今週の木曜の定休日に、再度お隣で開かれている蓄音機の鑑賞会へ出かけました(河合塾アカデミア館5階)。

今回はクライスラーの弾く「ロンドンデリーの歌」と、ティボーの唯一の東京録音であるヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタを聴きました。この日はより近い場所でヴァイオリンの音を聴きたくて、中央の最前列に座り込んで耳を傾けました。


録音の特徴を言えば、クライスラーの盤は克明そのもの、ティボーの方はHMVらしくやや距離感を保った繊細な音。そしてSPレコードの印象は、「音が良い」と言えばもちろん良いのですが、それ以上に、現に今演奏が行われているかのような実在感が際立っていました。あまりの感激に私は、最後のヴェラチーニが終わってから暫しの間、身体が固まって立ち上がれないほどでした。


この日はレコードを聴けた事にももちろん満足しましたが、主催者の三浦武先生が亡くなったお父様について印象ぶかい思い出話をして下さいました。

三浦さんのご実家では沢山のSPレコードを所蔵されていて、その中に「ビクター愛好家協会盤」(1936年から始まった毎月一枚ずつ新譜が頒布されるシリーズ)の一年分のセットがあった。中身を見ると12枚のうちの11枚目だけが欠品しており、三浦さんがお父様に訊ねたところ、それは戦争末期に、自分が学徒動員で海軍に召集された時に持参したのだという。

その持ち出した一枚の盤というのが何とティボーの弾くヴェラチーニだった。海軍というのは戦局が不利になっていた頃でも意外にさばけた気風があり、レコードを持って行っても怒鳴られたりはせず、気前よく先方の蓄音機で音楽を聴かせてくれた。


何故ティボーのヴェラチーニだったのか。無論演奏が気に入っていたからに違いないが、ご当人曰くあれは「恋愛」のつもりだったのだと。青春らしい青春を持たずして御国に命を捧げる身になった時、何かしらこの世で甘美な思い出を作っておきたいという一念から、このレコードを選んだのだろうと三浦さんは仰有っていました。決して軟派ではない軍国青年だったお父様が、甘い夢見心地なティボーのヴァイオリンを選んだ事も意外だったそうですが、父の口から、恋愛という言葉を聞いたのもその時が唯一だったとのこと。

その後、三浦さんがヴェラチーニの同じレコードを入手してお父様に聴かせたところ、当人はもう感極まったという様子だった。A面が済むと、もういいと言って第2楽章までは聴こうとしなかったそうです。


現代の我々は、いかにティボーの熱心なファンであろうと、一曲に対しこんなおのが命の限りを託したような思いを抱く事はできない。同じ演奏を来月、来年もまた聴けるだろうと思うから。戦時下の若者の持った運命は、二度繰り返されてはならない歴史には違いないでしょうが、音楽と向き合う時に、こうした過去の人々の体験談を頭の片隅に置くことは決して無益ではないと思います。