突然ですが、マイストーリーについて綴っていきます。
これから7回に分けての連載になります。
(すでに最後まで書いている←3時間で全7話書き上げました・笑)
~生い立ち~
1973年5月。
京都府京都市上京区の西陣織界隈にて長女として生まれる。
ふたご座O型。
父は自動車会社。
母は専業主婦(後に喫茶店経営)。
祖父は呉服屋。
祖母は和裁士。
祖父は見た目も言動も波平さんを地でいくような人で、
祖父母共に着物姿しか見たことがない、まるで昭和初期な二人。
同い年の妹。
2つ下に弟がいます。
一卵性双生児で生まれた私たちは、2ヶ月早産で低体重児。
私は保育器に1ヶ月。
仮死状態で生まれた妹は保育器に2ヶ月入ってました。
めちゃくちゃブサイクな子どもで、
「ブサイクでも同じ顔が二ついたらかわいがってもらえるんやな」と、思っていました。。。
~子役時代~
そんなブサイクな子どもでも、なぜか子役してました。
なんで子役してたのか、真相はわかりませんが、
聞くところによると「習い事の一環」としてやらせていたそうです。
ギャラは1本5000円だと聞いています。
高いのか安いのか分かりませんが、少なくとも私のお小遣いにはなりませんでした(当たり前か・笑)。
東映の劇団に所属していたので、ほとんど時代劇の出演。
一番数多く共演させてもらったのは、暴れん坊将軍の松平健さんかな・・・。
後は当山の金さん。
待ち時間はセットの小さな小屋で、大物俳優さんたちと膝つき合せて待ちますが、
空き時間は東映映画村内を着物で走り回ってました。
(衣装の着物着てたら、アトラクションの乗り物にタダで何回でも乗せてもらえる特典アリ)
1日2本撮りとなると、着物を着替えることに驚いたことを覚えています。
自分だけ2本撮りになって着物着替えたらしょぼいのになったことを鮮明に覚えている(赤い着物が私)。
双子だけど、時代劇の時代は「双子は縁起が悪いから」と一人をいなかったことにしてた時代で。
マナカナちゃんのように双子が重宝されるケースはなく、姉妹で共演するときは、雰囲気を変えて作られてました。
着付師さんと髪結いさんがめちゃくちゃ怖くて、
特に髪の毛結うときに「イジメか?」と思うくらい痛くて、歯医者と同じくらいイヤでした。
幼稚園にほとんど行ってなくて、「ご褒美シールがほしい」と母に泣いてせがんでました。
それでもお仕事は好きでした、私はね。妹はお仕事大嫌いでしたけど。
「学業の妨げになるので小学校に上ったらやめる」を条件にやってましたが、ちょいちょいお呼びがかかり、最後に撮影所に行ったのは小2でした。
最後のCMは元大関小錦と布団のCMのオーディション。
未就園児までという募集だったのに、劇団の人(先生と呼んでいた)に連れて行かれました。
スヤスヤ眠った赤ちゃんが小錦さんに抱かれるシーンを撮るために、ひたすら寝るのを待ちます。
そこに小2のわたし。
寝たもん勝ちだから寝たふりしろと先生に言われたのですが、それは無理。
それより何より、衣装がパンツ一丁だったこと・・・今でも強烈な記憶として残っています。
私にとって一番の思い出は夏目雅子さんと絹石鹸のCMに出たこと。
だけどYou Tubeとか探しましたが、見つかりません。
お蔵入りになったのかな?
弟も伴淳三郎さんと親子役でCMに出演しましたが、オンエアー後すぐにお亡くなりになり、放映中止。
そんな縁起の悪い姉弟です・笑
7歳の七五三。弟はかわいい顔をしている。
そしてなぜか親戚のおばちゃんとの写真しかない。
妹と私は似すぎていて、自分で写真見ても見分けつかず。
・・・かわいい方が妹です。
第2話につづきます。