摂食障害は環境や周囲(つきあう人たち)を変えるだけでは回復するのは難しく、

どんな環境においても自分自身を保てるような自分になる必要があること、そしてその為には自分自身の変化が必要です。

 

 

 

前回の記事では、私が私自身で変わったところだと思う事として

 

  • 自分の価値の置く焦点を変える
  • 論理的に学び価値観を変える

 

の2点を挙げ、そのうちの前者についてお話ししました。

 

 

 

 

そこで今回は、『論理的に学び価値観を変える』が

私の寛解に至るまでにどんな影響を及ぼしたのかについて書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

【“論理的な思考を得る”とは】

 

『論理的に学び価値観を変える』とはつまり、正しい知識を身に付け、情報の取捨選択ができるようになるという事です。

 

 

具体的な方法としては、

管理栄養士などの専門家に栄養指導をしてもらうことや、学校や講演会などでの食育、現在の私のように食事関係の学校へ行って栄養学を学んだりすることなどが挙げられます。

 

 

 

何故これらのアプローチが摂食障害から脱するためのカギとなると考えたのかと言うと、

 

私自身が食事に対して抱く恐怖心は“知らない事”が起因であることに気づいたからです。

 

 

 

というのも、以前の私は『炭水化物を食べたら太る』『食べた分はすべて運動して消費しないと太る』など、ネットで見た説明文を読んで知識として知ったつもりになっていただけで、

実際のところその通りになるのかをはっきり確かめることはありませんでした。

 

 

だから、もし『炭水化物(口にしたら太ると思っているもの)を食べない』ことを実行に移せなかったときにどうなるのかを

薄ぼんやりとでしか説明できないので、ただやみくもに炭水化物を中心とした食べ物に対して

敵対心や恐怖心を抱いていたのだと思います。

 

 

そんな私の価値観を論理的に大きく変えたのは、

 

  • 大学(栄養学)の授業
  • 実際の検証結果

 

の2つでした。

 

 

 

 

 

【栄養学を学ぶこと】

 

大学での授業は私にとって最も大きな影響を及ぼしてくれた要素だったように思います。

 

ここで学ぶものはまさに論理的。

 

インターネットで見てきたような漠然とした情報ではなく、

専門の“学校”と言う場所で専門の先生に教えてもらっているという説得力に、私の今までの固定概念はいとも容易くひっくり返されました。

 

 

 

 

さらに、自分の中の『なぜ』『どうして』の部分に納得がいかないとイメージができず

 

他人の声に耳を貸せない節がある私(裏を返せば腑に落ちてしまえばすぐ動ける)が理解して受け入れるには他に無いほど十分な根拠があったのも

『学ぶこと』が私の価値観の変化をする方法として適していた理由の一つであるとも思っています。

 

 

 

事実、入学してからもわりと食べられないものが多かった私が

毎日一食は主食になるものや糖質の多い食べ物を食べるという目標への抵抗が少なくなっている実感があります。

 

 

 

 

 

【実際に検証してみること】

 

先ほども書いたように、自分の中の『なぜ』『どうして』の部分に納得がいかないと他人の声に耳を貸せない節がある部分が逆に役に立ったことがほかにもあって、

 

それは小見出しにもあるように

『実際に自分で検証してみる』という事です。

 

 

 

冒頭でもお話ししましたが、漠然とした情報を信じた私が怖がっていたのは、

本当にそれが悪者であるのかどうか、はっきりと証明できているわけではないものばかりでした。

 

 

 

それに気づいたのは病院に通い始めて『治したい自分』と『治したくない自分』が葛藤するようになった治療過程の時で、

 

具体的な例を挙げると、

 

  • ダイエット系のサプリメントを飲んでも体重は増える
  • 実際に何のせいで体重が増えているのか、食べ物を特定することは不可能
  • 食事制限だけで痩せようとすると理想の体型になれない

 

などのようなことで、

 

 

事実、糖質やカロリーカット系のサプリを飲んでいても糖質を徹底的に制限した食生活を送っていても

私の体重は少しずつ増えていったし、

 

