誕生日おめでとう![]()
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家族みんなでお祝いしました。
自分が得するために他者を損させ、自分が仲間外れにならないように他者を排除する。
傷つけられないように身につけた自己の尊厳が他者の尊厳を傷つける。
自他の分離が進むと、そういうことに気がつきにくくなります。
【自他交換プログラム】
~僕が君で君が僕の生き方~
曜日 朝(計画) 日中(実行) 夜(振り返り)
「月曜」
「自分を他人に見立てる」布施の実践(対象:家族)
・家族に、自分が言われて嬉しい言葉をひとつかける
「火曜」
「自分を他人に見立てる」布施の実践
(対象:職場の人や友人など家族以外)
・職場など家庭外で、自分が言われて嬉しい言葉をひとつかける
「水曜」
「他人を自分に見立てる」慈悲の実践
(対象:家族)
・家族の気持ちをよく聴き、相手の立場や事情を想像し理解しようと努める
「木曜」
「他人を自分に見立てる」慈悲の実践
(対象:職場の人や友人など家族以外)
・職場など家庭外で、他者の気持ちをよく聴き、立場や事情を想像し理解しようと努める
「金曜」
「他者の喜びを自分のことのように喜ぶ」慈悲の実践
(対象:すべて)
・他者の幸せを喜び、共感する
「土曜」
「他者の悲しみを自分のことのように受け入れる」慈悲の実践
(対象:すべて)
・他者の悲しみに寄り添い、共感する
「日曜」
「自他平等を観じる」智慧の実践
(対象:すべて)
・自分の幸せが他者の幸せにつながり、他者の幸せが自分の幸せにつながるという循環をイメージし、「僕が君で、君が僕」の感覚を深めていく
月末に心の相談員ネットワークの全体活動で広島に行くことになりました。
行くのは僕だけですが、役員のなるピーたちが素敵な企画を立ててくれたおかげで、家族8人みんなが千羽鶴を折り、「平和への祈り」に共に参加することができました。
原爆に被爆して80周年の年。
夏に家族で訪れた長崎に続いて広島へ行くことになるとは不思議な巡り合わせです。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことはなし。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(仏陀の言葉)
広島や長崎で被爆された方々の恨みは、計り知れないほど深かったと思います。
しかし、その思いを報復へと向けず、平和を願い、戦争のない世界を築こうという願いは何よりも尊いものであり、深く敬意を捧げます。
今日やってきたのはこちら。
同じ町内にある天台宗の正福寺さんへ家族でお参りさせていただきました。
※正福寺縁起
天龍山正福寺 比叡山正覚院末寺
宗旨 天台宗 総本山 比叡山
宗祖 伝教大師 最澄上人
貞学二年(一六八四)の火事で、創建は不詳であるが、を町時代の五論塔がある事からそれ以前の建立。
元禄元年(一六八八)病魔降伏不動明王(県重文)を遷座し、元禄三年(一六九〇)中興する。
本堂には、博益画伯の宇宙につながる「慈湯浴衆図」や慈覚大師「入唐求法巡礼記」等の水墨画がある。
但馬七花寺霊場の一つ。正福寺桜が境内を描厳する。
山門前の供養塔は慶安の乱(中井正雪の乱)の四天王熊谷彌市良左衛門直義が両親の為に建立した。
直義はこの地に流浪し、元禄四年七月十日病没。直義の遺品の薙刀(長巻)と茶釜がある。
21年毎に御開帳される秘仏木造不動明王立像が11月1日より3日間だけ拝観できるというのです。
たまたま町の文化祭に来ていたので、そのままハシゴさせていただきました。
閉扉の90分前というギリギリの時間に駆け込みましたが、ちょうど6座目の護摩の最中であり、僕たちでもわかる般若心経と不動明王真言を共に唱えることができました。
その上最近特に仲良くさせていただいている御住職の熊谷圭諦さんに大般若経典で肩を叩いていただけました。
宗派は違えど、こういう機会に巡り会うことができ、共に仏道を伝える者同士が交流することができるのはとても嬉しいことですね。
その後間近で秘仏のお不動さんを拝顔することができました。
有り難いことです。
