映像をみる。
そこには文字が書いてあった。
「〇〇〇 〇〇〇 〇〇〇〇」
目の前に大きくひらがなで、「」鍵かっこ付きで!
その向こう側にはぼんやりと誰かが何かをしている。
私はそのひらがなを読んだ。いや、何度も読もうとした。だが読めない。
たかが数文字のひらがなが読めない。
それでも深く追求はしない。
追求しても分かるはずがないことを知ってるから。
つたない知識や常識、を使って考えても無意味だから。そんなものを使っていては云わんとすることを私の思惑によってねじ曲げてしまう。
私はそうやって多くの道を遠回りしてきた。
自分という意識を介入させて道を選びその結果遠い道を選んできた。
その度に愕然とした。
その度に岐路を間違えたことに気づく。
何故間違えたかとその時のことを振り返れば、自分の小さな器の中だけで考えたから。
周りを見れば、様々な器があることに気づく。
立派に見えるものそうでないもの
立派に見えるのは何故かとよく眺めてみる。
そこには小さな穴があいていた。
どれもこれも…。小さな傷があったり。
立派に見えないものはちゃんと水を蓄えていた。
何故見え方が違うのか?
それは私の主観でしかないのだと気づく、単なる思い込み。
それらの全く違うしかし何処か似通った器
そして、自分の器
小さな自分の器で考えても求める答えはでない。
だから私は考えない。
考えるのを止めたとき、ふとそれが分かる。
何故、ひらがなが読めないか。簡単なひらがなが読めないか。大きくハッキリと書かれた文字が読めないか?
『読めてしまったらつまらないからだよ…。』
知ってしまったらつまらないからだよ。
いつも欲しいものが手のひらにあったらつまらないからだよ…
欲しいものもなく求めるものもなく願うこともなく探すこともなく夢もなく希望もない。
果たしてそんな世界が楽しいと言えるのか。
ひらがなさえ読めない…。
知りたいと思い、考え努力し悩み諦めまた努力し人を頼り、そんな道筋の中で喜びを得て辿り着いた幸せを噛みしめる。
無いとは得ること。
無いとは得ることへの始まりである。
だから、無い者を笑ってはいけないのだよ。
自分が有るのだと思ってはいけないのだよ。
有ると思った瞬間に次に得られるものが得られない。
もう腹一杯だと入り口のふたをふさいでしまう。
ふたはいつも開いておく、自分は何も知らないと何も持ってないと知っていればそのふたは開けておくことが出来る。