食事制限だけで体重を減らしたり増やしたりしても、肉付いて欲しい所とそうではない所が思い通りにいくことはありませんでした。

 

 

 

 

結局、病院を卒業した後でも糖質を多く含む食品はなかなか口にできなかった私ですが、

 

このように徐々に自分の中で『事実』を認識することで恐怖が薄れていき、何か特定の食べ物が悪者であるわけではない事に納得していくと同時に、

 

今まで抵抗のあったものに対して「食べられるかも」と思う瞬間も多く出てくるようになりました。

 

 

 

そこにタイミング良く大学の授業の太鼓判が押されれば、私の恐怖心はたちまち薄れていきます。

 

そのおかげで「食べられるかも」から「食べられる」へ移り変わっていったものもこの数年でだいぶ増えました。

 

 

 

 

 

【論理的に捉えてみてわかった事】

 

私が勉強したり体験してみたりしてわかったこと(私が正しいと思う事)が3つあります。

 

 

 

1つ目は『○○ダイエット』のような何かの食品・栄養素に固執したダイエット法というのは基本的に体に良くない方法であるという事です。

 

 

 

なぜなら、基本的に肥満になる原因は自分の“1日の活動量に対して食べ過ぎている“だけであって、

 

糖質を摂っているからだとか、脂質を取っているからだとか、そういった何かの栄養素を取っていることが原因なわけでは無いからです。

 

 

 

そもそも、悪者にされがちな糖質や脂質と言われるようなものたちは三大栄養素と言われるくらいには私たちの身体に必要なものたちであり、

 

逆に言えば不足すると何らかの支障をきたすとも言えます。

 

 

 

もしその方法が健康を維持しつつ、理想の体型になるものだとしたら、

ダイエット法の流行り廃りなんてものは無く、世界中が肥満患者への確立した治療法としてその方法を施しているはずです。

 

 

 

 

 

2つ目は『糖質制限』『脂質制限』『燃焼スープダイエット』『スムージーダイエット』……等々、

『○○ダイエット』のような何か一つの食品や栄養素にフォーカスを当てた減量方法は、必ず体にデメリットが生じるという事です。

 

 

なぜなら1つ目にも出てきた通り、それらに出てくる一つ一つの栄養素が私たちに必要不可欠なもので、

取りすぎても不足しても体に何らかの支障が出てきてしまうからです。

 

 

 

そもそも論、人がなぜ食べるのかと言うと

『楽しむ』以前に『生きるため』『体の機能を維持するため』と言う目的があります。

 

だから私たちは食べないと死んでしまうし、食べなさ過ぎて免疫力が下がり、病気のリスクが上がってしまいます。

 

 

 

もし食習慣を見直したときに「明らかに糖質を摂りすぎている」という判断があるのなら『糖質制限』が必要になりますが、

 

一般的に主食(エネルギー源)として食べているものでさえ徹底的に制限してしまえば、体に必要な材料は全く入ってこなくなりますから、当然必要な体内の作業ができなくなって体はどんどん衰弱していきます。

 

そではまるで、ガソリンが入ってこない車や材料が入荷しないレストランのようなものです。

 

 

 

 

 

きっとこのブログを読んでくださっている方々の中には

 

“『ダイエット』や『減量』とは何かを『我慢』することだから、何かしらの体の負担があってもしょうがない事”

 

と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

 

しかし、本来『ダイエット』とは日本訳すると『常食』を意味します。

 

つまり、『ダイエット』という言葉は“自身が病気にならない状態になる為に日常的に食べるものを正すこと”を指し、

それは減量・増量どちらにせよ言えることになるのです。

 

 

 

とはいえ、現代社会において『ダイエット』という言葉が“健康体になる事”以外に

“細身の体型になる為に減量すること”を指す言葉に変わりつつあることも事実です。

 

 

そのため私は『ダイエット』という言葉は

 

『自身が心身ともに充実したものにするための身体を手に入れる手段』

 

と言う意味合いが一番しっくりするような気がしました。

 

