【春の豊後路編 その5】
「昭和レトロ蔵」を出た後は、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」のメインロケ地である
豊後高田市を散策することにしました
前話で紹介した「昭和レトロ蔵」を出て、右に向かうと~
「駅通り商店街」があったよ~
早速、レトロ感漂う「大衆食堂 大寅屋」を覗くと~
たかな焼めし(350円)、ちゃんぽん(350円)、ハヤシライス(400円)、
カレーライス(350円)、親子丼(350円)、かけうどん(200円)、カツ丼(450円)・・・
って、どんだけ安いね~ん
当店は見た目も昭和だけど、値段も昭和や~ん
因みに、当店は昭和55年から値上げしてないそうなので、これからも頑張ってほしいよ~
その後、テクテク歩くと~
「カフェ・バー・ブルヴァ-ル」が見えてきて~
当店には僕も飲んだことない脱脂粉乳や~
あげパンなど、昭和の学校給食メニューが~
こ~んなにたくさんあるんだよ~
この日は残念ながら、食べることができなかったけど、こんな感じのメニューなんだって~
因みに、これは「揚げパンと鯨の竜田揚げランチ」だよ~
この画像を見てると、牛乳瓶の蓋を外すのに、難儀したことを思い出したよ~
そして、「尾鶴ラジオ電機商会」の店頭には~
昭和28年頃のテレビや~
同じく昭和28年頃のSONY製「オープンリールテープレコーダー」があったけど~
さすがに、この時代のは知らんわ~
でも、昭和48年頃のSONY製「ベータマックス」は名前だけ知ってるし~
(我が家はVHSだったから・・・)
昭和50年代のウォークマンは当然知ってるよ~
それにしても、ウォークマンが登場した時はスゴイ衝撃だったけど
今思い返してみても、画期的な商品だったんだね~
当時の日本はこうやって続々と世の中を変える商品を産み出していただけに、
アメリカが作った商品のサプライヤーと化した今の状況について、
SONYを創業した井深さんや盛田さんはどう思ってるんだろうね~
いけない、つい本音が・・・
その後、「まごころ」の店頭にはカキ氷の機械があり~
昔懐かしのパチンコ台も置いてあったよ~
その後、「新町通り商店街」に入ると~
豊後高田市を紹介する看板が設置されていました
この看板によると~
「豊後高田市の商店街は、江戸時代から明治・大正・昭和30年代にかけ
国東半島一の賑やかな町として栄えていました。
しかし、高度経済成長を境に徐々に元気を失い、現在を迎えています。
豊後高田「昭和の町」は、そんな商店街に再び賑わいと元気をよみがえらせようと、
平成13年9月に始まった町づくりです。
懐かしさが、ここにはまだ大切に残っています。
貧しく不便でも生きる手ごたえがあったあの時代に一瞬でも思いを馳せていただければ、
これに過ぎる喜びはありません」
なるほど、そんな思いがあったんだね~
確かにこの通りを歩いていると、子供の頃に戻ったようで、懐かしさが胸を込み上げてきたよ~
その後、テクテク歩くと~
昭和37年当時の値段を表示したガソリンスタンドや~
(現在は営業してませんので、お間違えなく)
アイス・ソフトには目がない僕は、当然のように~
『あはは・・・』
またまた買っちゃたけど、昔懐かしのミルク味が美味しかったよ~
そして、昭和の壺焼き芋のも心が引かれたものの~
来店したのは「にくの金岡」
ここも歴史ある店で~
(文章書くの疲れたので、割愛します・・・)
『おばちゃん、コロッケ1個ちょうだ~い』
と、子供の頃のように注文して~
ひと口食べると~
『涙が出るくらい美味いよ~』
子供の頃、お袋さんに連れられてコロッケを買ってもらっていた日々を思い出し、
二度と戻れないあの頃に、一日だけでもいいから戻ってみたいと切に願いました
(因みにお袋さんは元気にしています・・・)
感じのいい通りを歩くと~
「この子が大きくなった時には、一体どんな世の中になっているのだろうか」
と思いつつ、豊後高田市を後にしました
その後、少し小腹が減ってきたので、この辺りで最もお気に入りの店に寄り道することにしました
「春の豊後路」編は、次編最終回で~す