鹿島にしてもその間に世代交代の躓きはありつつも、それでも脈々と続く伝統的な強さは健在。もう少し言うなら、監督が変わればやり方も変わるのが東京で、鹿島は何も変わらない。その深みに勝てない。
例えば川崎はもはやエンターテイメントと言って良いゴール・ショーで魅せる一方の諸刃で、コロッと負けることも少なくない。実際タイトルは獲れていない。しかし1試合で3点獲って魅せて勝つサッカーは、クラブであり強化部の編成方針なのだそうだ。
勿論彼らにしてもコロッとは意図するところではないだろうが、等々力劇場で魅せることへの拘りは強い。正直なところ、外野から見ればタイトルに遠いやり方とも思えなくはないが、その拘りがいつしか伝統となり、大願成就に至るかも知れない。
東京の拘りとは何だろう、伝統は何だろう。
その伝統が、試合中のため息を誘う様なミスパスや決定機逸を許さない空気を創り上げていくに違いない。
今日の試合も東京の試合の進め方は悪くなかった。手堅く守備をベースに、引き下がることなくカウンターを繰り出す。アウェイの鹿島戦だ、間違っていない。
お互いに集中力の高い好ゲームだったけれど、その中でも鹿島はミスなく繋ぐは繋ぎ、要所は締めてくる。
東京は一見何でもない一歩目のパスをミスで相手へ渡し、リズムが掴めない。
東京が無能にミスしているかと言えばそうでもなく、実は鹿島がパスの出し手だったり、そこが適わない場合は受け手側へ高質なプレッシャーを掛けている。ちょっとしたポジション取りの妙と言っても良いかも知れない。東京はパスは大抵の場合苦し紛れだ。
攻撃の一歩目のパスからしてズレズレで、フィニッシュに到達出来るわけがない。緩い土台に家は建たない。
結局のところ、その瞬間の選択、そのパス、あのシュート、ひとつひとつのプレーにどれだけ拘り・責任・重みをもってやっているか。そこに「ドンマイ。」を許さない伝統の有無が、結果の差となって表れている様な気がしてならない。
足先の巧い金崎があんな泥臭いゴールを獲るのだから、そんなに間違ったことは言っていないと思う。