【くまモンのいる熊本へ編 その4】
「熊本城稲荷神社」を出た後、向かいにある「高橋公園」にやって来ました![]()

「高橋公園」は第7代熊本市長の高橋守雄氏の功績を称えて建設された公園ですが![]()
僕のお目当ては前方に見える銅像で~![]()

『はい、チーズ
』

こういう銅像を見つけると、息子くんは自主的に写真に写ってくれるようになりました![]()
因みに、この銅像は、「横井小楠(しょうなん)と維新群像」と言われていて![]()
左から坂本龍馬・勝海舟・横井小楠・松平春嶽・細川護久の歴々が並んでおり![]()
維新の十傑として名高い熊本藩士の横井小楠を中心として![]()
世界を語る坂本龍馬と勝海舟、小楠の話に耳を傾ける松平春嶽・細川護久が囲んでましたよ~![]()

「青ブロ」を以前からご覧の方はご存じでしょうが![]()
僕はこれまでも坂本龍馬の銅像をコレクションしてますが、新たに一つゲットしましたよ~![]()

因みに、坂本龍馬は横井小楠と交流があり![]()
ここ熊本にも度々訪れていたんですよね~![]()
そして、横にあったのは西南戦争で熊本城を死守した![]()
熊本鎮台司令長官の谷干城(たに たてき)の銅像![]()

何故だかエラそうなポーズをする息子くんですね~![]()
谷干城は土佐藩の生まれで、板垣退助とともに明治維新を戦い抜き![]()
西南戦争の際は西郷隆盛率いる薩摩藩の攻撃を50余日も耐え抜いたことで![]()
熊本城は難航不落の名城として、その名を天下に広める事になりました![]()

それにしても、凛々しい顏ですよね~![]()
「熊本大神宮」とは1876年(明治3年)に伊勢神宮の御神徳を拡める為に![]()
ちょっと、時間が押してきたので~![]()

しっかり参拝したあと、再び歩き出しました![]()

その後、15分弱歩くと、漸くお目当ての「夏目漱石内坪井(うちつぼい)旧居」にたどり着きました![]()

夏目漱石は1896年(明治29年)に第五高校(現在の熊本大学)の教師として熊本を訪れ![]()
4年3ヶ月の熊本生活中に6回も転居を重ねたんですよ~![]()
そして、この住居は5番目に住んだ家で、最も長い1年8ヶ月暮らし![]()
長女筆子さんが誕生した思い出深い場所なんだそうです![]()

さっそく趣深い玄関から中に入ろうとすると~![]()

『おお~っ
』

ここには、夏目漱石の本名である夏目金之助の表札が飾ってありました~![]()
その後、入場料200円を払って中に入ると~

立派な和室がありました~

でも、背後に人の気配がしたので、振り向くと~

『出た~~~
』

こうして画像を観てるだけだと、あまり驚かないと思いますが
この時ばかりは真剣にビックリして、しばらく心臓がバクバクしてました~
しかし、これが「からくり人形」だと気付くと、早速悪ガキ息子くんが遊び出し始めましたが
息子くんの座った位置にある紐を引っ張ると~

立派な髭がヒクヒク動き~

可愛い猫をガンガン叩いてました~



因みに、紐を引くと猫を優しく撫でると書いてありましたが、あまりに激しく叩くので
息子くんはすっかり大喜びで何度も何度も叩かせてました~

それにしても、夏目漱石の傍らの猫とは、「我輩は猫である」をイメージして置いているのでしょうが
この愛らしい顔を見てると、可哀想になりましたよ~
って、絵文字がちょっと違うような・・・
そして、実はこの部屋は宮崎駿監督最後の長編と言われている
「風立ちぬ」のモデルとされていることに、ビックリしましたが~

この部屋の風景や~

この廊下の景色など、見覚えある人も多いことでしょう

そして、ここには夏目漱石ゆかりの展示室もあって~![]()

着物などが展示されてましたよ~![]()

その後、庭に出てくると~![]()

前述した長女筆子さんの産湯に使った井戸も、当時の姿を残してましたよ~![]()

それにしてもこの姿って、さっきの「からくり人形」と似てるよね~![]()
って、当たり前ですか・・・![]()

次編は、いよいよ前半のハイライト![]()
皆さまお待ちかねの、あの国民的ゆるキャラの登場ですよ~![]()
【「青ブロ」のバックナンバー】
阿蘇にある「夏目漱石記念館」



