心の相談員ネットワーク全体活動の本年度開催は、戦後80年の節目にあたる広島で行う運びとなりました。
会員の多くの方々にご協力いただいた折り鶴の奉納がありました。
語り部さんから原爆の子の像の建立にまつわる「原爆の子の像と六年竹組の仲間たち」の被爆体験談を聞く機会にも恵まれました。
とても学びが深い一日となり、改めて世界平和について考えさせられました。
11月27日
マイカーで自宅から姫路駅へ。
道中は濃霧でした。
JR姫路駅
姫路駅から新幹線のぞみに乗車。
JR広島駅
広島駅着。
待ち合わせ場所の中央改札口。
先発組はすでに原爆資料館や折り鶴タワーに行っています。
12時20分 後発組合流。
お昼ご飯は焼きそば入り鯛焼き。
STEP.1平和への祈りと学び
平和記念公園
世界の平和を願い建設された都市公園
平和記念公園は広島市の中心部にある広大な公園で、世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されました。
園内には、世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。
平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。(広島公式観光サイトより引用)
13時 平和記念公園の原爆ドーム前で先発組と合流。
久しぶりに仲間と会えて嬉しかったです。
原爆ドーム
核兵器の廃絶と平和の大切さを世界へ訴えるシンボル
1996年12月、ユネスコ第20回世界遺産委員会メリダ会議で、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました。
指定範囲は原爆ドームの所在する地域、約0.39ヘクタールです。原爆ドームは1915年に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、1933年には「広島県産業奨励館」に改称されています。設計者はチェコの建築家ヤン・レツル氏で、構造は一部鉄骨を使用した煉瓦造、石材とモルタルで外装が施されていました。
全体は3階建で、正面中央部分に5階建の階段室、その上に銅板の楕円形ドーム(長軸約11m、短軸約8m、高さ4m)が載せられていました。その頃の広島は、都心部のほとんどは木造2階建ての建築であり、こうした大胆なヨーロッパ風の建物は非常に珍しく、川面に映えるモダンな美しさとあいまって広島名所の一つに数えられていました。1945年8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160m、高度約600mのところです。爆風の圧力は1平方メートルあたり35t、風速は440mという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。
戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。
1953年に広島県から広島市に譲渡され、1966年7月には広島市議会が原爆ドームの保存を決議を行い、その後、風化が進み、国内外での善意の募金により4回の大規模な保存工事が行われました。
また、世界遺産リストへの登録を求めて、市や市議会、広範な市民運動の結果、1995年6月に国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請。1996年12月、世界文化遺産へ登録されました。
現在では、被爆当時の惨状を残す姿がノーモア・ヒロシマの象徴として、時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルになっています。なお、原爆ドーム内部に立ち入ることはできません。入場できる施設ではありませんので、外からの見学になります。(広島公式観光サイトより引用)
初めて広島の中心地にやってきた僕は、初めて世界遺産の「原爆ドーム」を目の当たりにしました。
当時のことは想像できない現在の街並み。
そこに残された戦争の傷痕。
過去と現在を繋ぐ場所を、ゆっくりと歩きました。
イチョウ並木
樹種 イチョウ(Ginkgo biloba)
寄付者 静岡県 清水市
寄付年 昭和29年(1954年)3月23日
寄付の経緯
平和記念公園の完成を一年後に控えた昭和29年(1954年)、広島市は 「平和を愛する全国民の手で広島平和記念公園に平和郷を建設したい」との想いで、全国の市長に宛てて樹木の寄贈を要請しました。
その趣旨に応え、清水市からは10本のイチョウが贈られました。
(広島市公式ホームページより引用)
黄色く色付いた美しいイチョウ並木。
平和の時計塔
毎日8時15分に鳴るチャイムが全世界へノーモアヒロシマを訴える
建立年月日 昭和42年(1967年)10月28日3本の鉄柱がそれぞれ60度ずつひとひねりした塔上に、球体の三方を向いた時計が乗っています。(高さ約20m)
