初めてのシャンプーへ。
但馬奉詠舞大会が養父市ビバホールにて開催されました。
今回の奉詠舞大会では、私が指導させていただいている善住寺中級組も善性寺組もいろいろとミスがでてしまい、登壇された方々としては悔しい結果になってしまったという表情でした。
とはいえ結果がすべてというプロではありませんし、私としてはプロセスが大切だと考える方ですので、皆さんの練習の姿を思い浮かべながら良き時間が過ごせたと感じています。
そしてこの悔しさは、また次の機会へのモチベーションになるのでしょう。
善住寺中級組奉詠「妙遍」を動画でご覧ください。
奉詠の部が終了後に御詠歌講習があり、それを私が担当致しました。
悲喜こもごもといった様子だった分、とても印象深い大会となりました。
3月30日(日)
雪の出発。
6:00 熊谷バス停
8:56 姫路港着
切符購入。
姫路港→福田港
11:30 小豆島上陸。
「手延べそうめん館」でお昼ごはん。
光明寺。
釣り鐘は入寺の際に鳴らします。
ローソクやお線香をお供えします。
在家勤行(開経偈・懺悔文・三帰三竟・十善戒・般若心経・諸真言・回向)を読経します。
明王寺。
釈迦堂。
阿弥陀寺。
櫻ノ庵。
阿弥陀寺→櫻ノ庵→誓願寺庵→安養寺は徒歩での遍路道を行きます。
誓願寺庵。
安養寺。
救世堂。
大観音。
お弁当調達。
12:30 小瀬海岸でお昼ごはん。
小瀬の重岩。
中間点にあるカカオ庵で一休み。
浄土庵。
江洞窟。
西光寺。
誓願の塔。
16:50 旭屋旅館着。
17:50 夕勤行。
18:15 晩御飯。
就寝。
4月1日(火)
6:45 朝勤行。
7:00 朝ごはん。
旭屋旅館出発前の報恩感謝の読経。
8:20 宿出発。
旧八幡宮。
特別天然記念物である宝生院の真柏。
宝幢坊。
宝生院。
特別天然記念物の「真柏」をバックに記念写真。
観音堂。
行者堂。
霊場総本院。
11:50 土庄港ターミナルでお昼ごはん。
お買い物タイム。
フェリー乗船。土庄港→新岡山港
島に向かって感謝の読経。
新岡山港から山陽道へ。
龍野西SA。
19:30 帰宅。
今日は年に一度の善住寺のご本尊大日如来の大祭であり、護摩を修しました。
役員さんや御詠歌隊の皆さんなど大勢がお参りくださいました。
壇の中に不動明王を招来し、不動明王の口に見立てた炉の中にたくさんの供え物を捧げると共に、願い事の記された護摩木を不動明王の智火で焚き上げました。
ご本尊金剛界大日如来のご真言。
オンバザラダトバン。
不動明王のご真言(慈救呪)。
ノウマクサンマンダバサラダンカンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン。
私が幸せでありますように。
私の大切なあなたが幸せでありますように。
あらゆる命あるものたちが幸せでありますように。
私の嫌いなあの人が幸せでありますように。
105才のおばあが何か一人で怒ってる(笑)
見当たらない82才の息子に向かって「ちゃんと言ってから出かけんと心配するがな」と![]()
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本日は久斗山へ49日のお参りにいきました。
その折に、喪主さまより「泉下の客となる」という言葉を教えてもらいました。
これは「死ぬ」「亡くなる」という言葉を直接的ではなく遠回しに表現した言葉なのだそうです。
知らなかったので、良いことを聞いたと思いました。
このような表現は他にもあります。
「鬼籍に入る(きせきにいる)」
これはよく聞きますね。
「幽冥界を異にする(ゆうめいさかいをことにする)」
これは高野山からいただく弔辞でよく使われている言葉です。
「身罷る(みまかる)」
これも耳にしたことがあります。
「白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)」
これも初めて知りました。
いろいろな表現があるものですね。
覚えておきたいです。
「今日彼岸菩提の種をまく日かな」という俳句があります。
お彼岸は先祖に思いを馳せる日であるとともに、菩提の種まきをする日なのです。
昼と夜が同じ長さとなるお彼岸の日は、見えない部分と見える部分の差ががちょうどゼロになる日のため、生と死、物質と精神、顕在と潜在、此岸と彼岸など、二つの対立概念が調和する日となります。
