私のイニシャルであるAOですが、アオとはハワイ語で夜明け、日光、雲だそう。


日本で暗黒気分で生まれ落ちた所から、夜が明け、ハワイで日光を浴びている今に至るまでのスピリチュアルな人生を全て実話で物語形式で書いていきたいと思います。




まず、私は東京の下町で生まれ、母の実家のそばでずっと育ちました。


祖父の家系は今の六本木や麻布十番界隈の出身で、生粋の東京人。


戦争や空襲、震災に見舞われた苦労の絶えない世代の人。


祖父は歳をとっても足が長く、背筋が伸びて、髪はフサフサで鼻が高い、日本人離れしたハンサムな人だった。


戦時中、軍服姿で遺影にできる写真を撮影する前、顎にあった大きなホクロを除去した大正生まれの元祖美容整形ジジイ。


私は、このエピソードがとても好きで「意識高い!」と感心した。


祖父の親戚の家には昔の大物スターのサイン色紙がたくさん飾ってあり、母も親戚の家でデビュー前の挨拶に来た昭和のスター達(私が名前を聞いて顔と一致したのは坂本九さん、石田あゆみさんだけだった)などからサインをもらったそう。


祖父はクリスタル(ガラス)製品の営業マンで、クリスタル(水晶)の産地、山梨県出身の祖母と東京で家庭を築いた。


祖母は畑仕事が好きで、畑を借りて野菜を自分で作っていた、いつも日焼けした笑顔が印象的な太陽がよく似合う人。


クリスタルが縁の祖父と祖母。

祖父は定年退職後は地域の人の衛生観念向上にボランティアで長年勤めて、たくさん表彰されていた。


綺麗な物が好きで意識高い系の祖父を、地上に繋ぎ止めるバランスを取ったのは、畑が大好きで現実的な祖母。やっぱり夫婦になる人の縁て面白い。


大好きなこの祖父母から私の母が生まれた。


母は今から55年前、成人式の着物を買うお金を祖父母からもらって、着物じゃなくて車を買った。


車を買った母は、ガソリンスタンドで働いていた父に一目惚れ。


父は母より2歳年下で、許嫁と結婚させられる決まった将来が用意されていた秋田県から、中学卒業後すぐ家出して東京に来て、19歳の時に母と結婚。


父の血液型はAB型RHマイナスで、変わり者だと母がいつも呟いていた。


生まれてから一度も歯を磨いた事がないけど虫歯は0。白くて綺麗な歯を持つ父ですが、親不知を抜歯する時に歯の神経が枝分かれしている事がわかり歯医者に驚かれる。


色々他の人と違っている父が変わっているのか、私達がテレビや誰かの情報による”世の中の常識”に洗脳されているだけなのか、正直わからなくて混乱した。


だって、一般的な情報では歯磨き粉を使って毎日歯磨きしなければ、虫歯になって歯を失う事になっているんだから。


子供の頃のこんな疑問から、私の不思議探究が始まった。


私には三つ違いの姉がいて、姉は2歳になる前から言葉が達者。


「お父さん、遅いねー」と母が言うと「またパチンコでもやってるんじゃない?そのうち帰ってくるよ」と夕飯を母に食べさせてもらいながら返す、クールな赤ちゃんだった。


東日本大震災の当日には、東京中が地震による混乱で帰宅ラッシュの中、姉は運良く会社の近くでタクシー待ちの列の大通りから少し離れた場所で、奇跡的に一台だけ停まっていたタクシーが目に入り、ダメモトで近づくとまるで姉だけを待つかのようにタクシーに乗る事ができました。


しかしその運転手、手袋をしていたけど、人差し指が明らかに他の指より長い。


私が子供の頃、昔の東京のタクシー運転手には小指がない人(元ヤクザ)が割といたけど、人差し指だけ長い運転手。


運転手が「この指で指して何か言うと、その通りになってしまうから奥さんから止められている」と手袋を外して指を見せられた時、姉は「地震より津波より運転手が怖かったけど、途中で降りたら次のタクシー拾えないから我慢した」との事。


震災当時、帰れなくて会社で寝泊まりされた方もたくさんいたと聞くけど、姉はなぜ、多くの人が探しているはずのタクシーが姉にだけ目に入り乗れたのだろう?と今も不思議に思う。


