったとき、挨拶に行こうと思ったら足が震えて一歩が出せない・・・
そんなトラウマを長い間抱えていて、大人になっても(25歳まで)顧問の先生に怒鳴られる夢見てました。
あの頃は思い出しただけで吐き気がしそうなくらいグレーな時代だったけど、
そんな時代があったから、今の私があるんだな・・・と。
今となれば、「無駄なこと」ってないんだなと思えます。
そんな部活で培った精神力と、日夜ピアノを弾いていた日々が、社会人になったときに開花します。
第3話につづきます。