この不動明王は平安時代中期以前の作と推定され桂の木の一木造りであり、県の重要文化財に指定されているそうです。
ご真言は「ナマクサマンダバサラナンセンダマカロシャナソハタヤウンタラタカンマン」。
本堂の中央にはご本尊阿弥陀如来が祀られており、左手護摩壇の前にお祀りされる不動明王は過去はどうかわかりませんが現在はご本尊ではないようです。
次の機会は2046年。
なかなか果てしなく遠いですね(笑)
閉扉時間も近づきましたが、僕も15時過ぎにお寺にお参りに来られる方との約束があるため、後ろ髪をひかれながら帰りました。
後ろ髪ありませんけど。
町の企画するノルディックウォーキングのグループの方々がお越しになり、お寺の案内と法話をさせていただきました。
これで3年目になります。
皆勤賞の方もあったので、法話が被らないようにメモしておかなければなりませんね。
今回は「貪瞋痴の三毒と施慈慧の三善根(三薬)」についてお話しました。
皆様、身体の健康と心の健康をしっかりと保ってください。
よくお越しくださいました。
本日10時半より高野山から派遣された本山布教師さんが法話をしてくださる「高野山法話の集いin香住」が香住漁業協同組合大会議室にて開催されました。
87名の方々が参加され、高山隆英布教師さんのお話に耳を傾けられました。
僕は今回も司会を担当させていただきましたが、なんだか今年は司会ずくめの年です。
自分の話し方を修正していくよい機会となっているような気がします。
さて、高野山のトップである管長猊下の命を受けた本山布教師たちは全国各地を巡り教えを広めるべく布教活動を行います。
高山布教師さんは一昨年は美作、昨年は北海道、そして今年は但馬と、まさに全国を布教して巡っておられます。
そしてこの度の但馬においても豊岡、竹野、香住、美方、養西、養東、朝来の順に一週間かけて法話して回るのです。
なかなか大変なお役目を担っておられます。
高山布教師さんのお話はとても優しく、わかりやすい内容で皆から好評でした。
なかなか法話を聞ける機会のない中で、このように年に一度高野山の布教師さんから話を聞く機会があるというのはとてもありがたいという声もありました。
来年もまた10月24日に行われます。
参加費も無料で、真言宗の檀信徒でなくてもどなたでも法話が聞ける場となります。
法話が聞きたい方はぜひどうぞ。
10月16日。
高野山心の相談員ネットワークは能登地震被災地である志賀町富来の正久寺に4度目の訪問をし、現地の有志と共に結成した「富来つながりサポーター」として「お茶会」を開催しました。
4度目の訪問となりますが、お茶会としては2度目になります。
前回は我々スタッフも含めて30名程の予想以上の人数となり、屋外のテント席と屋内のテーブル席を合わせてなんとか対応できたという様相でしたが、今回の天気予報は雨。
更なる増員を目標にしていたものの、テントが使えない場合には屋内だけで対応するのは厳しいと感じていました。
また、現地スタッフの中心である区長さんが予定と重なり不参加。
さらには我々心の相談員メンバーの集まりも悪い上に、直前になって2名がキャンセルという事態にも相成り、接客対応人数にも不安ができてしまいました。
連れていく我が家の娘二人も微力ながら戦力に加えざるを得ないような状況です。
そのような中で迎えた当日。
準備を11時から行い、12時から15時までお茶会、15時からスタッフのシェア会をして16時に解散という予定です。
集まり過ぎても困るし雨降りくらいでちょうどいいかもという目論見をかき消すほどの土砂降りで、これではほとんど誰も来てくれないのではないかという不安も頭をよぎりました。
とはいえそれも杞憂に終わりました。
開始時刻の30分前くらいから続々と人が増え始め、13時頃には40人が屋内にひしめき合いました。
寺院ではありますが被災した建物を取り壊しており、残った客間だけでの応対ではとても狭いのです。
それでも廊下も使ってなんとか皆の席を確保でき、ご飯を食べながらお話をできる体制は整えることができました。
スタッフは一丸となっておもてなしです。
お昼ごはんに準備したおにぎりとお味噌汁、食後のお茶やコーヒー、それぞれにお渡しした各地から持ち寄ったお菓子の袋詰め合わせ。
