どちらもアニメ化する前に記事にするほど好きな漫画二つであったが、アニメ化にあたっての作風が全く違う。葬送のフリーレンは原作のイメージを維持しているような感じがするが、ダンジョン飯は元のイメージを崩しているように見える。個人的な解釈だが、葬送のフリーレンのアニメは良く出来ていると思うが、ダンジョン飯は落第点レベルで作画や雰囲気が悪い。なぜそう見えているのか色々と考えた結果、以下の感じにまとまった。

 

1.漫画を元にアニメで肉付けをする

葬送のフリーレンは所々肉付けが多く見られる。逆にダンジョン飯は漫画をよく見ていると所々端折られている事が多い(特にセリフや回想等)。これは一概に大雑把な漫画なのか精細な漫画なのかの差異によるものだと考えられる。葬送のフリーレンは悪く言えばすごい大雑把な漫画である。所々はシーンが飛ぶのは当たり前でその辺はイメージで補完しないといけない。これはアニメ化にあたっては逆にやりやすい部分である。例えば、葬送のフリーレンは通常戦闘シーンなんか2コマ程度しかないが、アニメ化にする場合には有効に使える。尺伸ばしやアニメオリジナルのシーンを沢山入れやすい。最終的に漫画の結果になっていれば読者も納得するため、非常に利用しやすい。

 

2.細かすぎて伝わらないダンジョン飯

漫画で非常い細かく書いている。キャラの精細な性格も漫画のほうがしっかりしているし、アニメ版は端折りすぎてキャラの性格が少々ブレている所もある。例えば、チルチャックは種族的にはもうオジサンなわけで、年齢的には他の種族と比べると若いものの色々小言を言いたくなる年齢に入っている。なので、事ある毎に注意や諫言が飛び交うのだが、アニメだと抑えめにされているため、見た目可愛いだけのキャラにされがちである。また、色々と省いている所為で久井先生独特のギャグシーン等が分かりにくい(チルチャック回想時のミミックのセリフを省いたり)。一般化するにあたって伝わりやすいように表現したのだろうが、久井先生の味があまりしない。個人的にはレッドドラゴン戦はダンジョン飯の中でも緊張感のある戦闘シーンであったが、アニメでは表現が軽すぎる。結構あっさり倒したように見えるが、パーティの大半が戦闘不能になるシーンはファリン初戦含めても数える程しかない。もうちょっと描写を細かく(倒す時間を長く)してほしかった。葬送のフリーレンなんか2コマで戦闘が終わったのに「強敵だった……」なんてセリフがあるぐらい大雑把である。誰も戦闘不能になってないし、どこが苦戦したのか。

 

3.アニメにしやすい葬送のフリーレン、アニメにしにくいダンジョン飯

結論としてはこんな感じだ。というか、久井先生独特の雰囲気をアニメに移せる程の超有能な監督が居ないだけなのもある。ベルセルクだって漫画は超が付く程好きな漫画であるが、アニメ化やOVAは一切見ていない。ちょっと見ても、ベルセルクに似せた何かに感じるだけで興味が沸かないのである。実際漫画も続いてはいるが、以前書いた記事のようになるだけである。

 

 

 

面白い、とはその人独特の何かを指した特別性を表している以上、それそっくり表現するのは非常に難しいのかもしれない。一応どちらも原作は好きなのだが、ダンジョン飯は何やら不遇感を感じているので記事にしてみた。とはいえ、漫画だけではダンジョン飯もこれ程有名にはなれなかったし、読者としては喜んでいいのか、不満に思っていいのか痛し痒しな所である。