摂食障害は食事に関する困難だけでなく、その合併症による日常の弊害も多くあります(前回の【日常生活の困難】に詳しく書いています)
が、それよりももっと用心と準備が必要なものがあります。
それは、災害時の準備です。
私がその重要性を感じたのは去年、台風の被害に遭ったときです。
当時の私は、症状の方は回復してきたものの、心療内科や栄養指導には通っていた時期だったので、たまに精神的に不安定になったり過食してしまったりすることが多くありました。
そのうえ大学受験も重なり、あろうことか本番直前に大きな台風がやってきてしまったので、だいぶ精神的なダメージが大きかったです。
正確には、精神的ダメージが大きかったのにも関わらず、感じるのは当日への不安くらいで(みんな受験生は不安を感じるものだ、と思っていた程度)全くそのストレスを自覚していなかったのですが、
その分食べ物や体型・人間関係などのことについてぐるぐる考えて落ち込んだり、意味もなく嫌な気分になってイライラしたり、気分が上がらずにいて怒っていると勘違いされる回数が多くなったり、泣いたりする日が多くなりました。
この一件を通して、自分の精神面が乱れる原因に複数の事が同時に起こったとき(災害と受験と勉強と学校と家の問題が一気に起こったこの例など)が一つにあることが分かりました。
理由はシンプルで、一つ一つ深く考えるのでそれがだんだん増えていったり、急に考えなければいけないことがイレギュラーに追加されたりするからそれに私自身が追い付かないからです。
これは、災害だけでなく普段の環境の変化などでもそれは当てはまると思います。
現在生活に困難をもたらしている流行り病の影響で、せっかく回復してきた私に過去の「痩せたい」「食べたくない」「太ったから終わりだ」という気持ちがよみがえりかけたのもこれが原因だと思われます。
そんな精神状態がぐらぐらしている状態のときの私が助かったと思うことは3つあります。
まず一つ目は、不安以外のことを考えるアプローチをしてもらう事です。
いったん考えていることから離れることで、一時的ですが悩みからは解放される時間ができます。その時間の間は別のことに意識が向くので、悩みを考えている隙がありません。また、日常に戻れば元通り悩みのぐるぐるサイクルが始まりますが、時に一度離れたことで余裕ができて悩みが解決する(若しくはどうでもよくなる)ことがありました。
しかしこれにはデメリットもあって、悩みを忘れさせてくれるようなインパクトがないと悩みからは解放されません。
私の場合はたまたまその時に、今までにないくらい夢中になったショーやパフォーマンスがあったので、その写真や動画を見返したり、思い出を語ったりして気を紛らわせることができましたが、深く考えていることを塗り替えられるほどインパクトのあるものに触れるというのも、なかなかできないのが現状です。
実際私も、必ずしも楽しかった思い出を思い出すことで気が紛れる訳では無いです。そんなときは勉強や運動・読書・映画・外出などで他のことに集中できそうなものを色々試して、今の自分に一番良いものを見つけます。
それでもダメな時は、その感情に一日浸ります。感情に浸っている時間は他の人に関わると不愉快な思いをさせてしまうので一人部屋に籠っていることがほとんどで、こうしてすれ違いをなるべく避ける工夫をしています。
しかし災害や、感染対策で家にこもっている時は、一人でいる時間が減ったり娯楽や外出で気を紛らわせる事ができなくなったりする場合が多いです。
そこで必要になってくるのが2つめの、自分がどうすれば今の焦りや不安、嫌な気持ちから抜け出せるかを整理するヒントをもらう事です。
パニックになって無駄にあがいている自分を、一緒に第三者の目線になって考えようとしてもらうことで客観的に分析して理論的に対処していく方法です。
満杯になってこれ以上何も考えられない私の考えている事を他の人に話し、シェアして一度自身の整理をするための余白を作ります。
そして、今まで「何とかしなくちゃ」しか考えられなかったのを(満杯なコップを見つめて認識することを)、「どうしてこう思っているのか?」「前はどうだったか?」などの点(コップの中を支配しているものは何か、どうしたら中のものを処理できるか)に注目します。
最終的に、「何が余計か?」「なぜこれが余計なのか?」「どうしたら余計な分を減らせるか?」までを一緒に考えてもらって、落ち着いて自分を見つめる補助をしてもらいながら、自分で結論を見出します。
ここでポイントなのが、“自分で答えを見出し”、周囲の人には “ヒント”をもらう点です。
なぜなら、周囲の人の「こうするべきだ」を鵜呑みにしてしまうとやらされている感が強くなり、うまくいかなかったときに他の人に責任転嫁しがちです。
また、「考えすぎだからやめる方が良い」「悩んだって事実は変わらないから切り替えるしかない」「こうどうするしかないのだから嘆くより動け」などの答えが返ってきた場合、そういった結論はすでに承知しているので、言われても「わかってる」と言うしかなくて、すれ違いの原因になります。
