【官兵衛が愛した中津編 その5】
中津市内を観光していると
絶品の中津唐揚げでお腹がいっぱいになった後
いよいよ中津編のメインである「中津城」
にやって来ました
「中津城」とは、豊臣秀吉を軍師として支えた黒田官兵衛が
秀吉の九州平定後、豊前6郡12万石の所領をもらい受け
1588年に築城を開始し、黒田家が我が地元福岡に転封されて以降
細川家・小笠原家と受け継がれ、最終的には奥平家が治めてきました
早速、地図を眺めて位置確認を行い~
まずは、「三斎池」越しに、素敵な天守閣をパチリ
う~ん、やっぱり中津城は恰好いいですね~
そして、テクテク歩いていくと~
目の前に「中津大神宮」が現れてきたので
黒田官兵衛を偲びつつ、まずは静かに手を合わせました
その後、天守閣に向かって更に歩くと~
久々に登場の顔出しパネルがあったので、パチリ
やっぱり「青ブロ」は、こうじゃないとね~
と、思っていると、すぐ側に官兵衛の格好をしているおじさんを発見
このおじさんは兜と刀を貸してくれ
み~んな写真撮影をしていたので、僕らもパチリ
息子くんも随分凛々しく映っているけど
(残念ながら顔は公開してませんが…)
この場所でこういう写真が撮れるのは、最高だよね~
そして、漸く天守閣の眼前にたどり着きましたが~
この姿、恰好いいでしょ
でも、実は中津城には天守閣が実在していたかは定かではなく
この天守閣は、旧中津藩主である小笠原家の十七代当主奥平昌信氏が
1964年(昭和39年)に中津市からの要請を受け
1億円(現在の10億円)の私財を投じて建設されたそうです
それにしても、旧藩主とはいえ、1億円(現在では10億円)もの私財を投じることができるなんて
僕にはとても考えられませんが、やっぱりお殿様はスゴいよね~
その後、天守閣を見学することにしましたが、まずは急な階段を上り~
壁に沿った通路を歩き~
と、そこに覗き穴があったので、息子くんが立ち止りましたが~
こんな感じで外が見えてましたよ~
でも、さすがに町中にあるお城の景色は味気ないですね…
その後、お城の中を見学しましたが~
ここには、「長篠の合戦」で使用したほら貝が展示されていましたが
このほら貝は武田家滅亡のきっかけとなった戦いに使われたのかと思うと
感慨もひとしおでした~
そして、何気なく立てかけられていたのは、長篠城に奥平信昌が武田勝頼に包囲された時
徳川家康に援軍を求めるために抜け出した鳥居強右衛門が貼り付けにされた模様を描いたのぼり
鳥居強右衛門は徳川家から長篠城に戻る途中、武田家に捕らわれ磔にされ
「援軍は来ないから降伏するよう」叫べと言われたにも係らず
「あと2~3日で援軍が来るから、それまで辛抱しろ」と告げ、刺し殺されたそうです
因みに、この話は戦国時代の逸話としてはあまりにも有名ですが
歴史に興味がない方も「青ブロ」をきっかけに好きになってもらえると嬉しいな~
そして、最上階に上って来ると、大勢の人が集まっていたので
何だろうと思い近づくと~
またしても、官兵衛姿のおじさんがいたのでパチリ
一瞬さっきのおじさんが瞬間移動したかと思い、下を眺めましたが
小さいながらも、さっきのおじさんらしい人が見えました~
(多分、画面中央の赤い人だと思いま~す)
さすがに瞬間移動はありえないよね~
それにしても、さっき通ってきた城内がジオラマのように見えましたよ~
ここから見る風景はとても穏やかで~
再び平和の世のありがたさを感じましたよ~
それにしても、「中津城」は見事な姿を見せていますが~
「薬研堀(やげんぼり)」に見事に映っていましたよ~
それにしても、水面に映る中津城も素敵だったよ~
そして、角度を変えて更にパチリ
僕はご存知の通りお城好きですが、それにしても見事だったよ~
その後、中津城本丸跡にある「城井(きい)神社」を訪れました
ここには、「軍師官兵衛」での宇都宮鎮房役が
村田雄浩さんに決定したことを喜ぶ看板が掲げられていました
因みに、ここは中津城で謀殺された宇都宮鎮房が埋葬された場所であり
1705年に中津藩主の小笠原長円によって「城井大権現」として、祀られたそうですよ~
この神社の建立には裏話があって
「中津城」では、夜な夜な鎮房の亡霊が現れたり、宇都宮氏の祟りとかで悩まされたので
当神社を建立したとの説があるんですよ~
それにしても、「合元寺」の浮き出る血といい、「中津城」の亡霊の件といい
宇都宮鎮房謀殺には、色々怖い話があるよね~
その後、隣にある「扇城(せんじょう)神社」にお参りしましたが~
ここは、「中津城」や「合元寺」で殺された宇都宮家の家臣達を祀っているそうです
戦国の世のことなので、黒田家・宇都宮家どちらがいいとか悪いとか言えませんが
「合元寺」の浮かび上がる血の件といい、「中津城」の亡霊の件といい
何だか切ない話ですよね~
その後、中津城に面した中津城の河原に来ましたが~
息子くんは、可愛い猫を追いかけ回ってました
息子くんが走り回っている間、僕は静かに流れる中津川を眺めてましたが
黒田官兵衛はどんな思いで眺めていたのだろうか、と感慨に耽ってました
「関ヶ原の戦い」の際、千載一遇のチャンス到来と、天下取りを狙ったとも言われていますが
石田三成がもう少し頑張り、官兵衛の目論見通り長期戦になっていたら
黒田官兵衛が九州を制圧し、天下取りに名乗りを挙げたかもとか言われていますが
もし官兵衛が天下を獲っていたら、今の世はどうなっていたのか想像するだけで、ワクワクしました~
次回は中津編の最終回、中津からの帰り道の話ですよ~
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