こう見えて、、、昔は本の虫で、
本を読んで読んで読みまくっていた。
こう見えて、、、昔は観劇も1ヶ月に1回ペースでもっと見たいと思っていた。
でも、最近は本屋では小説の類を買おうすると、手が泳いでしまう。ずっとぐるぐる回遊して、結果、買わずに帰るとか、エッセイコミックとかだったりする。
観劇は、もう数年はしていない。
さいごにみたのはなんだろう、、、八犬伝か?
もう何度も書いてるし、その度に考えては暗い思いを抱いてしまうのだけれど、
とにかく物語に入り込む力がなくなった。
それは、私が小さい頃から、、たぶん社会人になるまで、その物語の中で生きられるぐらいの想像力があって、ぐっと、感情を揺さぶられたりして、それが人生を揺さぶってくることが当たり前だったからだ。
例えば、中学時代とか、いやがらせみたいなものを受けてた時があって、死にたいなーと思っていたけど、、平成のウルトラとライダーの世界があった。人類なんて滅びていい、という藤宮にそうそう、とうなずいて、一方できれいで真っ直ぐな五代の言葉に傷つきながら、その心を持ちたいと思っていた。
センター試験の日が、龍騎の最終回で、先週の真司くんの死亡に衝撃を受けすぎて、センター試験どころではなかった。
吉本ばななさんの、ムーンライトシャドウは短編なのにぐいぐいきた。死とは人をこんなにも分かつものだと。
映画館で、P.Sアイラブユーを見て号泣した。
社会人になってから、おや?となった最初のきっかけが、舞台の容疑者Xの献身を見た時だった。周りの人が号泣しだすエンディングでも、私はポカーンとしたままだった。わからなかった。
何一つ入り込めなかった。
それから舞台やら映画に入り込めなくなり、気づけば、
だいたいこの辺でどんでん返しじゃないか?とか、そろそろ体感的に終わる時間だなーと、
すごく冷めた目で見るようになった。
心が動かないわけではない。
相棒のボーダーラインは私を傷つけるだけ傷つけていったし、(滅多刺し、出血多量で心はしばらく病みついた方向に傾いた)
風立ちぬの堀越次郎は、なんであんなにみんなに好かれるのか知りたくて知りたくてたまらないし、(未だにわからないよ)
シンゴジラは久しぶりに、度肝を抜かれた。
(蒲田くんにはまじでぽかんとした)
でも昔の生きられるほどののめりこみはない。
そのことをこの数年トラウマのように悲しんできたのだけれど、先日、購読しているはあちゅうさんの、月刊はあちゅうの一つのエッセイが、それを癒してくれた。
外側から見るようになってしまったこと、
それは感性がにぶっただけじゃない、と。
(有料のコンテンツなので詳しくは内容は書かないけれど)
歳をとって無くしてしまったものばかり私は追いかけていて、失ったことを嘆いていたけれど、
それの別の見方を、はあちゅうさんに教えてもらえた。
相変わらず、小説の前でうろたえて買えずじまいだし、なんだか新しいルパンのシリーズにも気乗りしなくて見られない。
最近はゲームセンターCXや、わかりもしないのに、われポンとか麻雀番組ばかり見てる。
(これがまた、、、癒される。ジャラジャラいう音がたまらない。あと、人の麻雀牌の並べ方とかみてると性格見えて面白い。ただ、役とかは全然わからない、なんとなくきれい?ぐらいだ)
でも、それはそれで、、いいのかもしれない、今は。また時がきたら、違う感性でノンフィクションに向き合えて悲しくない時がくるかもしれない。