それで私は何度も家族と喧嘩になり、相談したはずが逆にモヤモヤを増やしてしまうことが沢山ありました。
そのため、「今の自分は結局何をする方が良いのか?」という点については自分で答えを出した方が良いと言う結論に至っています。
そして最後に3つ目は、不安や嫌な気持ちを聞いてもらう事です。
最初にお話ししたように、私は受験が数日後に迫っていたのですが
学校や塾に行けないので面接練習ができませんでした。AO入試だったので面接は一番重要な部分です。
コミュニケーションについては、高校の間に色々と頑張って鍛え学んできたという自負があるのであまり心配はしていませんでしたが、入退室の仕方だったり受け答えの内容だったり、仕草の細かい部分だったりは殆ど修正してもらう機会が無く、ぶっつけ本番の状態でした。
そんな不安にかられているときに救いになったのが周囲の方々です。
私は嘆いてもしょうがないとわかっていながらも、不安に耐えられずに「不安だ」「自信がない」「できないかもしれない」と日々口にして、タイミングが悪く災害が起こってしまった事をずっと嘆いていました。
しかし、「不安だよね」とそれを受け止め励ましの言葉を下さった方や、「応援したい」と言ってくださった方、「こうする手もあるよ」とアドバイスを下さった方がいました。
さらに叔父は面接官になって練習に付き合ってくれ、質問の返しをメモっているものを見てアドバイスをしてくださった先輩もいました。
一番近くにいた母は「ここまでやっているし、あおいに関して心配したことは一度もない」と言ってくれてすごく励みになったのを覚えています。
そのおかげで私は適度な緊張と不安を抱きつつ、適度な自信とやる気で試験を受けることができました。
精神状態が安定しにくい環境だったのにもかかわらず、後悔なく試験に挑むことができたのは応援してくださったり知識や技術を教えて下さったり手を差し伸べて下さった周囲の方々のおかげです。
本当に感謝しかないです。
そしてやはり、一番負担だった事は、食事に関してでした。
大きな台風の影響で、周辺の地域では水・水道・電気が止まってしまい、学校や塾なども休学。
商品の入荷もたたれ、スーパーやコンビニの商品棚には食べ物がほとんどなくなり、町中の人が一日食べ物を買いに町中を探しまわる日々がしばらく続きました。
私は糖質が取れず、野菜を必ず摂らなければ落ち着かない・指定した時間にしか食べられない……など家で食事をする時にはかなりこだわりが強いので、店頭に食べ物が少ない状況は私にとってもかなりの死活問題でした。
幸い、私が住んでいる家は水道も電気も止まらず(たびたび停電はありましたが)最悪の事態は免れましたが、それでもそれなりに食事の準備は大変でしたし、日々のリズムが崩れて様々な不安がつのる日々はとてもストレスでした。
災害時に行った食事の内容はどうしたかというと、冷凍野菜やツナ缶・鯖缶などの魚の糖質が低い缶詰、一日店を探し回って手に入れたサラダチキンや、おつまみとして売られているワカメやウズラの卵など(乾きものなので保存性が高い)を食べていました。
ちなみに冷凍野菜は、場所によってお店も停電していて商品がすべて駄目になっている場合があり、スーパーなどの比較的大きい施設で購入できました。店側が保存するのが難しいというのもあるからか野菜は殆ど店頭に出されることが無く、一番手に入れるのが難しかったのは野菜だと言えます。
缶詰は本当に重宝しました。
スーパーに行ってお惣菜が残っていても、それが揚げ物だったり主食のようなものだったりすると私は食べることができません。また、家にストックしてあるカップ麺やお菓子類、非常食(乾パンやごはんなど)も食べることができません。
そのため、家にストックしてあったツナ缶や鯖缶は唯一の許可食(罪悪感なく食べられる食品)で、ほとんど毎日それらを食べていました。
一方、治療中に拒食対策をするために3食の時間を決めていた影響があったからか、朝昼夜と決まった時間に食べられないとイライラする状態でした。夜に関しては18時以降は食べられなかったので、夕食の時間には特に敏感に反応していました。
ところが道は食べ物を探す人・コインランドリーを探す人・温泉を探す人・ガソリンスタンドに向かう人……人であふれかえり、一度外に出るとなかなか家に帰れません。
そうすると固定の時間に家にいて食事を済ませるという事は不可能になります。
固定の時間から少しずつ時間がずれればずれるほど、町中を回っている車の中でイライラしていました。
「食べ物を探しに行かない」という選択も考えましたが、その方法はあまり使うことはありませんでした。
なぜなら、学校やジムに行けなくなった分、活動量が減って一日の消費カロリーが少なくなったからです。
食べ物の時間(食べること)より、消費カロリーを確保する方が私にとって最優先事項だったのでイライラしながらも食べ物を探しに行く車に同乗して店をまわりました。
『災害時のための備えが大事』とはよく言いますが、何か日常生活に不安がある場合は治療や日常の困難ばかりではなく災害時のリスクに関しても考えておかなければいけません。