皆がとても楽しそうに会食しておられる姿が我々の喜びでした。
我が家の次女と三女もお菓子を袋詰めしたり、インスタントのお味噌汁を作ったり、コーヒーを運んだり、自分のお役目を見つけることができたようで、僕はそれを横目に見ながら一安心。
ある程度食べることが落ち着いたころに、心の相談員メンバーは参加者の席の間に入って、傾聴をさせていただきます。
にぎやかで楽し気な雰囲気の中でなかなか深刻な話はし辛い状況であり、過去の仮設訪問の時のような心の痛み、悲しみを赤裸々に語る人はありませんでした。
これについては次回への課題です。
とはいえ不満や小さな怒りを吐き出す場としては機能したように思います。
・地元住民ではない人のゴミ(多分復興支援にきた土建業の方などではないか)が家庭ゴミのところに十分に分別せずに出されることが困るということ。
・家を解体して更地に戻したところが草ぼうぼうになって困っている。セイタカアワダチソウがすごく繁殖していて一面がそれに侵食されてしまう。防草シートを張りたいけれど、物価高で高いし悩ましいところであるということ。
・自分と同じような境遇の人としか悩みを分かち合うことができない。「そんなに差がないのにあの人の家は補助金30万もらってうちはもらえなかった」とか、更地にしたら「え~な~あんたんところは金があって」とか言われて辛いし、境遇が違うから分断が起きているということ。
・仮設住宅に入っている人はいろいろとイベントに声がかけてもらえるけれど、家が無事でそこに住んでいる人はほとんどイベントがあることも知らず寂しい思いをしているということ。
皆さんのお話を聞かせていただいていると、また以前とは違った悩みが生じてきているようです。
(ここには書けないこともあります)
そんなこんなであっという間の三時間でした。
今回も皆さんにとても喜んでいただけて、とてもよかったです。
皆さんからいただいた今後の大きな要望としては、一緒に読経したいというものや、法話が聞きたいということがありました。
我々高野山心の相談員は、宗教色を出さないことを心がけて今までやってきましたが、能登はお寺と深く結びついてきた地域性もあるからか、宗派は違えど温かく受け入れていただいているようです。
今後は少しずつそういう期待にもお応えしたほうがいいのかなと、前向きに検討することにしました。
我々心の相談員と現地のスタッフとでつくった「富来つながりサポーター」。
現地の方は大小あれど皆被災者でありながら、他者へのサポートをしていくというのはなかなかに大変なことなのですが、今回新たに3名の方が入って下さることになりました。
少しずつ広がっていくことに喜びを感じます。
また次に訪れるのは来春になるでしょうか。
それまでもラインではやり取りをしつつ、ますます仲良くなっていければと思います。
志賀町「しがちょう」ではなく「しかまち」とちゃんと読めるようになりました
富来を富貴と書き間違えたり、「とぎ」を「ふぎ」と読み間違えることもなくなりました。
富来地頭町「じとうまち」、富来領家町「りょうけまち」につづき、今回西海「さいかい」という地名を覚えました。
これだけでも現地の方々との距離は縮まっていくのです。
僕にとっても、娘二人ととも家族ぐるみで現地の方々と繋がれたことで、志賀町富来は「第2の故郷」ともいえる場所になりそうな予感がしています。
現地のスタッフさんが作ってくれたテルテル坊主。
空は晴れませんでしたが、みんなの心に晴れ間が見えたような気がします。
高野山心の相談員ネットワークは、能登半島地震被災地の志賀町・正久寺で久しぶりのお茶会を開催することになりました。
今回はまともに学校に行っていない長女や次女を誘って、連れていけたらと計画していました。
なにかしら感じてもらえたらと思ったのです。
そしたら長女は頑として行かないと拒否し、次女は「三女が一緒じゃなきゃ行かない」と条件を出す始末。
いつの間にか次女の根回しで、ちゃんと登校してほしい三女まで学校を休み、セットで行くことになってしまいました。
まー、学校より大切なこともあります。
朝7時半過ぎに家を出て、3人で能登へ向かいました。
順調に運転し、お昼を福井の南条サービスエリアで摂ります。
越前そば、美味しい!