広島鯉城ライオンズクラブが原爆ドームの永久保存に呼応して建設したもので、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴えています。
このチャイム音は、環境庁の、「残したい日本の音百選」に平成8年(1996年)選定されました。(平和記念資料館に展示され8月6日の平和記念式典で使用される鐘と「平和の鐘」を加えた全体の音風景が対象)(広島公式観光サイトより引用)
「平和の時計塔」について企画委員の石田さんが丁寧に説明してくれました。
平和の鐘
核兵器と戦争のない世界の達成を目指す精神文化運動のシンボル
建立年月日 昭和39年(1964年)9月20日
核兵器と戦争のない世界の達成をめざし、その精神文化運動のシンボルとして「原爆被災者広島悲願結晶の会」が建立しました。
鐘(故香取正彦(人間国宝)さんの作品)の表面には「世界は一つ」を象徴する、国境のない世界地図が浮き彫りにされています。
撞座は、原水爆禁止の思いをこめて原子力マークにし、その反対側には、つく人の己の心を写し出す鏡が入れられています。
池には、大賀一郎教授が千葉市の遺跡から2000年前の種を掘り出し発芽させた、有名な大賀ハスが植えられています。
被爆当時、ハスの葉で傷をおおい、火傷の痛みをしのいだという被爆者の霊を慰めたものです。
環境庁の、残したい日本の音百選に平成8年(1996年)選定されました。(平和記念資料館に展示され8月6日の平和記念式典で使用される鐘と「平和の時計塔」のチャイム音を加えた全体の音風景が対象)(広島公式観光サイトより引用)
会員有志で「平和の鐘」を撞きました。
「核兵器と戦争のない世界でありますように。」
原爆供養塔
引き取り手のない遺骨およそ7万柱が納められた供養塔
建立年月日 昭和30年(1955年)8月5日爆心地に近いこの付近には、被爆後、遺体が散乱し、また、川から引き上げられたものなど、無数の遺体が運ばれ、荼毘にふされました。
昭和21年(1946年)市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、その後10年たった昭和30年(1955年)広島市が中心となり、老朽化した納骨堂を改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めました。
内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められています。
広島市は、氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨の名簿を毎年公開し、遺族を探しています。
昭和30年(1955年)に2,432柱あった遺骨のうち、今でも824柱の遺骨は引き取り手がなく、この供養塔に眠っています。
(平成19年(2007年)6月20日現在)昭和21年(1946年)以後、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教・宗派合同の供養慰霊祭が営まれています。(広島公式観光サイトより引用)
「原爆供養塔」の前でお線香を供え、読経しました。
「決して忘れません。」
「二度と繰り返しません。」
原爆の子の像
原爆の犠牲となったすべての子どもたちのための慰霊碑
建立年月日 昭和33年(1958年)5月5日(こどもの日)
2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さん。
その死に衝撃を受けた同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、全国3,100校余りの生徒と、イギリスをはじめ世界9か国からの支援により、完成したのが、高さ9メートルのこのブロンズ像です。(ブロンズ像3メートル、台座6メートル)
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像があります。
像の下におかれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
像の制作は、当時東京芸術大学教授だった菊地一雄さんです。(広島公式観光サイトより引用)
「原爆の子の像」にやってきました。
ここの「折り鶴展示ブース」に千羽鶴を奉納することができるのです。
多くの皆さんのご協力で集まった2,717羽の折り鶴。
代表して石田さん、上田さん、吉増さんの3名が奉納です。
皆さんより託されたお気持ちを、確かにお届けしました。
「平和への祈りを込めて」
高野山心の相談員ネットワーク
平和の灯
核兵器廃絶まで燃え続ける反核悲願の灯
建立年月日 昭和39年(1964年)8月1日
東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したものです。
台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