都市伝説でそんなタクシードライバーの話ないですか?もしあったら、実在していますよ、私の姉が遭遇してますから。


私はと言えば、生まれる時に仮死状態の超難産で生まれた。


お腹の中で何が起きていたかというと、「地球は嫌なことしかない場所だから、絶対に行きたくない!!!」と守護霊に訴えていた。


西郷隆盛似の守護霊に説得され、嫌だと言ってるのにもうお腹から出なきゃダメだと、「いつも見守ってるから行きなさい」と、最後の”い”が聞こえるか聞こえないかくらいで真っ暗になり西郷が居ない外の世界へ押し出される。


私が生まれるのを嫌がりゴネまくっていた時、母は最初の病院から緊急搬送され、設備の整った産婦人科の分娩台で息絶える寸前だった。


私は仮死状態で生まれて、母子共に危険な状態から脱したのが夜中過ぎだったため、私の誕生日は生まれた日ではなく生き返った日になった。


9月27日。

足すと必ず9になるので気に入っています。


命の危機はこの時だけではなくて、医者から、私が成人になれたら奇跡だと言われた両親。


予防接種前にほとんどの病気にかかって自分で抗体を作った私は、破傷風以外の予防接種を今までの人生で受けた事がない。


大人になり、グリーンカードを申請する時の健康診断も妊娠中だったので予防接種免除。


ワクチンは、私の人生にはことごとく縁がない。


私が成人したら奇跡だと医者から言われた両親から私は「自分達の子供じゃなくて天から預かってる気がしてたから、好きな事して生きて欲しい」と成人になってから言われた。


家族以外の人と接する機会がぐんと増えたこの頃から、クラスメイトとの会話中に何か疑問があったり、友達の疑問を聞いてると頭の中に瞬時に答えが響いた。


目を瞑ると宇宙が見えたから、体の中にあるのは宇宙で内臓があるなんて知らなかった。


みんなそうなんだと思っていたら、時には神様について、宇宙について(大宇宙、小宇宙)など幼稚園の子供が知り得ない答えまで知っていて大人に驚かれた所から恥ずかしくなり、口に出せなくなった。


くじ運が異常に良かったのもこの頃から小学校低学年まで続き、母はよく近所のおばさんに私をレンタルしてくじ引きをやらせた。


人の為に当ててあげる事はできないので、結局全てハズレ。


ハズレのお菓子とティッシュを袋いっぱいにたくさん持ち帰るハメになる私。


小学校の時、冬に商店街の薬局のくじ引きに一人で行かされ、一等から三等まで全部当ててしまい、当時の大きな箱に入った粉洗剤、箱入りティッシュをいくつも持ち帰らされる。


携帯もないし、助けを呼べないので泣きながら冬の夕方の道を二、三歩進んでは重さから指が千切れそうになり休むのを繰り返し、「こんなくじ運は要らない!」と怒りと共に泣きながら強く思った。


くじ運は、それ以来消えました(笑)


周りの人や場所のエネルギーに敏感で、子供時代の私は人と距離を置く孤独な、どこにも居場所がない日々。


祖父母の近所付き合いの良さのおかげもあり、下町の人情深さの中で育った私は本当は人が大好き。


けれども、誰も私をわかってくれない。

相談、恋愛成就や復縁など悩みがあるとみんな私に話しに来て、悩みが解消したりスッキリするのに私にはそんな相手がいない。


生きるのがつらい。こうなるから地球に生まれたくなかったのに、「いつも見守ってる」って言った西郷は、生まれてみたらどこにもいなくて、裏切られた気分で、見捨てられてかなり傷つき、成人を迎えた私。


この暗黒の時代が終わったのは、どうしたら、普通に生きられるんだろう?と悩み続けた答えを得た時。


普通の人などいない。自分を特別だと思うのを辞めて、ありのままの自分を自分が認める事。  

 

そして姿は見えないけど西郷が本当に居なくなった気がしなくて、よく考えてみたら、実はいつもいつも一緒にいて、私を導いてくれていた。


人生の危機、岐路に立たされた時、必ず西郷にそっくりな体が大きな、社会的にも力がある男性が現れる。


私がまた生きる力を回復するまでその時々で私に必要な物を無償で与えて献身的に助けてくれた。


私が問題を乗り越えると、関係が終わり消えてしまう人間版西郷、もしくは大きいお母さんみたいな男性達。


私が意識すれば西郷は現れるし、意識を向けなければ居ない存在。


いつかお話するかもしれませんが、天使との関わり方もこんなだった。


量子力学みたいな私と西郷の関係。


ここから目覚めた世界へ。



つづく