金沢蓄音器館では所蔵するSPレコードの復刻CD-Rを受注生産しており、先頃ジャック・ティボーの弾くヴィターリ「シャコンヌ」(1936年録音)を注文して聴いてみました。収録曲はSP一枚分でシャコンヌ一曲のみ。

この録音はすでにCDで3種、LPでは東芝盤を2種所有しており、理想のヴァイオリン芸の一つとして学生時代から30年愛聴してきました。もう盤を聴かずとも想像力でティボーの音楽を再現できるくらい耳に刷り込んでいますが、やはり時々はスピーカーを鳴らし、現実の空間に響く演奏として味わいたい衝動に駆られます。


ところで最近、私の過去ブログで当盤を知った弊店のお客様がティボーの情欲的な表現にすっかり惚れ込み、毎晩就寝前にこのシャコンヌを聴いているのだと教えて下さいました。そのご婦人はヴァイオリンでなくチェロを趣味で弾かれているのですが、ティボーを聴いて以来、今まで音が金属的に感じられて苦手だったヴァイオリンという楽器を見る目が変わったという事でした。私はいかにも頷ける話だと思いながら、ナイロン絃を使った現代の演奏ばかりを聴いているとヴァイオリン本来の音を誤解しかねないから、こういう古い時代の名演を併せ聴いた方が良いかも知れませんねとアドバイスしました。何にせよティボーの音、音楽がいまだに弦楽器ファンの心を捉えて離さない磁力を持っていることが分かり、何か非常に救われたような心強い気持ちになりました。

復刻音はそれぞれのメーカーによって見事に異なります。ヴァイオリンの音の滑らかさは東芝盤が優れ、オーパス蔵盤は伴奏ピアノの存在が光り、英APR盤は全体の輪郭が明瞭で録音が新しく聴こえる。そしてLPレコードでは同じ東芝のCDの音にふくよかさが加わる・・。復刻として優れているのはAPR盤だろうかと思いますが、シャコンヌ一曲について言えば、ヴァイオリンの香り高い響きを上手く捉えた東芝の音を私は好んでいます。30年前、一番最初に聴いて心奪われたのが東芝盤だったことも関係しているのでしょう。

そして今回の金沢盤の特徴は、通常の復刻のようにプレイヤーに線を繋いで音を拾うのでなく、空間に響く蓄音器の生音をステレオマイクで録っている事です。いわば録音の録音というもので、これは銀座のシェルマンが2000年代から行ってきたCD復刻と同じ方法です。再生機種は1925年製のキャビネット型の蓄音器「ブランズウィック・バレンシア」(米)。
CDを聴いた印象としては、かつて大型蓄音器の実の詰まった音を生で体験した時の感動を思い起こさせるものでした。殊にヴァイオリン演奏は運弓が滑らかになり、したがってティボーの音楽センスがより上品に聴こえる。使用盤も状態良好のようで掠れや回転ムラがほとんど見られない。

しかし、ここで聴けるのはあくまでステレオマイクで収録した音であり、実際に鳴っている高級器の響きの美しさ、彫りの深さ、押し出しの強さはこの程度ではないだろうという思いも残る(かつてシェルマンのティボー、エネスコの復刻CDを聴いた時にも同様の事が感じられた)。蓄音器で盤を十全に鳴らすのと、その音の肌合いを忠実に録音・再生することは全く別次元に属する作業なのかも知れない。拙宅のアンプの出力がもう少し強ければ、あるいはバスレフ型の木製スピーカーでなければ、生の蓄音器に近い存在感が出てくるのだろうとは想像しますが、金沢盤がどちらかと言うと鋭角的でない再生音、いわゆるセピア色のイメージにかなう円やかな音質を志向しているのは確かだと思います。


CDの制作方法が他の盤とは異なるため、目下、音の優劣を容易に付けにくいところが

があります。私自身、盤の再生の面でできる工夫をしながら、この4枚のシャコンヌとしばらく向き合ってみようと思います。