【令和ゆかりの太宰府を訪ねて 前編】
「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(くゆ)らす」
令和元年を10日後に控えた平成31年4月21日(日)、晴れ
令和元年を10日後に控えた平成31年4月21日(日)、晴れ

この日は「令和」ゆかりの地として脚光を浴びた太宰府を訪れました

「令和」というフレーズが、日本最古の歌集である「万葉集」の「梅花の歌」から出典されたことは皆さんご存知のことと思います

「梅花の歌」は、奈良時代の初めに、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれたこともすっかり有名になりましたね~

(それまでは全く知らなかったけど・・・
)


ここにあるのは「梅花の宴」の再現模型で~


「梅花の宴」とは、730年に大伴旅人の屋敷で催された宴会で、梅花を題材に32首の歌が詠まれたそうです


この楽しそうな宴に大伴旅人が詠んだ歌は~

「我が園に梅の花散るひさかたの 天(あめ)より雪の流れ来るかも」
華やかな舞台に似つかわしくないはかなさ漂う句で~

その謎を解く鍵は、宴の前年におきた「長屋王の変」ではないかと言われてるけど、都での政敵との争いがこんな華やかな場にも心の底を占めてたのかな~