特に春のお彼岸はゼロから少しずつ昼が長くなっていくことから、スタートにふさわしい日でもあります。
自分が行った行為が、結果として実るまでの目に見えない形成過程(潜在形成)を「サンスカーラ」というのは以前述べた通りです。
春彼岸に仏になるための行為の種をまくことで、秋彼岸頃には何かしらの果が結ばれるのだとイメージすることで、サンスカーラという潜在形成の期間があることを理解できますね。
因果は直結ではなく、時間差があるのです。
その上、「善い行いをすれば善い結果が生じる(善因善果)」「悪い行いをすれば悪い結果が生じる(悪因悪果)」というのは「縁という条件が整えば生じる」という複雑な法則になります。
ですから「自分がすべきことを行った(因)としても、結果(果)は外的条件(縁)によって変わる」という認識も合わせ持つことで、「結果に執着することなく、最善を尽くすこと」 を大事にしてください。
また外的条件となる「環境を整えること」も大事だと気付けるはずです。
さらには、仏教でも唯識派などは自身の内面が外的条件(縁)を引き寄せると言われており、内面が習慣により形成されていくとするならば、習慣こそが大事だとわかります。
それではどのような種まきをすればいいのでしょうか。
悟りを開くために必要なサンスカーラに、「別境心所」という5つの習慣形成が挙げられます。
それは「欲(chanda-チャンダ)」「勝解(adhimokṣa-アディモクシャ)」「念(smṛti-スムリティ)」「定(samādhi-サマーディ)」「慧(prajñā-プラジュニャー)」です。
1、「欲(chanda)」
悟り(成仏)を求める向上心をもつこと。
2、「勝解(adhimokṣa)」
成仏道への確信をもつこと。メリットをちゃんと解っていること。
3、「念(smṛti)」
無意識ではなく気づきをもって(自己の行為がどこに繋がるのかを意識しながら)行動すること。
4、「定(samādhi)」
心を整え、行動が感情に流されないようにすること。
5、「慧(prajñā)」
宇宙の法則(ダルマ)を見抜く洞察力のことであり、ダルマに抵抗しないように執着を手放していくこと。
これらの5つの習慣形成が、菩提の果実を結ぶ「因」となるのです。
もちろん縁が整わず悟りを得ることができないかもしれません。
それでもこの5つの実践は、素晴らしいものだと確信し、やり続けていくのです。
そろそろ在家の方にもこれを伝えていい頃ですね。
※子供達と一緒にお墓の掃除をして、お参りしてきました
今夜は祖母の105才の誕生会を行いました。
鉄人とはこの人のことを言うのでしょう。
100才の頃には真っ直ぐに伸びていた姿勢も近年腰が曲がり、毎日着ていた着物も洋服へとシフトしました。
一昨年は咳がひどくて大変な時期が数ヶ月続いたり、昨年は足腰が突然痛くなり2ヶ月ほどは布団の中で過ごしていることの方が多かったです。
このまま寝たきりになるのではと思うこともありましたが、再び回復してきています。
暖かい日には外の散歩をし、クロスワードの雑誌を毎月買っては毎日取り組んでいます。
ご飯の量は少しずつ減り続けていますが、お茶碗に6分目くらいをコンスタントに食べています。
お肉は鶏肉なら少し口にすることもありますが牛や豚は昔から食べません。
魚とお野菜、山菜を食べています。
アルコールは年に数度お祝い事の時などち薄く水で割った梅酒や、お正月のお屠蘇をいただく程度で、ほとんど摂りません。
性格は短気であり、ようやく100才を越えて丸くなってきましたが、まだまだです。
よく孫(僕)と口喧嘩しています。
耳はだいぶ遠くなりましたが、口元を見ながらの会話に支障はありません。電話だと何を言っているかよくわからないそうです。
目も鼻も悪くなく、口は達者です。
さて何才までいけるのでしょうね。
まだまだ死をイメージできないです。




















































































































































































































