平和祈念公園とひめゆりの塔にて込めた平和への祈り | 青ちゃんのハッピー気分なブログ2(青ブロ2)

【最後の家族旅行は沖縄へ編 その13】



「おきなわワールド」でいっぱい遊んだ後、

子供達に平和のありがたみや戦争の凄惨さを伝えるため「平和祈念公園」へとやって来ました。


「平和祈念公園」とは、本島南部の「沖縄戦終焉の地」、糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、

南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にあります。



太平洋戦争で最後の激戦地となった沖縄は、軍人・民間人合わせて24万人もの尊い命が失われ、

この辺りはアメリカ軍に追い詰められ、絶望のうえ大勢の人が自ら命を絶った悲しい場所で、

この公園は世界の恒久平和を祈念し、平和情報を発信する場所として整備されました。


と言うことで、さっそく長い階段を上って~




「沖縄平和祈念堂」前にたどり着きました。




ここには「平和の鐘」があったので、記念撮影した後、平和への祈りを込めて鐘を鳴らしました。




その後、「平和祈念堂」の中に入って~



まっすぐ進むと~



高さ12mもある「沖縄平和祈念像」が見えてきました。




この像は、沖縄県民はじめ全国民の平和願望や戦没者追悼の象徴として建設されていて、

僕ら親子も世界平和を祈りました。



その後、「平和祈念堂」を出ると~




テクテクまっすぐ歩くと~



「平和の丘」が見えてきました。



まず見えてきたのは、「島守の塔」で~



この塔は、第27代沖縄県知事の島田叡氏や警察部長の荒井退造氏を始めとする

県庁職員458人を合祀した塔なので、静かに手を合わせました。


その後、再びまっすぐ歩くと~




「島田叡氏や沖縄県職員の慰霊塔」があったので、再び手を合わせました。



その後、「青ブロ」恒例の急階段を上がると~




沖縄県知事の島田叡氏と警察部長の荒井退造氏の終焉の地碑があり、
またまた静かに手を合わせましたが~



この辺りは、今では平和そのものの風景となっていますが、

当時は凄惨な風景が広がっていたのかと思うと、切ない思いでいっぱいになりました。



その後~


「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、

国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられた全ての人々の氏名を刻んだ

記念碑「平和の礎」の間を通り抜け~



「平和の火」の前にやって来ました。




因みに、「平和の火」は、沖縄戦でアメリカ軍が最初に上陸した座間村阿嘉島で採取した火と

広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」を合わせ、1991年(平成3年)に灯した火を

平成7年(1995年)6月23日の慰霊の日にこの地に移し、灯し続けているそうです。




日本では幸いなことに、太平洋戦争終結後には戦禍に見舞われたことはないものの、

シリア等、世界のどこかで常に発生している戦闘行為が一日も早く集結し、

平和な世の中となるよう強く祈りを込めました。



青い空、青い海・・・


今の僕らには素敵な景色にしか見えませんが~



沖縄戦の最中には大勢の人たちが「捕虜になるなら自決しろ」との命令にしたがい、

絶望の淵に突き落とされながら、崖から飛び降り、尊い命を絶たれました。



『この平和がいつまでも続きますように!!


切に切に祈っています。


その後、「平和祈念公園」と並んで戦争の凄惨さを伝える「ひめゆりの塔」にやって来ました。



「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、

沖縄戦の翌年である昭和21年(1946年)に建立されたものです。


因みに、「ひめゆりの塔」の名前の由来となった「ひめゆり学徒隊」を簡単に説明すると、


沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子学生が、

第二次世界大戦終期の1945年3月23日、南風原の沖縄陸軍病院に配属され、

勤労奉仕で看護、死体埋葬などの作業を手伝っていました。


同4月1日にはアメリカ軍が沖縄本島にも上陸し、5月には南部にも戦線が迫ると、

彼女達は日本軍とともに陸軍病院を出て砲爆撃の続く中を本島南端部に向かわせられ、

6月18日には突然軍から解散命令がでて彼女たちは戦場の中に放置されたため、

どこに行っていいか分からず逃げ惑い、動員された教師・学徒240人中136人が亡くなられました。


と言うことで、僕ら親子もお参りするために、献花を買って~




敷地内に足を踏み入れました。

中に入ると「ひめゆりの塔の記」があり、前述したひめゆり学徒隊のことを学びました。



その後~




テクテク歩いて行くと~



「ひめゆりの塔」が見えてきました。



「ひめゆりの塔」の前に立ち、亡くなられたひめゆり学徒隊の皆さまのご冥福を祈るとともに、

沖縄戦で亡くなられた全ての人へ哀悼の意を表しました。



因みに、「ひめゆりの塔」の前にある大きな穴は、

ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人などおよそ100名が避難しておられ、

解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて80人余りが亡くなられたそうです。


今の平和な世の中は、皆さまの犠牲の上に成り立つもの。



そんな思いを持つのは僕だけではないようで、ここには多くの千羽鶴も飾ってありました。




そして、この横には「ひめゆり平和祈念資料館」があったので、見学に向かうと~



沖縄らしい綺麗な花が咲き乱れるなか~




『んっ・・・!!




足元をチョロチョロしてる物体があったので、しげしげ眺めると、

それは体調20cmほどのトカゲでした。



昨日は韓国と北朝鮮の歴史的な会見があり、平和への足音が聞こえ始めてきましたが、

この取組みが奏功し、恒久的に平和が続くよう切に願っています。



1ヶ月に亘って書き続けてきた沖縄の旅は、次回いよいよ最終回です。


【「青ブロ」のバックナンバー】

1原爆ドーム(広島市)



「1945年ヒロシマの暑い夏」編



2「平和記念像」(長崎市)



「長崎平和記念像に込めた平和への祈り」編



3「大刀洗平和記念館」(福岡県三井郡)


「平和への願いを込めて~秋桜と平和記念館~」編


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