【大自然溢れる道東へ編 その3】
話を少し巻き戻し、網走湖から「網走流氷館」に移動するまでの間![]()
皆さん網走と言えば真っ先に思い出すであろう「旧網走刑務所」を移築・復元した![]()
「博物館 網走監獄」に行きました~
1890年(明治23年)、人口わずか631人しかいなかった網走に![]()
釧路集治監より50名の囚人が送られてきたのが、網走監獄の始まりと言われています![]()
彼らが連れてこられたのは、網走~旭川を結ぶ道路を建設し![]()
北方のロシアからの脅威から日本を護り、北海道の開拓を進めるためだったのです![]()
と言うことで、さっそく車から降りて歩き出すと~![]()
立派な門がお出迎えしてくれましたよ~![]()
それにしても、この門も見事なら、ここから正門へと続く道も綺麗だったよ~![]()
そして、正門前にやって来ると~![]()
警備員のおじさんと~![]()
囚人の人が左右に分かれて立っていたので~![]()
『はいチーズ
』
今回は監獄に合わせて「捕まっちゃったバージョン」だそうですよ~![]()
その後、「教誨堂(きょうかいどう)」を訪れましたが~![]()
ここは犯した罪を反省させ、更生へと向かわせる施設で~![]()
檀上が素敵な感じでしたよ~![]()
因みに、この時点で気付くべきでしたが![]()
我が家は順路を逆に歩いてるみたいでした![]()
そして、次に現れたのは「独居房」でしたが、よくよく見ると~![]()
『出た~![]()
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』
こんな場所に人がいるなんて想像してなかっただけに、驚きの一言でしたが![]()
ここは監獄で悪いことをした人を反省させるための施設なだけに![]()
過酷そのものの環境だったと思われたよ~![]()
その後、「浴場」に向かうと~![]()
大勢の囚人がお風呂に入ってましたよ~![]()
それにしても、監獄のお風呂なだけに![]()
両サイドからはこんな感じで監視されるだなんて、落ち着くこともできないよね~![]()
その後、通路を歩いて行くと~![]()
「五翼放射状平屋舎房」にたどり着きました![]()
ここは1984年(昭和59年)実際に使われていた獄舎で![]()
放射状に延びる5棟の獄舎を見渡せるようになってるんだよ~![]()
見張り小屋からは、こんな感じで見渡せるんですよ~![]()
因みに、獄舎はこんな感じになっていて~![]()
一部屋ずつ覗いていくと~![]()
反省文を書いてる人や~![]()
反省している人や~![]()
食事している人たちを観ることができたよ~![]()
そして…![]()
あれあれ、息子くんは何を反省してるのかな~![]()
その後、まだまだ歩いて行くと~![]()
ここには、4度も脱獄した白鳥由栄(しらとりよしえ)の姿があったよ~![]()
因みに、この人は実際こんな高い場所を上っていくなんて、スゴイですね~![]()
その後、囚人たちに働く喜びを教えたと言われる「二見ヶ岡農場」に来ましたが~![]()
ここにも仕事に精を出す囚人たちがいましたよ~![]()
その後、農園作業の先導的施設として1896年(明治29年)に設置された![]()
農場施設に入っていくと~![]()
さっそく食堂に向かい~![]()
すっかり監視員の人形に興味津々の息子くんでした…![]()
ここには大勢の囚人たちが~![]()
束の間の休息のひと時を謳歌してましたよ~![]()
そして、一生懸命仕事している人もいましたが~![]()
この人形は、あまりにもリアルだよね~![]()
でも、夜中に見たら、ちょっと怖いかも…![]()
そして、一生懸命ご飯を作ってる人もいたけど~![]()
それにしても、この角度って、現実的には無理な体勢だよね~![]()
そして、再びのサービスショット![]()
って、ちょっと違うかな~![]()
その後、日帰りが困難な場所で作業する際に使用していた「休泊所」に来ましたが![]()
すぐに移転できる簡素な造りで~![]()
後のタコ部屋の原形となりましたが~![]()
『おお~っ
』
ここの人形はあまりにもリアルだったので、夜中に見ると怖いものばかりでしたが![]()
起床時には丸太を木の棒で叩き起こしていたそうですよ~![]()
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網走監獄には一度は訪れたいと思ってましたが、念願叶って嬉しかったよ~![]()
北海道の旅はまだまだ続きますよ~![]()




