昨日からお通夜とお葬式に大阪に来ている。
30代の若さで亡くなった、僕より10才年下の男の子。
そう、僕の中では小学生だった男の子の姿のまま止まっている。
まさか僕が君に引導を渡すことになるとはね。
奥さんと3人の子ども(1番下は0才)を残して、さぞかし無念だったことだろう。
まだまだ喋り口調のおぼこい娘ちゃんが無邪気に言っている。
「パパはおねんねしているよ。おきがえもしたんだよ。」
「パパ、ここに入ってるの?なんで病気になったの?」
答えることができずに、ただ頷くしかできない僕がいる。
もう少しだけ一緒にいさせてあげたかったな。
もう少しだけお父さんとの思い出を刻ませてあげたかったな。
それでもカルマにからめとられてほしくはないなと思う。
可哀想(かわいそう)と誰かから言われるかもしれない。
「哀しいだろうと想像することができる」という意味を越え、「不幸のレッテル」が貼られるのもまたカルマだ。
そんなマイナスなイメージを社会から決めつけられないでほしいし、同情という名のマウントをとられないでもいてほしい。
遺された奥さん、子どもたち。
あなたたちは不幸な人ではない。
そんなマイナスを振り払うような戒名を彼につけさせていただいた。
「龍の如く翔びあがれよ。業(カルマ)を浄化するために。」との四文字。
故人が仏道を歩む名前であり、遺された人たちが何度も呼ぶ名前が、何かしらの気付きとなりますように。
僕は何人の人たちを見送るのかな。
なかなかにしんどいところもあるけれど、喜んでもらえたことは、ただただ僧侶冥利につきる。