前回の記事は私たち親子のすれ違いについて書いたのもあるのでその「受け止めること」に関連して、今回は “症状の捉え方”について綴っていこうと思います。

 

 

 

摂食障害は当事者と周囲の関係が難しいのが大きな壁の一つで、特にチューイングや嘔吐に関しては「本人が自発的にやっている」と思われがちです。

 

(私は嘔吐の経験はありませんが※チューイングに関しては症状が出たときは実験しよう①【前置き】 症状が出たときは実験しよう②【本文】という記事にその行為について触れました。)

 

※チューイング:食べたものを咀嚼してから飲み込まずに戻してしまう摂食障害の一つの症状

 

 

そうすると受けとる側は違った解釈のまま話を聞くことになるので、カミングアウトをきっかけに当事者と周囲にさらに大きな壁を作り出してしまうパターンも珍しくありません。

 

またこれは症状について考える以前の問題になりますが、 症状が症状なので、受け取り方とかいう以前に、カミングアウトされる側が受け入れられない・聞き入れられない・ありえないと感じるパターンもあると思います。

私の周りは比較的真摯に話を聞いてくださる方々が多かったのですが、特に同級生の中には受け入れられずにいた子も多く、いつの間にか私の周囲には人がいなくなっていました。

 

 

 

 

 

最近そういうことを考えることがあったことと、「嘔吐は親すら拒否される」という旨のツイートを見かけたのが重なり、

過食や拒食でも理解を得るのが難しかったのに、さらに嘔吐をしていたら母はどうしただろうか、という考えが浮かびました。

 

 

そこでこの前、母に 「私がもし吐いていたとしたら受け入れられた?」と質問しました。

すると母は「自分でわざと吐いているんだったら、“やめればいいじゃん”って思っちゃうかも......」と返ってきました。

 

 

 

 

SNS で同じ摂食障害の方たちのつぶやきを見ていると、 『そんなに苦しいならやめればいいのに』と言われて悲しくなっているという方をよく見かけます。

かくいう私も、学校などで「食べたいなら食べればいい」「食べ過ぎて泣くなら食べる前に量を決めればいい」と何度も言われ、「そうじゃないんだよなあ......」と思うことはたくさんありました。

 

 

 

 

でも確かに、『食べる』という行為は能動的に行うものなので、食べるも食べないも自分次第だし、嘔吐に至っては自分で内容物を意図的に戻しているので、吐くための過程を行わなければ吐かないことは可能です。

 

そうであれば周囲の人たちは「いや、思っているなら行動すればいいよね」って思うのも無理はありません。

 

しかしそれがコントロールできないから、病気なのです。 

 

食べられたら食べているし、食べなくて済むなら食べてないし、吐かなくて済むなら吐いていません。

 

 

 

実は「やめればいいじゃない」と思っていたのは当事者である私も同じで、

拒食症の時期は口に入れて飲み込めばいいものを「怖い」と言って食べずに心配されたいだけなのかもしれな いと思うようになりましたし、過食の時期は自分がただ食べるのが好きで、食べたいという欲に負けているだけで、ただの甘えなんだと思っていました。

 

そのため“自分でやっているようでそうではない”という状態は私自身かなり悩まされましたし、周囲から「自発的なんだから止めれば良い」と言われていれば尚更です。

 

 

 

 

しかしこの病気は“自分でやっているように操られている”という状態で、

本人は「やめたい」と思っているのにも関わらず、病気に「(過食・拒食・嘔吐を)やりたい」と思わされているのです。

 

 

でも当事者本人は病気に乗っ取られている状態なので、その病気を自分と分離して考えることはできません。 だから病気によってやりたいと思う気持ちが自分の気持ちのような気がして自分を責めてしまうし、

周囲からすれば本人が自主的に行っていることに見えて、本人を責めてしまうという事態に陥ってしまうことが多いのではないでしょうか。

 

 

 

私のなかで特に悩まされたのは過食のときです。

なぜなら、拒食が常に『食べたくないから食べない』状態になっているのに対して、過食衝動が起きるときだけ自分の脳内が「食べたい」に支配された気持ちになって、でもそれと同時に「食べて太りたくたくない」という気持ちも強くて、自分でも何が何だか分からなくなるからです。

 

 

しかもその姿をはたから見れば「食べたいから食べている」ので、

食べたい気持ちに負けられず食べた挙句に痩せたいなんて矛盾なことを言う

自分に甘く怠惰な人間だと思われても仕方がない、と思っていました。

 

過食衝動を自覚してから行動に移すまでに時間が空くこともあって、

その時は大抵、一緒にいる母に「食べすぎかな?」「太るよね?」「どうしよう食べたい」などと訴えることが多くありました。

 

しかし、その時に「怖いなら食べるのやめようか。」と返されてその場で食べずにいると、望み通りに食べられなかったストレスでしばらくした後に過食してしまいます。

 

 

 

 

一人でいるときも同様に

自問自答で「太るからやめなよ」「でも食べたい」「食べたら後悔するよ」「でも今日は外食だし、いつも食 べられないんだから良いじゃん」と、まるで天使と悪魔が言い争いをしているかのような展開になります。

 

だから、一回食べたい衝動を抑えられたとしても、その抑えたものがずっと脳内に残り、結局食べられなかったというストレスで違う食べ物で過食してしまいます。

 

 

 

 

今までの経験から言うと

正直私にとって、過食衝動が来た時に無理に衝動を抑えることは逆効果なような気がしました。

 

ではどうしたらいいのか?という話になりますが

上にも書いたように自分でコントロールできるものではないので「嵐を過ぎるのを待つしかない」としか言えないと思います。

 

 

 

 

 

でもただ嵐を待つのではなくて、嵐を嵐だと認識する意識は持っていた方が良かったな、と感じます。

 

嵐が来てしまったらどうあがいても巻き込まれるのは避けられないし、嵐だという事実だけで誰も悪くはありません

しかし当時の私は「嵐が来てしまうのは私のせいだ」と思っていたし、周囲も「嵐が嫌なら来させなきゃいいじゃない」と言っていたのです。

 

 

 

この嵐の例で考えると、自然災害は受動的な現象なので納得がいきやすいかもしれませんが、

摂食障害の拒食や過食、嘔吐の場合は自分で行っているように見えるのが厄介なところです。

 

 

 

そういう意味では、お酒やたばこ・パチンコなどの依存症に似たようなものかもしれません。

でも実はそれらの行動は立派な“症状”なので、本心でやっているわけでは無いのです。自然災害と同じようなもので、受動的な現象に近いのです。

それを周りは疎か、当事者の私ですら気づいていませんでした。

 

 

症状が起こるのは仕方がない・誰のせいでもない、ということを前提に考えられていないと、 自分自身を責めてしまうだけでなく、周りもつい当事者を責めてしまうような物言いになってしまうため、 自分も自分の味方になってあげられなかったし、周囲は“協力者”ではなく“攻撃者”に見えていました。

 

 

摂食障害に関して解説されている症状の中に「周囲を敵だと思う」と書いてある理由の一つとしてこれがある のではないでしょうか。

 

 

 

次回は(その2)、「それを避けるためには具体的にどうするのか?」についての考察や私なりの対処法について 書いていこうと思います。