マイストーリー第3話。
社会人時代のお話です。
前回まではこちら。
高校時代、部活はそれはそれは厳しくつらかったですが、
それ以外の学生生活はかなりエンジョイしてました。
部活だけでなく、課外活動に借り出されたりもして、
人間関係にも恵まれてました。
そして進路を決める、高3の夏。
辛い部活生活をひたすら耐え忍んだ結果、私に与えられたのは、
学内で一番最初に進路を決められるというご褒美をいただきました。
※高卒の就職は求人があった会社に対してその人数枠で学校から推薦するので、
99%受かります。
まずは、卓球推薦で大学に行くか?就職するか?という選択を迫られました。
大学はR大学と決まってましたが、就職先は選びたい放題。
ちょうどバブルが崩壊したところだったので、
「これからは学歴ではなく資格がものを言う時代。(やりたいことがあるわけではなく)大学行って普通に就職するのなら、高卒で就職した方が良い」という祖父のアドバイスにより、就職を選択。
(祖父は先見の明がある人で、株でぼろもうけしてた人)
その年は生徒の3倍求人がありました(翌年は激減)。
最後まで2社で悩みましたが京都に本社がある某大手半導体メーカーを選択。
~体育会系な ド根性会社員時代~
最初に配属されたのは、全社のデーター処理を扱う部門でした。
毎日の受注・生産・売上などなどのデータをひたすら入力する部門。
入力ミスしたら始末書です。
そして、締め時間を1秒でも越えたら涙もんです。
そんな部署に配属されたものの、私は超おっとりタイプ。
当時は、その部署に新人2名を採用していたのですが、
「貧乏タイプ」と「金持ちタイプ」を入れていたそうです。
速さと正確さを必要とされる部署なので、
二人でバランス取るためだそうです。
私は「金持ちタイプ」
でも、遅いことを認めることが屈辱的で、
もともと備わっている正確さに加えてとにかく速さを追求しました。
全社エントリー大会(文字入力の速さと正確さを競う大会)というのがあったのですが、
「(自分の知らない誰かが優勝するならまだしも)隣の誰かが優勝できるなら、
私が優勝しないわけはない」くらいに思ってました。
高校の時は勝負師ではない性格だったはずが、
社会人になり「負ける気がしない」という強気な子になってまして・・・
初年度から全社2位(新人部門で優勝)。
2年目からは退職まで優勝をキープしてました。
とはいえここは生真面目な努力家。
会社では残業後にさらに居残りをし、文字入力の練習をして、
家に帰ってきたらピアノのHANONで指運びの練習をしてました。
まさかこんなところで幼少の頃にピアノを習っていたことが役に立つとはね。
でも、ピアノ弾くときってどんなに早い曲でもミスせずに指を運ぶのが当たり前ですよね。
だから、文字もミスなく入力するのが当たり前だと思えたのです。
そんなこんなで、会社でそこそこ有名人に。
入社当初は「天城越えの○○」だったのが「全社エントリー大会の○○」となります。
そうなんです。当時の十八番は「天城越え」
高校生のときに、当時の彼氏のご両親に「就職するなら天城越え」と教わり、ファミリーにっ混ざって熱唱してました。
そんなこんなで上司にもかわいがってもらい、仕事運にも恵まれ、順風満帆な社会人生活を送りました。
データー入力部隊を卒業させてもらった後は、 全社のネットワーク管理や社内規定の作成やできないプログラミングもしました。
~癒し系担当でした~
一番得意としていたのは、偉い人からの苦情処理。
ややこしい人がややこしい話を持ち込んできたとき、
私が出ていくと丸く収まるという不思議な現象が起きてました。
(特に説得などはしませんが、ニコニコしてるとことが収まる)
上司の後ろ盾があったからこそなのですが。
そんなこんなで任された仕事が役員クラスに向けたパソコン教育。
「パソコンなんか必要ない!」とおっしゃるエライサンの心をほぐすところからはじめます。
~パソコン講師をきっかけに「人に教える仕事がしたいと考え始める~
このとき「いつか人に教える仕事がしたいな」と思ったのであります。
この頃、私の人生を変える二人目の人物と出会います。
有名人なので写真載せちゃいます。

この方にかわいがってもらったお陰で、人生の彩が変わりました。
色んな岐路で私の人生を変えてくれて、公私にわたり、大変お世話になりました。(注:不倫とかではない。奥様ともお子さんとも仲良くさせてもらってます。)
そんな恵まれた環境であったにも関わらず、
25歳の時、とっても勝手な理由でこの会社を退職。
~そして退職~
その後、またこの会社の子会社(IT関連会社)に出戻りすることになるのですが、そのきっかけを作ったのもこのお方。
なんと退職1年後に、偶然電車の中で遭遇します。
当時、遠距離恋愛をしており、東京で就職活動をしていた私。
上司「仕事どうなった??」
私「小さな会社では内定いくつかもらいましたが、親が大手でないとダメと言うのでまだ決まってないんです」
上司「それなら君は京都に残りなさい。彼を京都に異動させるから」
こういう決断力と実行力のある人が世界を制するのだとその時確信しましたね。
~そして出戻り~
そして、子会社(IT関連会社)に出戻り。
新しい会社では、給与面のよさで正社員ではなく契約社員を選択しました。
こちらの会社では、パッケージソフトの導入支援(教育や操作マニュアルの作成)、新システムのテストや操作マニュアルの作成など、
主にお客様対応。
契約社員をいいことに仕事を選びつつ、
色々なところに行かせてもらったりさせてもらったり、
とてもいい経験になりました。
そして、回り道もしましたが、この会社で今の主人と出会い結婚⇒退職。
(今のって言うたら再婚みたいやけど、初婚です・笑)
~そして、結婚退職~
18歳で入社して、退職したのが30歳。
(その間のブランク1年間)
わがままを言いながら、長い間このグループ会社に居座りました。
(さらに出産後またこの会社に出戻ります)
この会社、京都で有数の仕事に厳しい会社だと思います。
それでもなんとかやってこれたのは、
部活での経験とその時培った誰にも負けないという不思議な自信・・・
加えて、恵まれた人間関係にあると思います。
私の根底はそこにあるんですよね。
常に誰かに助けられて守られていた・・・
あのスパルタで思い出したくもないグレーな高校時代を乗り越えた自信が私を支え、それがこの厳しい会社での上司の評価に繋がったのかな?と思っています。
特に正社員時代は熱血部活モードのまま就職したので、部活並みに頑張ったし、しんどかったです。
けど、得られたものも部活並みに大きかったです。
この会社が私にとっての最終学歴だと思ってます。
契約社員時代はやりたい仕事が選べたので仕事内容は正社員時代よりも充実してましたが、
すでに土台が出来ていたことと元上司の後ろ盾などもあり、お気楽サラリーマン生活でした。
(日付変わって帰宅する日がほとんどだったけど、それでも昔に比べたらお気楽でした)
社会人時代、まとめて書きましたがこの時期に着物に目覚めています。
着物と着付教室については第4話につづきます。