維新巡游☆鹿児島 | 青ちゃんのハッピー気分なブログ2(青ブロ2)

【維新巡遊 鹿児島編 その3】


「造士館」「演武館」の跡地にある中央公園を通りすぎると、巨大な鳥居が見えてきました音譜



この鳥居は高さが20mもあるそうなんですが、あまりの大きさにビックリですね~アップショック!ダウン

ここは「照国神社」と言い、鹿児島一賑わう神社だそうですよ~音譜

まずは「斉鶴」と呼ばれる樹齢約180年のイヌマキの保存樹の前でパチリカメラ



この木は高さ3mもあるそうですが、息子くんより遥かに大きく、格好いい姿ですね~にひひ

ま、3mもあるなら、当然僕より大きいですが・・・べーっだ!

そして、「神門」を潜り~DASH!



「拝殿」にて幕末維新に想いを馳せつつ、静かに手を合わせましたパーパー



なぜ幕末維新に想いを馳せるかと言うと流れ星
ここの御祭神は近代日本を築いたと言っても過言ではない、島津斉彬公だからで~す音譜



島津斉彬公とは、島津家28代当主で11代藩主を務め流れ星
1851年に43才から50才の若さで亡くなるまでの7年間に亘り当主を務めましたひらめき電球

島津斉彬公は、たった7年間の治世でしたが、当時三百諸侯のなかでも稀に見る偉材と称えられ流れ星
富国強兵を目指し、積極的に西欧文明を取り入れ、薩摩の近代化に尽力するとともに流れ星
身分の上下に関わらず有能な人材を養成したことにより流れ星
西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀ら、大勢の偉人を輩出し、近代日本の礎を築く原動力となりました目



そして、この隣には「戊辰之役戦士顕彰碑」がありました音譜



薩摩から戊辰戦争に参加したのは約8,000名で、うち戦死したのは600余名汗

この多くの犠牲の基に明治維新をなしうることができたんですねひらめき電球

島津斉彬公と多くの維新の志士たちに想いを馳せつつ、次の場所へと向かう道すがら流れ星
捕まえて帰りたいほど見事な鯉が泳ぐ10号線を歩いていくと~DASH!



鹿児島一の記念撮影スポットの「西郷銅像」が見えてきました音譜
(照国神社から来ると、この画像の左側から現れますひらめき電球)



この西郷隆盛像は台座から含めて高さが8mもあり、完成まで10年を費やした超大作なんですよ~音譜

陸軍大将を勤めた際の軍服姿で、凛々しいですね~チョキ



そして、こんな所にも西郷さんが~DASH!



『あはは・・・にひひ

自販機にも西郷さんだなんて、さすが郷土の英雄だけのことはあるよね~チョキ

そして、さらに歩いていくと、「鹿児島城(鶴丸城)」に到着したので~DASH!



中に入ると~DASH!



本丸跡にたどり着きました~音譜



ここは、ご覧の通り「鹿児島歴史資料センター 黎明館」となっていますひらめき電球



鶴丸城とは、18代当主である島津家久によって、1602年に築かれた城なんで~す目

「黎明館」には時間があれば立ち寄りたかったのですが流れ星
残念ながら弾丸ツアーにはそんな余裕はなく、なくなくスルー汗

しかし、ここにはこの人がいるんですよ~チョキ



その名は篤姫音譜



『えっ、思ったよりおばさんだな』って叫び

人間誰しも年を取るもの、宮崎あおいちゃんの演じた篤姫のようにはいかないですよ~にひひ

と言いつつ、先へ先へと急ぐと~DASH!



『あれっ、よく見ると銃弾のような跡が~ダウンしょぼんダウン



皆さまご想像の通り、ここは西南戦争最後の激戦区で、これは政府軍の銃痕なんですよ~汗

こんなにいっぱいの銃痕なんて、今まで見たことなかっただけにビックリでした汗

そして、この先には「薩摩義士碑」がありました音譜



この碑は江戸時代半ばの1753年に家老平田靭負(ゆきえ)が藩士1,000名を率い流れ星
難工事であった木曽川等の治水工事を藩士84名の犠牲の基に完成させ流れ星
その責任をとって平田靭負自身が自刃した功績を称えたものなんですひらめき電球



それにしても、鶴丸城周辺には見処が多くて、観光するのも一苦労でしたにひひ

最後にこのルートの途中に「鹿児島県立博物館」があり~DASH!



格好いいティラノサウルスと~DASH!



トリケラトプスがいたので、親子ともども大喜びでパチリカメラ



やっぱりこういうのを見つけられるのって、散策の醍醐味だよねと言いつつ先を急ぎました~走る人

さすが弾丸ツアー、僕に付き合わされている息子くんは不幸ですね~にひひ