前話から昨年11月のことを書き始めましたが、その後も今日に至るまで、関西には4回訪れ、楽しい出来事や美味しい食べ物に出会いました
ただ、今のペースで書き続けると来年中に書けるか微妙ですが、それも仕方ないかなと思っています 笑
(開き直りって言わないでね〜笑)
「青ブロ」を書くのは、もちろん皆さんに楽しんでもらうことが大きな目的ですが、一方では日記代わりとして老後の楽しみにしたいとの思いも込めて書いてますので、これからも贔屓にしてもらうと嬉しいで~す
今回の話も先日の曽根崎心中のように最後は意外な方向に流れて・・・
『いちま〜い、にま〜い』
このフレーズ聞いたら、何が登場するのかお分かりですよね~
本文はここから
【令和4年秋の関西への旅編 その2】
さぁ、いよいよ待ちに待った姫路城はもう目の前・・・
僕は根っからの歴史オタクで、これまで北は五稜郭から南は首里城に至るまで、数多くの名城を訪れてきました

そんな僕にとっても姫路城は最高峰に位置付けていて〜

姫路城は、平成5年12月に奈良の法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産となり、シラサギが羽を広げたような優美な姿から白鷺城の愛称で親しまれる天下の名城で、江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ・・・
白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5重6階地下1階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴で、現在目にしている姫路城の大天守は慶長14年(1609年)に建築され400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しているそうだよ~


まずは、橋を渡って~

『うんうん、去年の今頃はまだコロナが気になってたもんね~
』

とコロナ対策用の看板をしっかり確認した後に~
菱の門を潜りました

その後、西の丸に向かって歩いて行ったけど~

ここには天守閣の西面が際立って見える庭園があり、これまた壮麗だなと思っちゃいました

その後、百閒廊下入口に向かって歩いて行って~

ここから中に入ると~

百閒廊下の名の通り、長く続く廊下を歩いて行くと~

『おお~っ
』

ここには美しい姿の千姫が優雅な姿を見せてたよ~

因みに、千姫とは徳川家康の孫娘で、豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂夏の陣で豊臣家が滅んだ後は、本多忠刻に嫁ぎ、この城に住むことになったのよ~

あまりの壁の高さに驚きつつ~

石垣の間の道を通り抜けると~
『あはは・・・
』

その後、大勢の人と共に最上階に登ると~

『おお~っ』
スゴく広いうえに、火災・災害などの災いの神として崇められる長壁神社があったので~

『この未曽有のコロナ災害が早く収まりますように
』

『我が家に災いが訪れませんように
』

と静かに手を合わせました

その後、城主気分で外を眺めたけど、南の方には、さっき歩いた駅へと続く道がくっきり見えたよ~

『おお~っ
』

遂に播州皿屋敷のヒロインであるお菊さんが責め殺されて投げ込まれたと言われるお菊井戸が目の前に現れました

因みに、皿屋敷とは、お菊の亡霊が井戸で夜な夜な「いちま~い、にま~い」と皿を数える怪談話の総称で、姫路が舞台の播州皿屋敷と江戸番長が舞台の番長皿屋敷が有名だよね~

と言うことで、お菊さんが投げ込まれて井戸を恐る恐る眺めると~

再び姫路市内を歩き出しました

姫路城散策は思った以上に時間がかかり、お腹は既にペッコペコ・・・
次回はお楽しみのランチ編だけど、ケンミンショーで見て以来、食べたくて仕方なかった逸品が登場しますよ~