思いの外の良い天気と時間の余裕。
このまま金沢に宿泊だけするのはもったいないとふと思い、輪島市まで足を伸ばすことに決めました。
のと里山海道に入り、西山パーキングでトイレ休憩。
運転は疲れますが、子どもたちに現地を見せたいという思いは、それを吹き飛ばしますね。
それにしても、いつも下りる西山インターチェンジを過ぎてから道路の風景が一変して驚きました。
まだまだ工事だらけ。
車に乗っていて感じる凹凸。
建物の解体もまだまだ終わっていないのですね。
歪んだままの電柱や看板。
まだ手付かずの家屋。
三大朝市と言われた「輪島朝市」のあった場所。
更地になった場所はすでに草がボウボウで、やがてセイタカアワダチソウに侵食されてしまいそう。
かつての隆盛の面影はなく、虚しさを感じる風景です。
神社やお寺の再興もなかなか大変だろうなと推察。
仮設住宅は追い打ちの豪雨被害もあったそうですし、被災者の方々の心が心配です。
子どもたちはなんだか寒気がしたと呟いていました。
とはいえ、現地の様子を自分の目で見て、リアルに肌で感じてもらうことができて、僕としてはよかったと思いました。
たとえ1年と10ヵ月も経った後の景色で、被災直後とは生々しさは全然違ったとしても・・・。
さ~、再び金沢へと帰りかけたところ、行きは大丈夫だったのに「のと里山海道」が事故で封鎖されてしまって、下道をいかなくてはならなくなりました。
しかも下道は大渋滞で、正直18時頃には金沢駅前に戻れると思っていたのに、何時になることやらとがっかり。。。
けれども横田インターの住所がわからなくて調べると、なんと行ってみたいと思っていた被災地NGO恊働センターの能登拠点と住所が近かったので労せず寄ることができたのです。
17:24 小牧集会所「じんのび広場」着。
住所:七尾市中島町小牧(ななおしなかじままちおまき)ョ40-1
【被災地NGO協働センターの活動紹介】
能登半島地震特集 (地域を守る!被災者等の支援)
在宅避難者を支え、心のよりどころとなる支援拠点「じんのび広場」の設置
取組主体 被災地NGO恊働センター
従業員数 4人
想定災害 地震
実施地域 石川県七尾市
2024 年1月に発生した能登半島地震で被害のあった石川県七尾市中島町に拠点を構え、在宅避難者への物資配布やイベント開催などの支援を通じて、地域住民の心のよりどころとなる居場所づくりを実現している。
- 取組の概要
・兵庫県神戸市を拠点として災害救援事業を行う非営利団体「被災地 NGO 恊働センター」は、能登半島地震で被害を
受けた石川県七尾市中島町において、在宅避難者を支援する拠点「じんのび広場」を設置し、支援活動を行ってい
る。
・同センターは被災者にとって安らげる居場所をつくることを目的として「じんのび広場」を拠点に、企業や個人から
集めた支援物資の配布や、炊き出しやマッサージの提供、サロン活動、個別相談、家屋清掃の手伝いなどを実施して
いる。
・同センターのある神戸市は、1995 年に発生した阪神・淡路大震災の際に、国内外から多くの支援を受けた。同セン
ターはその支援を他の被災地にも還元していきたいという想いから、災害救援活動を開始した。ボランティア活動に
おいては「なんでもありや」「最後の一人まで」をモットーに、様々な被災地の復興に携わりながら地域の自立を支
える支援活動を行っている。
- 取組のきっかけと想い
・同センターは、2007 年に発生した能登半島地震の際に、同県輪島市や穴水町の仮設住宅や復興公営住宅における足
湯ボランティアとして支援活動を行っていた。その際は、物資支援は行っていなかったものの、2024 年に再び発生
