「山中の月」
我は愛す山中の月。
炯然(ケイゼン)疎林に掛る。
幽独の人を憐むが為に、
流光衣襟(イキン)に散ず。
我が心本(モト)月の如し。
月も亦我が心の如し。
心月両(フタツ)ながら相照し、
清夜長く相尋ぬ。
(宋)真山民(シンサンミン)
読み:安岡正篤
(安岡正篤『百朝集』p.121)
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山中月
我愛山中月
炯然掛疎林
為憐幽独人
流光散衣襟
我心本如月
月亦如我心
心月兩相照
清夜長相尋
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上は東西の先哲による箴言を集めた、安岡先生の名著『百朝集』にある宋詩の一篇。
この本は古典作品の片鱗にそれぞれ著者の短い解説や感慨を添えたもので、一応、内容が一、二ページごとに区切られ、鞄に携帯して読むのにも適しています(以前にご紹介している書籍ですので、詳細は省きます)。➡️安岡正篤『百朝集』
写真は19日の21時過ぎ。月齢12.1。その月を見上げているうちにたまたま通りがかった北山の輪王寺の夜景です。まさかこの時間帯に段上の本堂まで拝観できるとは思わなかった。人の気配はまったく無い。褐色の蒼然とした山門、長い参道からその奥にかけては明かりが弱く、夜目が利かない私のスマホのカメラでは暗闇しか撮れない。表面が不規則な形をした石段は肉眼ではよく見えず、何度も躓いたり足を取られたりする。
さらに本堂裏に広がる墓地まで行くと、もう電灯は一つもなく、とても普通に歩ける環境ではない。まあ電灯があってもこの時間に墓地をうろつくのはおかしいですが、そんな怖い暗がりの中で、時を告げる厳かな梵鐘の音を間近で9回聴くことができました。
もちろん輪王寺は山中にある寺院ではなく、地下には北山トンネルが走り、山門前の車の往来も激しい。しかし陽が沈み切った後には、あたかも幽谷に分け入ったような神秘の気が漂い、老木の枝葉の間から白光を覗かせる月は、真山民の名詩を思い起させるほどに美しく、清らかなものでした。