バッハ::二つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV.1043


フリッツ・クライスラー(第一ヴァイオリン)

エフレム・ジンバリスト(第二ヴァイオリン)

ウォルター・B・ロジャース指揮

弦楽四重奏団

録音:1915年

1915年、ニュージャージー州のビクター・スタジオで行われた、この偉大な協奏曲の史上初となった録音です。
クライスラーは1920年代後半から開始された電気録音について、世評とは反対にその音質をあまり好んでおらず、以前に吹き込んだアコースティック録音に愛着を持っていたという話を何かで読んだ憶えがあります。電気録音とはマイクロフォンにより演奏を電気信号に変換した上で録音する方式で、以後は当たり前の事になり「電気録音」という呼称はアコースティックと区別する場合以外には使われなくなります。
他のアーティストの録音、殊にピアノ曲では、電気以後に音質が飛躍的に向上した例が幾らも見つかりますが、クライスラーのアコースティック録音については、なるほど当人が気に入ったというのも頷けるくらい、ヴァイオリンを非常に濃密な音で再現するものが多くあります。スピーカーを通してヴァイオリンが聞こえて来ると言うより、スピーカーがそのまま楽器と化した如く独特の音圧を伴って響く。これは一応、彼の米RCAの電気録音にも当てはまる特徴ではありますが、アコースティックは周囲の空間の広さを感じさせる残響がない分、聴く者の注意をより音の芯へと惹き付ける性質を持っています。
客観的に言えば、演奏行為を自然な形で再現するという点で、アコースティックは真実を伝え切ることのできない録音方式かも知れない。しかし、音の放射の行方などよりも演奏の本質、核心を掴もうと耳を傾ける人にとっては、そのやや過分に増幅された音の像は必ずしも不快感を与えるものではない。クライスラーとジンバリストによるバッハもまた、好きなヴァイオリンをより近く、大きく、濃い音で聴きたいという鑑賞者の無邪気な欲求を多いに満たしてくれる面があるでしょう。

クライスラーは張りのあるヴィブラート、人の心をそそるポルタメントを持ち、テンポの振幅が大胆です。ジンバリストは私の敬愛するヴァイオリン奏者の一人。しなやかで水のように澄んだ音色が魅力的で、陰と陽ほどの違いはないにしろ、同じ曲の中で比べるとクライスラーよりは性格的に真摯な印象を与えます。演奏技術、品格の点で互角の力を備えた両巨匠は、各々の持ち味を薄めることなく、勢力を拮抗させる事もなく、柔らかいヴァイオリンを溶け合わせながら一つの世界を作り出すに至っています。1932年のメニューイン&エネスコ盤がもう少し個と個の存在が交錯する面白味があるのに対し、当盤は時に一人で弾いているかと錯覚するほどイントネーションに見事な統一感が見られます。伴奏の人数が少ないこともあって、全体に室内楽的な緻密さを感じさせる名演です。