 

 

 

私にとっての『ダイエット』がそのような意味合いであると考えると、

 

体に悪影響のある『ダイエット法』は上記した定義の“心身ともに充実したものにするための身体を手に入れる”と言う部分が実現できなくなってしまいますよね。

 

 

 

これでは目的と手段が混同してしまい、

自分にとって『ダイエット』とは何なのか・何のためにやっているのかが分からなくなってしまいます。

 

 

実際、確かに“痩せ”はしましたが、

減量を突き詰めたがために摂食障害になり、その生活はとても“心身ともに充実したものにするための身体を手に入れた”とは言えないものになっていました。

 

 

 

 

 

3つ目は理想の体型を実現するためには、結局のところ『適度な運動とバランスの取れた食事』以外の方法は無い、という事です。

 

 

 

私の理想の体型とは、服がきれいに着こなせるようなメリハリのあるシルエットです。

 

しかし先ほども書いた通り、食事制限だけで体重を減らそうとしても、

お腹や足はどんどん細くなっていく一方で、ふくらみがあった方がシルエットがきれいに見える部分ですらも痩せこけて顔もげっそりとしてしまう上に、髪や肌もボロボロになっていきます。

 

 

逆に食事だけで顔のげっそり具合を治そうと体重を増やしたとしても、

自分が理想とするお腹周りや足のシルエットにはなりませんでした。

 

 

 

ここで分かったのは、食事だけで理想を叶えようとするのは非現実的であり、

 

顔・体ともに自分の理想とする美しいシルエットにするためには“引き締める”ことが必要であるという事です。

 

 

 

つまり、顔がげっそりしているように見えない程度まで肉付きが良くなった時点で、

次にするべきは自分がほっそりしていたいと思う部位を鍛えて引き締める必要があったのです。

 

 

 

今までいろいろなダイエット法を調べて試してきたのにも関わらず、結局ここに辿り着くなんて、

 

『灯台下暗し』とはまさにこのことですね。

 

 

 

 

 

【なぜ『ダイエット法』に頼るのか】

 

ひとつ前の見出し文で『論理的に考えた時にわかった事』と書きましたが、

 

正直言うとこれらの現実を100%知らなかったわけではありません。

 

 

 

心のどこかでは糖質制限や脂質制限などの『ダイエット法』が体に悪影響を及ぼすだろうなという事は気づいていたし、

ちょっと怪しいなと思う節もありました。

 

 

ダイエット法を調べるときも

『○○ダイエット 危険』『○○ダイエット 間違い』などの検索もしましたし、

実際にダイエット法が乗っているサイトでも警告文が載せてあるものもありました。

 

 

 

それなのに私はやっぱりリスクの大きい道を選んだ。

 

それはなぜでしょうか。

 

 

 

 

それは、『早くて、楽で、単純』な方法で自分の理想に近づきたかったからだと思います。

 

 

 

これは減量に限らず、どんなものに対しても誰もが求めるものなのではないでしょうか。

 

『遅くて、辛くて、難しい』なんて言葉が並べば、きっと誰だって気が滅入ってしまいますよね。

 

 

 

 

残念なことに、その人間の性に漬け込むように誇張表現を用いて『ダイエット法』を謳い、注目を集めたりビジネスを展開させたりする人も少なくはありません。

 

専門的に人体や栄養について学んでいても資格を持っていても(寧ろ、専門的に学んでいるからこそできること?) いきすぎな表現をする人はいます。

 

 

 

また、専門的に学んでいる人絡みで言うと、

 

同じ栄養学を学んでいる仲間ですら、偏ったダイエット法をやろうと試みようと(原理を中途半端に理解しているからこそ、効果があると思っている状態)する子は実際にいますし、

 

管理栄養士養成学校を卒業はするものの知識は一瞬の暗記で通ってしまう可能性もゼロではありません。

 

 

 

 

そういった説得力のある人たちが情報として正しいことを誇張した表現で主張することで、

何も知らない人にとっては何も考えずに素直に『正しい知識を得た』と情報を受け止めてしまいます。

 

