イチョウの掃き掃除が大変な時期がきました。
鳥取市のホテルモナークにて、高野山「正智院」の住職である「園田佑雅(そのだゆうが)」僧正が上綱になられた祝賀会が開催されました。
上綱は「じょうご」もしくは「じょうごう」と読み、「学道(経典や論疏の勉学)」を修めた高野山山内寺院の僧しかなることができない階位です。
上綱になると、弘法大師の身代わりとなって山内行事の導師を務めるという「法印」という栄誉職を勤める資格を得ることができ、資格保持者が1年交代で務めていく法印に就任するまでその時を待つことになります。
法印を務め上げると、「前官(ぜんがん)」と呼ばれるようになります。
今は「じょうごさん」とお呼びし、そのうち「ほういんさん」と一年間だけお呼びし、やがて「ぜんがんさん」と呼ぶことになるということです。
さて、高野山には117ものお寺がありますが、山下の寺院は地域ごとにそれぞれ所縁坊(しょえんぼう)というお寺を山上に持っています。
昔から高野山寺院と諸国大名の檀縁関係により、越後の国は何々院、山城の国は何々院とそれぞれの所縁坊が決まっていたのだそうです。
ちなみに但馬の北部寺院の多くは「正智院」で、但馬の南部寺院の多くは「南院」を所縁坊としています。
もちろん現在は古きの所縁にこだわらず、新たな所縁を結んでいる場合もあるので、これに当てはまらないこともあります。
とはいえ我が善住寺は昔から「正智院」と深い繋がりをもち、お付き合いさせていただいています。
今回は但馬の有志が立ち上げたお祝い会であり、わざわざ園田さんにはこちらまで出向いてもらったのです。
園田さんは当時甲子園に出るなどして強かった高野山高校に野球をするために高野山に登られました。
卒業後ご縁あって正智院先代住職と子弟の関係を結ばれ、そのままずっと正智院で働いておられました。
そして昨年先代住職が亡くなった後、正式に住職をして跡を継がれることとなったのです。
「北の清原、南の園田と言われ、今でもドラフトの指名を待ち続けている。そんな野球少年だった私が今この場にいることが信じられない」というご挨拶は、縁の不思議さを感じさせるものでした。
園田さんおめでとうございます。
今日も七五三参り。
檀家さんの外孫さんなのですが、我が寺にご縁を求めてくださいました。
ありがたいことです。
3歳を迎えたことを喜び、これからの健やかなる成長を改めて願いました。
「長生きしてね」といって千歳飴を渡したところ、さっそくその場で食べてくれました。
もともとは3歳までの子どもは髪を剃り、伸ばさなかっといいます。3歳を迎えて初めて髪を伸ばし始めるのだそうです。
それゆえに七五三の中でも3歳は「髪置の儀」という節目として大切にされていたのですね。
今回も絵馬をお渡しして願いを書いてもらいました。
「願い事ってあるかな?」
「うん」
「どんな願いごと?」
「まんまる!」
ってことで、願いは「円満」ですね。
きっと叶いますように☆
但馬支所が8年ぶりに豊岡市民会館文化ホールにて開催した「特別伝道」。
高野山管長猊下・長谷部真道僧正をお迎えし、但馬支所下寺院の僧侶が大集合し、800人の一般参加の方々と共に盛大なる法会を行うことができました。
読経しながら、やはり声が結集するというのは素晴らしいなと感じておりました。
参加者の皆様には、この読経を浴びて身心浄化していただけたなら幸いです。
僕もこのどこかにいます。
探してみてくださいね(笑)
午後からは御詠歌の奉納もあり、これにも僕は出演しています。
画質が悪いですがご覧ください。
妻も出演しております。
最後に河内家菊水丸氏による河内音頭に乗せた「弘法大師一代記」の公演で締めくくられました。
素晴らしい一日でした。
本日は七五三祈願。
いいお天気に恵まれて、七五三日和でしたね。
御本尊大日如来前にて七五三を迎えたことを喜び、身体健全祈願を行いました。
どうかこれからもますます元気に成長してください。
絵馬を見つけて「これ書きたい」と言ってくれたのもご縁ですね。




























