卒業 | Images and Words...

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上越市の自立学習塾「全力塾」代表のアメブロです。

えー、私、本日、
3本目の矢を卒業しました。
結局、3本目の矢とは何だったのか?

それはですね、
食品工場の夜勤
でした。

塾の仕事が終わった後、食品工場で働いていたのです。
大学を卒業して初めて「先生」と呼ばれない仕事を2年間してきました。

採用のときに、知能テストみたいなのがあって、普通に解いたんですが、「なんかすごいヤツが働きに来る!」って工場長が言ってまわってたらしいんですが、思ったよりポンコツが来たので、なんかすいません、という感じでした。

基本、どんなネガティブな状況でもプラスに変えられるので、「なんでも学びになるなー」と思いながら働いていました。
それは、ものを教えるときのコツです。
勉強ではないことを覚えることは因果関係がわからないと大変でした。ただ因果関係がわかれば覚えられる。これは、勉強も同じでした。教えるのはうまい!と褒められました。それが本業なのですが。インドネシアの研修生にも仕事を教えて、逆にインドネシア語を教えてもらいました。トリマカシー!(ありがとう)

最初の1年は上越校がまだ以前の場所にあったので、経費を圧迫して生活は苦しかったです。途中からオンライン家庭教師の仕事が増え始めて、なんとか暮らせるように。
去年の3月は、塾、オンライン家庭教師、食品工場、移転作業をずっとしていて、ホントに記憶がない。どうやって移転作業できたんだろう?火事場のクソ力ってほんとにあるんだな、と思いました。

2022年度が始まって、自宅を塾にしたことで少しのんびりしていたのは前回のブログでもお伝えしていました。
ただ、食品工場の書き入れ時と塾の繁忙期が重なるのがだんだんしんどくなってきました。
そこで、この3月で辞めさせてもらうことにしました。
5年前に教室を増やしたことやコロナでできた借金も思ったより早く返済できたのもあります。

食品工場で2年働いたことで、価値観がだいぶ変わりました。それは、「職業には貴賎はないが人には向き不向きがある」ということです。
勉強できないと不幸だ、ということはない。世の中にはたくさん仕事がある。そりゃ勉強はできた方がいいかもしれないが、勉強できるようにならなきゃいけないわけでもない。
という考えの塾経営者が爆誕してしまったのです。

僕も塾生も「向き不向き」や「何が強みなのか?」をよく考えるようになったと思います。
僕なんて、経営者に向いてないことに開業して10年目で気付きました。
でもそれが良かった。経営は続けるけど、得意じゃないから、それで勝負するのはやめる。
やはり僕は「教えるのがうまい」らしいので、それを強みにしていくこうかな。これもここ最近の強みで、最初は全然そんなこと自分でも思ってなかった。

あと、昨年末に大学の友人たちと会ったのは刺激になった。地元では鳴かず飛ばずの僕なんだけど、同級生たちは僕がやってることを見てくれてた。「学校に来いよ」なんて不登校の友だちを誘うかのようなことも言ってもらえた。大学時代から不登校気味だったんだけど。

ただ、僕が工場で働いてることを笑った人間が一人いた。大学の友だちではないけど。その人とは連絡取るのをやめました。

と、いろいろ書きましたが、工場のみなさんにはお世話になってホントに勉強になりました。
汗もたくさんかいたし、筋肉もついた。まだガリガリだけど。
あと、自分でいなり寿司が作れるようになってお弁当にしていたくらい、できることが増えた2年間でした。
かと言って、また戻りたいかというと、ちょっと厳しいので、これからは堅実に謙虚に塾を経営していこうと思います。