ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番


アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

指揮:エド・デ・ワールト

録音:1969年10月、アムステルダム、コンセルトヘボウ


西条卓夫著のレコード案内本「名曲この一枚」(昭和39年刊行)に、このヴィオッティの22番が取り上げられており、以下の興味深い記述がある。


「ヴィオッティが書いた二十九のヴァイオリン協奏曲中の圧巻であり、稀有の秘曲でもある。私は、これを処女聴した時、「はじめていま一度聴くために、聴かねば良かった!」とすら思ったものだ。特に、第一楽章がすばらしい。「優婉」という言葉をそのまま音楽化したような第一主題を聴く度に、含愁の臈(ロウ)長けた美姫(ビキ)がしずしずと舞い出るかのような恍惚感をおぼえる。モーツァルトやブラームスが「屈指の名作」と絶讃しているのも当然であろう。クライスラーやティボーには売ってつけの曲なので、ぜひ、録音しておいて欲しかった。特に、クライスラーは、その愛奏曲であったというから、口惜しさも一しおだ。ティボーも、パリ音楽院の卒業コンクールでは白眉の第一楽章を選択曲として弾いたし、独奏会のプロにもたまには載せている。

リバールは、小型で多少生硬な傾きはあるが、素直で慎ましく、感じが良い。オケも、質はともかく、清楚だ。録音は古いが、鑑賞に堪える。

これから入れさせるとすれば、まずグリュミオーか?」


ヴィオッティの22番の協奏曲は、私自身、最も愛惜の止まない作品の一つである。いや楽器の中で特にヴァイオリンが好きだという人ならば、大方はこの切々たるメロディを聴いて平静な感情を保って居られなくなるのではないか。盤鬼・西条氏は、そういう真に曲を愛することの喜びと悩ましさを、レコード愛好家としての実感を込めて簡潔に言い表している。

氏が小型で古典主義的なリバールのレコードを推薦しているのは、執筆時点で名ヴァイオリニストによる正規録音が殆ど存在しなかったためではないかと思われ、文面の通り、絶讃には至っていない。しかし、私としては西条氏が何を一枚選んでいるかよりも、クライスラー、ティボーの両巨頭がしばしばこの協奏曲を公開の場で取り上げていたという記述の方に深い興味をそそられる。近年、クライスラーの1945年の放送音源がCDとして聴けるようになったのは大きな救いだが、大好きなティボーのヴィオッティはいまだ幻の存在である。おそらく、待っていても出て来ないだろう。それこそ盤鬼の言う「優婉」な美しさに溢れている事がまざまざと想像されるだけに、この文章を読むとなお口惜しさが込み上げて来る。

そして、末尾にあるグリュミオー盤出現への期待は数年後に実ったはずだが、西条氏の当盤の演奏評については不明である。私の感想を言えば、聴いてきた種々の録音、スターン、アッカルド、メニューイン(2種あり)、ボベスコ、そしてリバールを含めた中で、グリュミオーは最も均整の取れた、格の高い演奏を実現していると思う。この時期、いよいよ円熟の度を増した巨匠は、柔らかで慎ましい、しかし肉太な響きで、哀切をきわめたヴィオッティの旋律を共感豊かに奏でる。伴奏のコンセルトヘボウのややくすんだ音色も、独奏者の醸し出す古典美の世界に合っている。世評高い彼のモーツァルトやフランス近代音楽に少しも引けを取らない、芸術的完成度の高い名録音だと思う。