meditation(瞑想)は中国語の「ching-jing-wu-wei」(何もせずに静かに座ること)を訳したものですが、原意を伝え切れていない言葉です。道教や仏教の信者は、人は誰も、自分という存在の芯となる部分の奥深くに、原始の魂という尊い真珠を持っていると考えています。この尊い真珠は全宇宙を映す鏡なのです。
インドには心を静める瞑想の「サマーディ」があり、ヒンドウー教、仏教、ジャイナ教でよく行われています。人の精神エネルギーの経路を開き、向かうべきただひとつの方向に心を導く可能性を秘めているところから、精神修養に不可欠なものと考えられています。
瞑想とは何か?どんな文化も、それに対する答えを持っています。だた座って、そこに「いる」ことは、私たちが命と引き換えに無視している、人間の自然な要求なのです。(途中、省略)ただ「いる」こと、そして自分の思いや不安を静めることこそ、私たちが必死で身に付けたいと願っていることなのです。
『ヨーガの世界』(キャシー・フィリップス著 産調出版)p131より一部を引用しました
