本当はこんなこと書きたくないけど、大谷翔平選手は冒頭コラムのメインキャストなので、避けては通れぬこの話・・・
大谷翔平選手の水原一平通訳が、違法賭博に関与したとしてドジャースを解雇され、21日は朝から大騒ぎになったことは皆さん当然ご存知だと思います
因みに、この日は山本由伸投手が大リーグで初登板し、本来なら当日のテレビ番組は、朝から山本投手が主役になった筈なのに、一平さん騒動で洪水を差されたのは可哀想のひと言でした
おまけに、散々の投球内容だったし・・・
一平さんは会見等でのマスコミ露出が多く、悪い連中の目には格好のカモと写り、様々な誘惑があったでしょうが、誘惑に勝てずにこんな展開になったことは残念で仕方ありません
僕らが期待したいのは大谷選手が新天地のドジャースで昨年以上に活躍することですが、こんな状態だと野球に集中できる筈もないので、早く本人の口から疑惑についてコメントし、この騒動の真実を明らかにし、早く解決してほしいと思います
「野球しようぜ」
本編はここから
【2023年2月の関西への旅 その7】
この日の大津観光の最終目的地は三井寺(みいでら)
三井寺のことを同寺HPから丸めて引用すると~
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有する三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」と言われる天台寺門宗の総本山・・・
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性により、天台別院として中興され、以来今日まで続く千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられつつ、苦難を乗り越えてきた様から、「不死鳥の寺」としても知られてるとのこと
寺社仏閣大好きな僕にとって、同寺は下鴨神社や上賀茂神社と並び、是非とも参拝したかったものの~
既に16時近く、拝観時間は17時までだったので、ドタバタしながら参拝開始
さっそく、
食堂(じきどう)が見えてきたけど、
この建物は多くの僧や宗徒を擁した中世の大寺院にあった食堂の古式を今日に伝えていると言われていて~
のっけからスゴい建物が現れたなと思いつつ、テクテク歩くと~
目の前に現れたのは
金堂
さっそく手水舎に近付いて~
『うげっ・・・
』
と毎度お馴染みの急階段に一瞬躊躇したものの、すぐに気分を取り直して階段を上りました
そこで目に入って来たのは
近江八景で知られる三井の晩鐘(みいのばんしょう)
「思うその 暁ちぎる はじめとぞ まづきく三井の 入相の声」
と詠まれるほどの名鐘であるとともに、古来より
音の三井寺と称され、
形の平等院、
銘の神護寺と共に、
日本三名鐘とも呼ばれてるんだよ~
うんうん、そう聞くとこの鐘もスゴく立派なものに見えちゃいました
そして、次に目に入ったのは隣にある
金堂
金堂は三井寺の本堂で、天智天皇ゆかりの寺として7世紀に創建されて以来、幾多の法難に遭い、伽藍の焼失と再建を繰り返し、現在の金堂は豊臣秀吉の正室である北政所(ねね様)が再建したとのこと・・・
こんな所にさらっと北政所の名前が出るなんて、やっぱりスゴいなと思っちゃいました
ここには、NHKテレビ小説
おちょやんが当地でロケしたとの貼り紙があったけど、こんな風情ある古社ならば当然だなと思いつつ~
一切経蔵に向かって歩いて行くと、ふと気付いたのは画像左下にある~
「危険です、通行注意滑ります」と書かれた看板で~
パッと見、何も気にする必要がなさそうだけど、恐る恐る歩いちゃいました
はい、僕は根っからのチキンハートで~す
と言うことで、転ぶことなくソロリソロリと通り、急階段も転ばないようエッチラオッチラ歩いて行って~
三井寺唯一の禅宗様建築である一切経蔵に辿り着きました