平成6年(1994年)に広島市で開催されたアジア競技大会の聖火に点火されるなど、各種行事において平和のシンボルとして採火されています。(広島公式観光サイトより引用)
「核兵器が地球上から姿を消す日がやってきますように。」
平和について考える、とてもいい時間。
このノンビリとした時間も、どれだけありがたいことでしょう。
広島国際会議場
平和記念公園内に立地しコンサートや修学旅行生の平和学習にも利用される会議場
広島国際会議場は、国際交流の推進と市民文化の向上を図ることを目的として、平和記念公園内に設置されています。
1,504名収容の大ホールをはじめ、国際会議ホールや大・中・小の会議室などを備えており、コンサートや講演会、国内・国際会議はもとより、展示会、企業や団体のお打合せなど、さまざまな用途に合わせ幅広くご利用いただいています。
各会議室は光ファイバーで接続されておりますので、講演会場から各会議室への配信やオンライン会議・ハイブリッド会議にも対応することが可能です。
また、平和記念公園内に立地している利点を活かし、年間100件以上の修学旅行生の平和学習の場としてもご利用いただいています。(広島公式観光サイトより引用)
「広島国際会議場」に向かいます。
地下一階の「会議運営事務室」
14時半 被爆体験伝承者の原紺充(はらこんみつる)さんをお招きして「平和学習」を行いました。
「六年竹組の仲間たち」のお話。
原爆の子の像が建立されるまでの経緯をお聴きすることができました。
80年前の8月6日に投下された原子爆弾。
それによって、さだちゃん(佐々木禎子さん)と川野さんは被爆されたのでした。
さだちゃんとの思い出。
亡くなったさだちゃんのためになにができるだろう。
「世界中の人が思いやりの心を持っていれば争いは起こりません」
今回体調不良で急遽原紺さんに替わりましたが、本来お話いただくはずだった被爆体験者・川野登美子さんのお話はYoutubeで見ることができます。
平和学習が終了して外に出ると、涙を連想させるような小雨が降り始めました。
僕はここにもなにかしらのメッセージ性を感じたのでした。
祈りの泉
水を求めながら亡くなった犠牲者の霊に捧げる噴水
昭和39年(1964年)、広島銀行が建設して、広島市に寄贈しました。
東西27メートル、南北19メートルの長円形の上に、二層の池を積み重ねています。
「祈りの泉」と名づけられ、「水を水を」と言いながら死んでいった犠牲者の霊に捧げる噴水です。
(広島公式観光サイトより引用)
17時過ぎ 「祈りの泉」を横目に「平和記念公園」を後にしました。
STEP.2放課後活動
アパホテル広島駅前大橋
僕はアパホテルにチェックイン。皆が思い思いの場所に泊まっています。
広島電鉄
チンチン電車で懇親会場へ。
蔵屋 中央通り店
18時半 懇親会を広島市最大の歓楽街・流川にある居酒屋「蔵屋 中央通り店」で行いました。
広島名物といえばやっぱり「カキ」。
カキ生産量日本一で有名な広島。広島湾周辺にはカキの好物プランクトンが豊富にあり、程よい塩分濃度が保たれているなど、カキの養殖に理想的な環境と言われています。その環境で育ったカキは、殻の大きさに対して身が詰まっており、ぷりっとして濃厚。特に1~2月はカキの美味しさの元であるグリコーゲンが大量に蓄えられることから、最も美味しいカキを味わえます。
生カキはもちろん、カキフライや焼きガキ、カキめしなど、さまざまな種類の料理があるので、カキツアーを開催するのもおすすめです。(旅サラダHPより引用)
これも広島名物「がんす」
玉ねぎと唐辛子を入れたすり身をフライにした広島県民のソウルフード「がんす」。広島の方言で「~でございます。」を意味する「~でがんす」に由来しています。丁寧な良い言葉を付ければ商品も良く成長するだろうという願いから名付けられた「がんす」。
一見、普通の魚のすり身フライですが、ジュワーっと魚の旨みが染み出たあとに、練り込まれた唐辛子の辛みと玉ねぎの甘みがベストマッチするほかにない商品です。他県ではほとんどお目にかかれない「がんす」は、広島でしか食べられない、まさにご当地グルメです。(旅サラダHPより引用)
そしてメインは「広島風お好み焼き」と、たくさん名物を満喫しました。
「広島お好み焼き」はその名のとおり広島風のお好み焼きです。広島お好み焼きは薄く焼いた生地のうえにあらかじめ焼いておいた中華麺や千切りキャベツ、豚肉などを乗せ、さらに生地をかけて焼くため、一般的な関西風のお好み焼きはとは具材や焼き方などが大きく異なります。
焼き上がったら関西風と同じくソースとマヨネーズをかけますが、広島お好み焼きは甘口のソースを使用するのが一般的。鉄板のうえでヘラで食べるのもその特徴です。(旅サラダHPより引用)
BAR 陀陀
引き続き二次会の「BAR 陀陀」へ。
久しぶりに僕もお付き合いしました。
本日の締め
まとめムービー
初日の様子をムービーにしてまとめましたのでご覧ください。














































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