した能登半島地震はより被害が大きく、七尾市中島町において在宅避難者が物資支援などを十分に受けられていない
状況を現地で目の当たりにした。在宅避難者は自宅にとどまっているため、情報が届きにくく、支援物資もほとんど
受け取れず、行政からの支援も水のみに限定されていた。特に地震発生後の断水が続いている時期には、生活が困難
を極めていた。水などの必要物資の提供はできたものの、その一方で被災者にとって安らげる居場所が不足している
のが当時の状況であった。
・そこで、同センターでは、単なる物資配布だけでなく、被災者の要望や話をしっかりと聞き、安心して過ごせる居場
所を提供したいとの想いから、「じんのび広場」を拠点として立ち上げた。
- 取組の特徴(差別化した点、地域特性などで工夫した点等)
自由に選べる物資配布スタイル
・被災者一人ひとりのニーズに応えるため、支援物資を自由に持ち帰れるショッピングセンター形式を採用した。被災
者の世帯状況は様々で、必要な物資や数量も異なるため、必要な物を必要なだけ持ち帰ることができるようにした。
また、LINE公式アカウントを活用して情報を広く周知し、多くの在宅避難者に支援情報を届けた。
物資配布だけでない、被災者がほっと一息つける居場所づくり
・物資配布拠点内にコーヒーやお茶が飲める休憩コーナーを設け、整体師資格のあるボランティアの協力のもと、マッ
サージや整体スペースをつくり、音楽演奏会を開催するなどの工夫をし、物資配布のためだけの場所ではない、被災
者がほっと一息つける居場所をつくった。また、ボランティア協力のもと、災害ごみや家屋の片付け、罹災証明の方
法など、被災後に直面する問題に対して、相談に乗れる体制もつくった。
地域との強固な連携による柔軟な協力体制の構築
・七尾市中島町小牧地区の協力を得て、集会所を物資配布の拠点として活用した。同センターは2007年の能登半島地
震で行ったボランティア活動をきっかけに、同地区でのお祭りに神輿(みこし)や枠旗(わくばた)の担ぎ手として
参加したり、同地区の方々が旅行で神戸市を訪れた際には同センターを訪れてくれたりするなど、日頃より同地区の
住民と交流があり、関係が強固であった。そのため、発災時にも集会所の貸出しだけでなく、運営に関する協力体制
もスムーズに構築することができた。地元ボランティアと共に活動することで、地域全体で被災者を支える体制を築
いた。
- 取組の効果
適切な支援の提供
・取組開始時のアンケート調査では、2月から3月にかけて自宅での自炊が困難な在宅避難者が 49%に上り、満足な
食事を取れていない住民も多かった。炊き出しや物資配布を通じて、こうした方々に必要な支援を届けることができ
た。また、支援が届いていない人たちに対して、ニーズに沿った支援物資を提供することができた。
被災者の居場所づくり
・支援物資の提供や家屋清掃の手伝いだけでなく、物資配布場所は被災者の居場所として機能した。お茶やコーヒーを
飲むスペースを併設したことで、被災者がゆっくりと自身の気持ちを話せる場となり、心のケアにもつながった。
周囲の声
・「物資を受け取るだけでなく、ここに来ることが心のよりどころとなっています」(物資配布拠点利用者)
・「こちらに来ることで落ち込むことが激減しました。災害ごみについて正しい情報を聞かせていただき、感謝してい
ます」(物資配布拠点利用者)
・「実家の片付けや罹災証明の内容についても相談に乗っていただき、ありがとうございます。物資はもちろん、様々
な相談に対応していただき感謝しています」(物資配布拠点利用者)
担当者の声
