前回、イエスの十字架上に記された「INRI」を取り上げ、キリスト教、稲荷、秦氏などの関連について、いろいろ憶測を書きました。(゚∀゚)
「INRI」とはラテン語、
「Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum」の頭文字で、
「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味です。
そしてこの「INRI」と同義である「JNRI」の文字が記された銅板が、江戸時代、「多胡碑(たごひ)」という石碑の下から見つかっているのです。
「多胡碑」とは、国宝と同格の特別史跡に指定されている、群馬県高崎市吉井町に現存する石碑です。
奈良時代の初め、上野国(こうずけのくに) に新しく「多胡郡(たごのこおり)」 が誕生したことを記念して建てられました。
この石碑には文字が刻まれているのですが、謎が多く、その中の、
羊に給して多胡の郡と成す(=多胡郡を設け、羊に支配させる)
・・の「羊」や「多胡」の意味については、古くからさまざまな説があるようです。
一般的には、「羊」とは、建郡に貢献し、この石碑を建てた多胡郡の長官「羊(ひつじ)」という人物を表すと考えられています。
そしてこの人物は、「渡来人」や「古代キリスト教徒」だったのでは? とも言われています。(諸説あり)
この「羊」は、後に「羊太夫(ひつじだゆう)」という伝説の人物として語り継がれるようになりました。
「多胡(たご)」については、古代中国の北方・西方「胡国(ここく)」の民族「胡人(こじん)」が多く住んでいたことを表す・・渡来人が多いことを表す・・などの説があります。(諸説あり)
そんな多胡碑を、地元では親しみを込めて「ひつじさま」と呼び、神として祀っているのです・・
ひつじさま?
「羊太夫(ひつじだゆう)」の伝説を大まかに説明すると・・
昔、多胡郡に羊大夫という郡司がいて、従者の小脛 (こはぎ) に馬を引かせると、馬は稲妻のように早く走ったため、それに乗って奈良の都に日参していた。(空を飛んだとも)
ある時羊太夫は、昼寝をしている小脛の両脇に羽が生えているのを見つけ、それを抜いてしまった。
そのため今までの速さで走れなくなり、奈良に行くことができなくなった。
羊太夫が姿を見せなくなったことで、朝廷は謀反を企てているとみなし、軍勢を派遣し、羊大夫を討伐した。
・・という、なんとも不思議な伝説なのです・・
この多胡碑の下からは、「JNRI」と書かれた銅板の他に「十字架」も見つかっています。
「キリスト教」と関係があることになりますね! (・Д・)
そのため奈良時代、既にキリスト教が日本に伝来していた可能性が指摘されています。
★通説ではキリスト教は、イエズス会修道士・フランシスコ・ザビエルが、1549年(室町時代)に日本に伝えたとされています。
オマケ(ペンギン)
そしてその時代に日本へ到達しえたキリスト教の宗派といえば、当時中国で繁栄していた「景教(ネストリウス派)」なのだそうです。
「景教」「ネストリウス派」・・といえば「秦氏」「秦河勝」が浮かびますね! (・∀・)
秦河勝
これら多胡碑の銅板や十字架についての記録や推測は、江戸時代の平戸藩主・松浦静山(まつうらせいざん) が、随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」で紹介しているものです。
その中で静山はさらに、京都太秦「広隆寺」にも景教の影響があるのでは? と推論を書いています。
広隆寺は、秦河勝が弥勒菩薩像を祀るため建立した寺院です。
広隆寺

「多胡碑」→ 「羊」 「キリスト教」・・

「イエス・キリスト」は 「羊飼い」・・
何やらキリスト教の秘密が隠れているような印象の、謎の石碑
「多胡碑」・・
この多胡碑のある群馬県には「隠れキリシタン」が多かった、という説もあるようです。
「INRI」「JNRI」「キリスト教」「稲荷」「多胡碑」「羊太夫」「渡来人」「秦氏」「景教(ネストリウス派)」「羊(飼い)」?
・・これらの関連は、何かを表しているのでしょうか・・?
このようなワード、特に興味深い「多胡碑」「羊太夫」について、さらに掘ってみたいと思います・・ (゚∀゚)
ひつじさま?
「上毛かるた」より