今回私は精神面と食べ物に困難さを強く感じましたが、もし家や大きなスーパーに電気が通っていなかったら野菜は食べられなかったし、水道が止まっていて家の飲み物のストックが無かったらジュースが飲めなくて飲み物に困っていたかもしれません。
薬が無くなっていたら病院に行くこともままならず苦しむことになっていただろうし、冬だったら寒さに耐えきれず凍えていたかもしれません。
窮地に陥ったとき、もし食べるものがおにぎりだけだったとしても私は多分「痩せるチャンス」として食べない選択をしていたでしょう。
被災してもなお払拭されないこだわりの強さを思うと、やはりこれはれっきとした病気なのだと感じます。
大事なのは、今の自分は何が必要なのか考え対策をしておくことです。
例えば、今回のように
・缶詰などの保存のきく食品の中に許可食を見つけておく
・痩せた状態で脂肪がほとんどなく寒さに弱いのであれば冬の災害時は本当につらいのでブランケットやカイロ、靴下やスリッパなどの防寒対策はしっかり準備しておく
・薬が手に入らなくなったり体調が急に変化したり災害時の怪我に備えて、お薬手帳はコピーして非常用持ち出し袋に入れておく
など、それぞれの症状や万が一の事態、季節ごとの対策は必須です。
また、周囲の信頼できる人たちには頼りたい部分を頼りたい人に言っておく必要があります。
友達に話せること・話せない事、家族に話せること・話せない事があるように、頼らせてもらう人によって得意なことが違います。
それは同時に、一人の人にすべてを伝えようと頑張る必要がないこととも言えます。
私は一番一緒にいる時間が長いのが母なので、母にすべて理解してもらおうと一生懸命になっていました。
しかし今回お話しした受験の時のように、いろいろな人に様々な助けを出して支えてもらった経験からこそ、このような発見をすることができました。
おかしな話にはなりますが、普段「迷惑なんじゃないか」と思って助けを求められない私も、“被災”というものがクッションとなっていたからか、今まで以上に沢山の方に甘えることができた気がします。
そして今でも、あれは確かに“迷惑”だったかもしれないけれど、頼ることで相手を不愉快な気持ちにさせた訳では無いのではないか?と思えています。
その代わり、感謝を伝えることや、私が受けてありがたいと思ったことを次に受験を控えている友人にするという形で返そうと考え形にできました。
まだ自分から甘えに行くことは苦手だけれど、良い形にすることができたこのことは忘れずにいたいです。
災害時に頼った方が良さそうなものとして、一例ではありますが挙げていきたいと思います。
私の場合、筋力が無い・食べられるものが少ない・時間に制限がある・寒さに弱い・急な体調変化があることが災害の時に困ってしまうと予測できます。
※これは体重も筋肉量もまだ不十分だった被災当時の問題事項です。このブログを書いてある今の状態だとまた対策が違ってきます
避難するときはあまり早く走れないので、坂などは補助してもらう・避難の最短ルートを事前に確認しておくなどの対策を一緒にやってもらうことをお願いします。
食事では、非常用持ち出し袋に許可食になる缶詰を入れておいてもらいます。時間に制限があって過ぎるとイライラしてしまうことは、事前に言っておくか否かで相手の対応がかなり違います。
寒さや体調変化についても食料の確保と同様、事前に自分で準備しておく、若しくは家族に購入をお願いしておく必要があります。
家にいる時は過食衝動に駆られることは無く、チューイングの症状も克服していたので家の中の食べ物を食べつくしてしまうなどのことは起きませんでしたが、同じ摂食障害でも被災した時期や自分の体のリズム、症状の強度や周りの環境によって問題が出てくることが変わります。
もし今の環境(食べ物が確保できる・お手洗いに好きな時に行ける・冷蔵庫や冷凍庫が使える・水道が通っている・時間が自由に使える等)が維持できなくなった時、または急いで避難しなければならないときに自分や家族はどのような部分が問題になるのだろう?というのを一度考えてみて下さい。
普段でも困難なことや心のすれ違いが多く発生するのに、災害時となると周りも私の病気に関して気にかける余裕はありません。同時に、私も病気のことで頭がいっぱいなのにさらに考えなければならないことができてしまうと、対策や分析などをじっくりしている余裕はありません。
だからこそ、落ち着いて考えられるタイミングで必要な準備や対策を行う必要があります。
もし大きな災害に見舞われて避難できたとして、せっかく助かった命でもその後の避難先で病気が急激に悪化してはもともこもありません。
自分も周りも、イレギュラーなことに対する心構えがあるだけでストレスへの対処のしやすさが格段に違うと感じました。
薬についてや普段通りの生活ができなくなって困ったときの具体的な対処法(生活的にも精神的にも)を、病院の先生若しくはカウンセラーさんとお話ししてみるのも一つの手としてありだと思います。
皆がパニックになったとき、自分の命を守れるのは自分だけです。
病気と向かい合いながらも最悪の事態を防ぐために、こまめに家族と話し合うことをお勧めします。