建物内部には八角形の回転する輪蔵が据えられ、仏典類を網羅した一切経を収蔵しているとのことだけど、やっぱりスゴいなと思っちゃいました
その後、訪れたのは
霊鐘堂で~
この中には奈良時代に製作された
梵鐘が安置されてるけど、
この鐘は三井寺が比叡山と争ったとき、武蔵坊弁慶が三井寺から奪って比叡山へと引き摺り上げたという有名な説話で知られ、弁慶の引摺り鐘と言われてるんだよ~
そうそう、きっとこんな感じだったんだろうけど、こんなの運べるのは相撲力士か弁慶くらいだろうね
(因みに比叡山の高さは800m、気合だけじゃ無理そうだね
)
その後、再び
一切経堂に戻り、先に進むと~
武士の献立や
るろうに剣心のロケ地の貼り紙を見つけたけど、やっぱり当寺はスゴいなと思いました
その後、隣にある
三重塔を見つけたけど、この塔は
徳川家康が寄進したものと言われるけど、北政所とか徳川家康とかの名前がボンボン出るなんて、ここはやっぱりスゴいなと改めて思っちゃいました
その後、
三井寺の開祖・智証大師の御廟として三井寺の中で最も清浄な聖域と呼ばれる唐院潅頂堂を見た後に~
その後、時間も結構経ったので、急ぎ足で歩き出して~
少し雰囲気が変わって来たなと思っていると~
『おっ・・・
』
誰かいるなと思ったら、天台宗の開祖である天台大師だったよ~
その後、
弁慶力餅が見えてきて~
ここにはイートインスペースがあったけど~
さっき書いた
弁慶の引摺り鐘の話を聞くと、この餅が食べたくなるよね~
とは言え、時間がなかったので、写真だけ撮ってスルーしちゃったけど
その後、更に進んでいくと~
『おっ・・・
』
見晴らしがいい場所に出て来たなと思っていると~
目の前に現れたのは
観音堂
この観音堂は、
西国三十三所観音霊場の第十四番札所で、後三条天皇の病気平癒を祈願して平安時代の1072年に創建され、江戸時代に再建されたと言われていて~
目の前には手水舎があり、しっかり身を清めてお参りしたけど、足元には雪が残っていてビックリしちゃったよ~
その後、大津そろばんの碑を見るために、再び階段を上ると~
開放感溢れる空間が広がっていて~
大津そろばんと書かれた碑を見つけたけど、
大津そろばんは日本式のそろばんのルーツと言われ、かつては「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」と全国的に名を馳せたんだってよ~
実はここに来たのは、見晴らしがいいと書いてあったからで~
琵琶湖・比叡山から吹いてくる風を受けながら、ボ~っと絶景を楽しんじゃいました
月見の絶好の場所と言われ、謡曲三井寺にも登場する
観月舞台が目の前に現れたけど~
正に今、観月舞台では春の特別公開として5分間の特別貸切拝観してるんだってよ~
(ご興味ある人は下記リンクから当寺HPをご覧ください)
また、ここには
百体観音堂があったけど、ここで興味あったのは~
『あはは、ユルイの大好き~
』
大好物の妖しい姿、こういう出会いがあるから旅は止められないよね~
と言うことで、今回はドタバタだったけど、念願叶って三井寺を参拝することができて嬉しかったよ~
琵琶湖遊覧船が停泊していたので~
近付いてパチパチしてると~
『おっ・・・
』
白鳥とかいっぱいいて、楽しそうに泳いでたよ~
ここは朝、息子君が憩いの場所と教えてくれた場所からほど近く~
普段こんな風景を眺めてるかと思うと、ちょっぴり羨ましく感じちゃいました
その後、再びテクテク歩き出し~
前話で登場した
丸屋町商店街に戻って来ました
この商店街では
坂本龍馬襲撃事件でお馴染みの寺田屋のお登勢さんの実家跡地碑を発見したけど~
『おお~っ
』
ここには、
お登勢さんの写真も飾ってあったよ~
また、ここにはちま吉君と幼馴染のおチマちゃんが並んでいたけど、これまた可愛かったよ~
さ~、楽しかった大津市プチ旅行もいよいよ終わり・・・
って、このまま息子君の家に帰る僕じゃないよね~
「2023年2月の関西への旅」編は、あと2話続きま~す