サムライブルー龍馬の写真をあれこれ撮りまくった後

すぐそばにある「雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)」にやって来ました

「雲仙岳災害記念館」とは、1990年(平成2年)11月~1996年(平成8年)に起こった

雲仙普賢岳の噴火により、この地で何が起き、何が残ったのか

自然の脅威と、災害の教訓を、後世へ残すために建設された博物館です


まずは、義援金への感謝、被災された方への鎮魂、復興への希望を表している

溶岩と水を配置したモニュメント「COSMIC VOLUME(宇宙の力)」が目の前に現れました


この日はメッチャ暑かったので、ここで水遊びしたいと言う息子くんに

『時間がないからダメ』と言いつつ、入口に向かいました…


そして、入場料1,000円を払って、中に入ると~


普賢岳での溶岩が流れる様子をジオラマで確認したり~


火砕流の流れる速さを体感するために~


こ~んな風に立って、あっと言う間に赤い光が通りすぎる様を眺め

火砕流のあまりの速さにビックリしました


因みに、雲仙普賢岳は189年の沈黙を破って、1990年(平成2年)から噴火を開始し

1991年(平成3年)には大規模な火砕流で、死者・行方不明者を43名も出し

1996年(平成8年)に収束するまで、更に死者1名を出す大惨事を引き起こしました

(この画像はお借りしたものです

そして、ここには被災地から引き揚げてきた品々が往時の様子を覗えるよう


ひっそりと展示されていたので~


そのあまりの変わりように、ただただ自然の怖さを痛感しました
普賢岳の火砕流では大勢のマスコミの方が被害に合われましたが
恐らくその方達が使っていたであろうビデオカメラや~
その他の機材類
後部がえぐり取られて、見る影もないスクーターや~
タイヤがすっかり溶けてしまった自転車や~
グニャグニャになってしまったガードレール等を見ていると
人間の力ではどうすることもできない自然の脅威に、言葉を発することもできませんでした
息子くんにとっては、普賢岳の大惨事の際は生まれてなかったので
今まで知らなかったのですが、実際に被害状況を見る事により
自然の脅威を痛感することができたみたいでした
ここには、その他にも展示スペースがあったり~
VTRで当時のニュース番組を観て、更に自然の脅威を思い知ることができました
そして、お約束のポーズや~
顏出しパネルをして、「がまだすドーム」を後にしました
その後、当時救助活動をする際に使用していた~
ヘリコプターや~
装甲車を見学しつつ~
命をかけて、災害救出活動を行った方々の熱い思いに、胸が熱くなりました
ここには犠牲になられた方々の慰霊碑があったので~
静かに手を合わせ、被害に会われた方々のご冥福を心からお祈りしました
その後、車を南に走らせて~
実際に被害を引き起こした水無川へとやって来て~
もう二度とこの地で、いや日本で、世界で、このような惨事が引き起こされないよう
しばし、この地に立ち尽くし、静かに神さまへお祈りしました
その後、更に車を走らせていると~
得体のしれないおじさんが現れましたが~
『この人は一体誰・・・』
こんな出会いがあるのも、旅ならではの楽しみですよね~
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「1945年ヒロシマの暑い夏」編