・災害時には特に在宅避難者など、支援が届きにくい方がたくさんいます。行政や災害ボランティアセンターだけでは、残念ながら支援が十分に届いているとはいえない状況があります。こうした状況を改善していくためには、地域の方と連携した、小さくとも被災者の身近に存在する支援拠点が重要だと考えています。こうした取組はハードルが高く感じられますが、被災者のニーズを取りこぼさないためには、どんなに小さな規模でも拠点が存在することがまず重要だと感じています。
問合せ先 被災地NGO恊働センター
電話番号:078-574-0701 FAX:078-574-0702
E-Mail:info@ngo-kyodo.org URL:http://ngo-kyodo.org/
お世話になった増七尾市中島町小牧の集会所で、民間ボランティア団体が能登半島地震の被災者への支援物資の配布拠点「じんのび広場」を設けている。市の物資配布は飲食店やスーパーの営業再開に伴ってなくなり、水の配布のみ。地域住民らが必要な物資を求めて足を運んでいる。
2007年の能登半島地震を機に小牧の住民と交流がある神戸市の被災地NGO恊働センターが運営。地震の翌日(1月2日)に七尾に支援物資を届け、1月中旬から佐賀県のおもやいボランティアセンターと協力し、全国の企業や団体から集めた物資を配布している。米や子ども服、簡易トイレ、ペット用品など幅広くそろえ、手製の棚に並べている。3月から毎週木曜日は休み。
NGOのスタッフによると、七尾を中心に志賀町などから1日平均30人、2月中旬までに延べ509人が来場。口コミなどで広まり「行政の支援がないので助かるという声が多い。2カ月たっても増えている」という。多い日は70人が訪れ、すぐなくなってしまうため「家族分だけ」に限定。情報発信の専用LINEも開設し、炊き出しや子ども向けイベントも行っている。
来場者にはアンケートや困り事のニーズ調査も実施。近所の徳間慶子さん(71)は「家が傾いているのでボランティアに来てもらって助かった」と感謝する。地元住民としてボランティアに参加する石坂智子さん(44)は「まだ物資が必要な人がたくさんいるので、必要なところに届いてほしい」と語った。(中国新聞2024.3.3大野沙羅さんの記事より転載)
【被災地NGO協働センターによる救援活動の様子】
イレギュラーな出来事のおかげで、お世話になった増島さんと再会することができたという奇跡。
ありがたき法縁とはこのことだと思いました!
増島さんは約2年ずっとこの能登に居続けて被災地支援をし続けておられる貴重な存在です。
いや能登だけじゃなく、東日本大震災も広島豪雨災害もです。
僕は心の相談員の研修会においてお話を聞かせていただいたり、実際に支援活動を共にさせていただいたことがあったのです。
2024年7月にご一緒した時の写真。
少しの時間でしたが、復興の遅い現状について聞かせていただき、最後に二人の娘とも写真を撮ってもらいました。
「能登には若者が少ないから、きっと皆さんから喜ばれると思うよ。明日はお茶会よろしくね」とエールをいただき、送ってもらいました。
ホテルにたどり着いたら19時半。
さすがにくたびれました。
20時過ぎてから、ようやく「海力」という居酒屋で晩御飯。
金沢おでんの出汁巻きが美味しかったです。
金沢駅東口にある「鼓門」でパシャリ。
21時半頃、ようやくホテルに戻ってこれました。
すると二人の娘が「横になって。運転お疲れ様」と、なんと足をマッサージしてくれるではありませんか。
とても幸せです。
それを噛みしめながら、それが突然天災により失われることも想像しながら、被災地の方々との関わりを改めて大切に思いました。
さ~、明日が本番、おやすみなさい。