○ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:ウィルヘルム・フルトヴェングラー

録音:1948年10月24日 ベルリン、ティタニア・パラスト(実況録音)

発売:2021年 グランドスラム 

GS-2251(CD) 制作:平林直哉


フルトヴェングラーが遺したブラームスの第4交響曲のうち、当48年盤は代表格の演奏で、1980年代に東芝EMIがCD化した後、リマスター盤やSACDとして幾度も再登場を繰り返してきました。晩年期のスタジオ収録のベートーヴェンと同様、LP時代からおそらく廃盤状態になった事のない録音ではないかと思われます。

フルトヴェングラーは陰の濃い第4交響曲に最もふさわしい指揮者の一人だと思えますが、意外にも1950年代のテープ録音期にこの曲を吹き込んでおらず、実演でも取り上げなくなっていました。そのため彼のブラームス交響曲全集が組まれる時は、やや音の粒が粗いこのベルリン実況盤を含めるのが通例となっています。


まだ小学生の頃、NHK-FMの番組で初めて当演奏に接し、フルトヴェングラーの引き出す情感の美しさと気魄の虜になり、たまたまエアチェックしたTDKのカセットテープを放送後に何度も夢中になって聴いたものでした。当時の私は、演奏前の解説者の声はテープに入れないという変なこだわりを持っていて、「それではお聴きいただきましょう」となって曲名と演奏者が告げられてから録音ボタンを押すのを常としていた。テープの一番端の方は音を記録しないので、あらかじめ数回転先送りしてからオーディオの前で待ち構える。

次にブラームスの交響曲の場合、第2楽章が終わると60分テープを素早くB面にひっくり返して再度ボタンを押す、という冷や汗をかく作業をしなければならない。片面30分のテープはきっちり隅まで使い切るわけではないから、第3楽章の録音はB面の少し進んだ箇所から始めざるを得ない(楽章の合間にテープを早送りする余裕はないので)。そうするとB面の収録時間はA面に録音した時間が限度ということになるが、これを計算に入れずテープが終楽章の途中で尽きてしまった事が何度かある。こういう日は口悔しさのあまり、遊びも勉強も容易に手につかなかった。無論そこまでラジオの収録に躍起になったのは、まだ市販のクラシックのテープやレコードが自由に買えない子供だったからでもある。

等々、フルトヴェングラー盤を聴く時は、そうした遠い時代の思い出の数々が昨日の事のように脳裡に蘇ってきます。そして指揮者に最大限の敬意を払い、彼の霊感を皆で体現し、わが身を芸術に捧げ尽くしたようなベルリン・フィルハーモニーの濃密な音楽は、カラヤン、ベームがこの楽団を振ったレコードと並んで、私の管弦楽鑑賞における一つの規範となりました。


ところで、フルトヴェングラーの演奏にはその都度感銘を新たにするものの、正規のCDやLPを購入してからも音質面では多少の我慢を余儀なくされるところがありました。終始頭を押さえつけたような抜けの悪さがあり、強奏では音が混濁気味になる。私はティタニア・パラストという映画上映も行う多目的会場の音響と、公演時の録音自体に問題があるのだろうと思っていましたが、このたび平林直哉さんによるオープンリール復刻を聴き、それが甚だしい誤解であることに気付きました。

グランドスラムが入手したオープンリール・テープがどういう素性のものかは明記されていないが、おそらくカセットテープが普及する以前に市販されていた古い製品だと思われる。オープンリールがテープとしていかに高性能であれ、EMIがCD製作に使うオリジナル音源から見れば、コピーを繰り返した末の製品である筈だが、なぜか本家レーベルのどのCDにも増してグランドスラム盤の音が輝いている。フルトヴェングラーの作品への息遣いの細やかさが数段深く感じられるようになり、幾分がらっぱちに聴こえていた楽団の白熱ぶりも品性を保ったものであることが分かった。演奏の気魄、懐の広さが再認識できる復刻だと思う。私の経験上、オープンリール復刻でこれほど効果の目覚ましかった例は他にはあまりない。


本家であるはずのEMI盤の模糊とした音像は、ノイズカットを含めた製品化の際の音質処理が悪い結果をもたらしたのだと想像できます。長らく私自身も、狭い練習部屋で録ったような息苦しい音だと感じていましたが、オープンリール復刻を聴けば、録音面から48年盤の第4交響曲を敬遠する人は少なくなると思われます。


⏬EMIの音源(グランドスラム盤より粗い音質です)。