ルヴァンカップ2016準決勝・浦和戦 | FC東京・応援者のブログ

FC東京・応援者のブログ

FC東京/ディズニーリゾート/ホテル宿泊記 など

ルヴァンカップ2016準決勝・浦和戦
2戦合計:東京2-5浦和

第1戦 東京1-2浦和
第2戦 浦和3-1東京
 
1プレーに対する責任の相違
 
 
目もあてられない惨劇。
 
「何がここまで違うんだろう?」なんて考えながら観てみると、ひとつ確実に言えることは「1プレーに対する責任感の相違は明らかだな。」って。
 
浦和の場合は、パスひとつ切り取っても、プレッシャーが掛かっていようが・いまいが、それが局面に関係しない簡易なパスであったとしても、ボール1つのズレ無く、弾ませずバタつかせず、味方が次のプレーへ移行し易い角度で渡す。勿論上手くいかない場面もあるが、その意識が失われることはない。
 
「ムッチャ優しいムリキのパス」なんて言ったところで、浦和はピッチ上の全員がそれだ。
 
そこいくと東京は雑も雑のいいところ。取り敢えず味方へ渡しているに過ぎない。
 
渡された相手はバタつくボールを収めることに時間と労力を注ぎ、狂ってしまった角度、すなわち身体の向きを直して、時間が掛かった分で失われたビジョンの修正に、周囲を見直し次の一手を考える。
 
その些細なプレーの積み重ねで、東京は鈍化する。
 
相手はスッカリ陣形を整え待ち構える。そこからは後の祭り、東京がイロイロ苦労してアタッキングサードとやらに到達したときにはプレー精度はブレブレ、まともにシュートなんて撃たせて貰えない。慌てて撃っても方向どこへやら。
 
逆に浦和のシュート・シーンでは、狙い澄ましてショットする余裕すらあるというのに。興梠の落ち着き様なんて憎らしいくらいだ。
 
おせ〜よ、の理由は根深い。
 
 
それが浦和に出来て、東京に出来ない理由は何だろうとも考える。
 
浦和はやり方が完成されていて、コトがシステマティックに進むところは大きそう。
 
パスを出したら次のスペースへ。脚を止めたら成立しないし、そんなサボりは許されない。パスの出し先も局面ごとに複数の選択肢が用意されているし、用意できるように走らないといけない。
 
だからひとつのパスを余裕もって出せるし、結果として全員がムッチャ優しいムリキになる。
そもそも雑なプレーを周囲が許さない…チームが許さない…ひいては観ているサポーターが許さない。
 
そういう環境が浦和にはある。1プレー1プレーに対する責任感は、きっとそこで生まれ、月日を重ねて育まれる。アリバイ・プレーは見透かされる。
 
 
そこいくと東京は相当にユルい。そこが東京の良さではあるけど、弱さでもある。

声を出さないゴール裏が、選手達へ本当の意味での緊張感を与えることはない。動きのないゴール裏に、選手達が胸躍るはずがない。最後はユルネバで予定調和?

…そうは言っても、そこそこで盛り上がりたい人達は今後も一定数居続けるし、強制できない代わりに様々課される責任から逃れてきた人達の集まりでもあるのが東京ゴール裏。

これからも大きく変わることはないであろう反面で、自分達がやらないのに、選手やクラブに何か一方的に要求するのも違う様に思える。

緊張感のある環境の有無、積み重ねた月日で、今では選手個々の技量に大きな差が付いてしまった。プレッシャーの掛かる局面に追い込まれたとき、それでも浦和の選手は正確な判断と技術を発揮できる。東京の選手は慌ててしまいミスがでる。

たぶんノー・プレッシャーの遊びでボールを扱わせたら両者同じことができると思う。でも試合ではそうはならない。
 
選手の成長を促す環境が用意されないのだとしたら、東京が優勝するのはどんなときなのだろうか。武藤・太田・長友の様な、突き抜けた選手達がタイミング良く集ったとき? それは意図的に掴みにいくというよりも、半ば偶発的に訪れるということになるのかな。
 
そうだとしたら寂しい話だ。