忘れないうちに、今の気持ちを記しておくための記事です。
長~いので、スルーで大丈夫よ
約2年闘病生活の末、弟が先日、天国へ旅立ちました。
入院してから20日ちょっと。
入院してからしばらくはコロナ対策もあって面会出来ず。。。
入院して1週間くらいたった頃に、血圧が急激に下がり、会わせたい人がいたらどうぞと面会の許可が出た。
血圧低下は薬のせいだったので、薬を減量してすぐに安定はしたけど、面会許可はそのままだったのでそれからは頻繁に顔を見に行くことが出来た。
とはいえ、弟の意識レベルは低く反応もなく。。
肺炎を起こしてはいるものの、バイタルはそれなりに安定してて、酸素の量も1桁だったから、肺炎が治ったら、家に連れて帰る方向で計画してた。
面会が可能になってからは、会社の人たちが入れ替わり立ち替わりお見舞いに来てくれて
1週間に往復6時間の道のりを3回も来て下さった方もいた。
亡くなる1週間程前に主治医から話があって、しばらくこんな感じかもしれないし、数日かもしれないって言われたとお嫁さんから連絡をもらった。
亡くなる前日、仕事帰りに病院に寄って、お嫁さんと2人、弟の枕元でおしゃべりして3時間くらい過ごして。
てかさ、弟が結婚してから20年くらい経つけど、お嫁さんとこんなにたくさん話すことなかったな。
うちの実家に来る時は、いつも大人しい感じだったから、そういう子だと思ってたけど、全然違ってた←今さら
思ったよりしっかりしてる子だった
消灯になったし、そろそろ帰ろっかなんて言って、
「また、明日来るからね~」
って、弟の頭を撫で撫でして。
家に帰ってリビングでうたた寝した後、お風呂入って、深夜2時半頃ベッドに入ってやっと寝付いた3時半過ぎ、お嫁さんから電話。
「今、病院から連絡あって、呼吸と脈が弱いって」
夜中だし、父には連絡せず、私だけで病院へ。
4時過ぎに着いた時には亡くなってた。
お嫁さんも間に合わなかったらしい。
下宿地から帰ってくる甥っ子には亡くなったことは伝えず、病院に頼んで甥っ子が到着するまでは、病室に居させて貰った。
甥っ子が亡くなった父親に対面してる姿は、胸が痛くて見ていられず病室を出た。
夜が明けて、葬儀などの準備に追われる。
本人の希望で、家族葬に。
現役だから普通の葬儀にした方が。。。と思ったけど、本人の希望と言うので💦
一旦、病院から家に連れて帰ってきて。
お通夜の日、式場への移動の際、仕事が大好きだった弟のため、かなり大回りになるけれど会社の前を通過してもらうようにお願い。
はじめは、通過するだけのつもりだったけど、たくさんの社員が会社の前で弟を待っててくれたらしく、急遽、車を運転する方が会社前に車を停めて棺を出して、皆さんに会ってもらったらしい。
家族葬ではあるけれど、通夜式の前後、葬儀の前に一般の方に焼香していただく時間を設けた。
通夜式のあと、私たちも驚くくらいの人数の社員の方が顔を見に来て下さった。
他の地域の支社の方も遠方より来て下さっていた。そして、私が知らない弟の話をしてくれた。
○○さんに、仕事の楽しさを教えて貰いました
○○さんは、破天荒な考えの持ち主だったけど、芯がぶれていないので、みんなが慕っていました。
○○さんは、YESマンではなかったので、そういうところが魅力でした。
○○さんには入社してすぐの頃、ほんとに優しくして頂いて。。
と、家族としては、有難い言葉をたくさん頂き、弟のことを誇らしく思えました。
男性の方たちもが涙を流して帰られる姿を見て、弟がほんとに皆さんに愛されてたんだと感じました。
ほんとにYESマンでなかったらしく
ある程度のキャリアを積んだ時、管理職への打診があった際、自分は1プレイヤーとして売上をあげる方が向いているとその話を断り。
また、何年か後にも、そのやり取りがあり、3回断り続けたが、さすがにもう断りきれなくて役を引き受けたという過去があるらしい笑
そして、学生時代サッカーなんかやったことがなかったのに、小学生にサッカーを教えるコーチをしてたり、おじさんサッカーチームで活動していたらしい。
たぶんサッカーを教えてた子だと思うけれど、20歳くらいの男の子が弟の遺影をしばらく見つめ続けていた。
びっくりしたのが、受付カードを見返していた時、見たことある名前が。。。
私が結婚前勤めていた会社の人。
なんでだ?
よく考えたら、その人もサッカーやってた人だから、サッカー繋がりで、弟と知り合いだったよう。毎年、年賀状のやり取りしてるけど、まさか、弟と繋がってたなんて世の中は狭い
そんな繋がりがあったのなら、弟が生きてるうちに話したかったな。
喪主は、お嫁さんだったけれど、葬儀の挨拶は甥っ子(大学3年)がやった。定型文を読むのは嫌だからと前夜一生懸命文章を考えたらしく、上手にスピーチしてた。
お嫁さんが、何年かぶりに机に向かってる姿見たって笑ってた
お寺に挨拶に行った時も、
「とっても良いご挨拶だったね。世のおじさんたちのほうがスピーチでやらかすんですよ笑」
と褒めていただいた。
スピーチと言えば、女性社員の人が、弟が朝礼などで社員に向けて話している動画をいくつか保存してあるので、DVDにして甥っ子にプレゼントしますねって言ってくれた
そんな感じで、なんとか通夜、葬儀も無事に終え、今はホッとしたところであります
弟が入院する4日前、スマホに文字を打ち始めた。話す事が出来なくなっていたので、コミュニケーションツールがスマホだった。
おとんは元気か?
うん、元気やよ。
弟は弟で、こんな病気になってしまった事が申し訳無いと父親に会うのが心苦しいと感じており、父は父で息子の姿を見ると涙が出てきてしまうって感じだった。
○○○(うちの息子)は、ちゃんと仕事行ってるか?
うん、頑張って働いとるよ。
なんで、息子の事?聞く?
○○(うちの娘)は、無事医者になれて良かったなぁ。
おかげさまで。
うちの娘は、特に可愛がって貰った。
自分病気になって大変なのに、みんなの事気にかけてくれてた。
あのタイミングで唐突にみんなのことを聞いてきたのは偶然だったのか。。。と今でも不思議。
入院する前日。
食事の際、嚥下が上手く出来なくなってたせいで、かなりむせてしまって
むせ込んだから、暑くなったのかな?
「外に出たい」
って言うから、酸素のチューブを外して、私が付き添って庭の塀に腰掛けて少し夜風に当たってた。
2人で並んで腰掛け、何を話すわけでもなく弟の背中をさすりながら時間にしたら5分くらいかな。
なんか明るいなと、ふと空を見たら満月
弟との最後の思い出は、まんげつの夜になりました。
50歳の若さで旅立つなんて早過ぎると思う反面、辛かったであろう2年間、泣き言ひとつ言わず頑張って生きていたので、苦痛から解き放たれて良かったと思ったり。
誰かが亡くなった時に毎回思うのですが、人1人亡くなっても、容赦なく世の中はいつも通りに動いている事になんとも言い難い気持ちになったり、いや、ずっと悲しんでいられない状況があるから、逆に救われているのかもと思ったり。
今はまだ、複雑な気持ちであります。。。