珠洲焼は能登半島固有の伝統工芸として現代にも継承されていますが、古窯としての焼物作りは、色鮮やかな越前焼の台頭も関係して室町時代に一旦終焉を迎えました(のち20世紀に再興)。いわゆる「六古窯(ろっこよう)」と呼ばれる日本を代表する窯(瀬戸、信楽、常滑、丹波、備前、越前)は、それぞれ中世から現在に至るまで途絶えることのなかった窯であり、比べて珠洲古窯の壺は室町以降に何百年もの空白期があるため、数の上で希少な存在です。


生きた野バラとセルリアの花⬇️

古窯の壺も産地、時代によって形と色が実に多様です。私はかねてより日本海に突き出た半島の厳しい自然、曇った冬空を思い起こさせる灰色の珠洲焼に特別な神秘性を感じ、憧れを抱いていました。奈良時代の須恵器に近い素朴さを持つ珠洲の壺は、平安から室町まで長く製作され続けましたが、とりわけ造形的に最も充実した個性を見せていたのは鎌倉時代だと言われています。
武家の治世の空気を反映してか、雅やかというより寡黙で厳しい精神性を感じさせる小壺。ざらついた土の表面の文様を一人静かに眺めていると、大昔の冬の浪音や荒野に吹きすさぶ嵐の唸りが聴こえてくるような気がします。