 

 

もしこれが本当に正しい情報で『早くて、楽で、単純』だったら良かったのですが、

 

現実的な話をすると、『早くて、楽で、単純』なものだけで上手くいくほど人間の身体は単純ではありません。

 

 

 

 

少し前の記事(『自分ルールを変えるためには 』)

 

 

 

に『何かを得るには同等の対価が必要』と言うお話をしましたが、早くて楽で単純なもので得たものはそれと同等の価値のものが殆どだし、

 

これは私の持論ですが

私が『速くて楽で単純』な作業だけで成り立っているときは

ほかの誰かが『遅くて辛くて難しい』作業を担ってくれているときだと思っています。

 

 

 

『時間をかけたし、辛い思いもしたし、決して簡単に乗り越えることはできなかった』という“努力”を対価にして得たものがきっと、

私の理想であり私にとって最も価値が感じられる瞬間なのではないかと考えます。

 

 

 

 

とはいうものの、心からそう考えられるようになったのはここ数年の話で、

 

私が様々なダイエット法に振り回されたように、実際は私も「早くて楽で単純なものが良いよね」と、

そちらの道を意識的にも無意識的にも選んできました。

 

 

それくらい『遅くて辛くて難しい』ものをやるのには、もしそれが最も理想に近づく最短ルートだったとしても、かなりのエネルギーや決定的な理由が必要なのかもしれません。

 

 

 

しかしよくよく考えみれば、

摂食障害から抜け出すことだったり、他に栄養失調が原因による疾患にかかってしまえば、それこそ『遅くて辛くて難しい』ことになってしまうし、

 

理想の自分に近づくどころかどんどん遠ざかる結果になってしまいます。

 

 

 

最短ルートで楽に自分の理想を叶えようとしているのに、これでは本末転倒ですね。

 

 

 

 

だからこそ、論理的な考え方で自分が納得して選択していく能力が後悔を出来るだけ避けられる道を進むために必要不可欠になるのではないかと私は考えています。

 

 

 

【論理的な思考を得るためには】

 

体に対するデメリットが少ない有益な知識を得る必要があるとはいえ、

私がこれまでに書いた論理的な考え方を得る方法はあまり身近に感じない方が多いかもしれません。

 

 

 

 

健康志向の高まりでお店のメニューや市販されている食品などに『管理栄養士』の文字を見かけることは多くなったものの、

 

国の太鼓判である国家資格を持った食と体の専門家に一人一人に合ったオーダーメイドな指導をしてくれる所はほとんど見かけませんよね。

 

 

 

私は摂食障害を患い病院に行ったから管理栄養士さんとお会いすることが出来ましたし、

 

その後たまたま管理栄養士になりたいと思ったから、現在栄養学を学べる環境へと進学しました。

 

 

 

ところが、病院の管理栄養士さんに相談するのは現実的ではないし、

もし栄養学を学ぶ道を選んだとしても、摂食障害を克服するために進学するというのはあまりおすすめできません。

 

なぜなら、国家資格取得のための学習なだけあってカリキュラムがそれなりに厳しく、

きっと栄養や人の体について学ぶことが「楽しい」と思えなければ途中で頓挫することになりかねないからです。

 

 

「じゃあどうやって学べばいいのさ!」となるかもしれませんが、そこで登場するのが

 

  • 栄養士
  • 保健師
  • ダイエットアドバイザー
  • 食生活アドバイザー

 

など、食や健康・人の身体についての勉強をして資格を得た方たちです。

 

 

上記に挙げた資格を持ち、それを生業にしている方々の方が身近に感じる方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

しかしここでもまた問題がありまして、

 

上記に挙げた方々の言う事を信じていれば100%安全かといえば、そうとも言い切れないことが多々あります。

 

また、これに関しては『管理栄養士』の資格を持っていると示されている場合でも同様です。

 

 

 

そこで次回は、

誰でも『論理的な思考を得る』方法についての注意点(情報リテラシー)についてお話ししようと思います。

 

 

 

 

 

 

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