こんにちは。
長谷川です。
本日、9月3日に
中国、北京郊外に軍事パレード村まで作って
予行練習を重ねに重ねた『戦勝』パレードが行われています。
とても興味深いご意見を書かれている方が
いらっしゃいましたのでご紹介します。
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士の
遠藤誉氏がおまとめになった貴重なレポートです。
【毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない】
中国はいま抗日戦勝記念行事で燃え上がっている。
しかし中国建国の父、毛沢東は、抗日戦争勝利記念行事を一度も行ったことがない。
建国以来の推移を見れば、習近平政権の異様さが際立ってくるだろう。
◆1950年代における抗日戦勝日の行動
中国(中華人民共和国)が1949年10月1日に誕生すると、
その年の12月23日に中央人民政府政務院(現在の国務院に相当)が
抗日戦争勝利記念日を8月15日にしようと決定した。
しかし実際には実行されておらず、1951年に8月13日に、
記念日を「9月3日」にすると、文書上で決めた。
毛沢東はそれにも従わず、
9月2日にソ連のスターリンに祝電を送ることだけしかやっていない。
中共中央文献研究室が編集し、中央文献出版社から
出版した『毛沢東年譜』に基づいて、9月2日前後に、
毛沢東がどのような行動を取ったか、ま
た抗日戦勝日記念行事を行ったか否かを、
以下に記す。
●1950年:抗日戦勝に関しては、いかなる行事も行っていない。
●1951年:9月2日に、毛沢東がソ連のスターリンに向けて祝電を送った。
内容は「抗日戦争勝利6周年に際し、中国人民解放軍と中国人民を代表して、
あなた(スターリン)とソ連武装部隊およびソ連人民に熱烈な祝賀と感謝を表する」。
これ以外のことは、何もしていない。国内行事はゼロ!
●1952年:9月2日に、毛沢東がソ連のスターリンに向けて祝電を送った。
内容は「抗日戦争勝利7周年に際し、私と中国人民解放軍および中国人民の、
あなたとソ連武装部隊およびソ連人民に熱烈な祝賀と衷心からの感謝を送ります」。
国内行事はゼロ!
●1953年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ(第二代閣僚会議議長)と
モロトフ(外相)宛てに祝電を送った。
スターリンがこの年の3月に他界したから、
祝電の送り主は毛沢東ではなく周恩来に格下げした。
電文の内容は51年および52年と同じだが、
そのほかに朝鮮戦争休戦協定を祝する内容と、
「朝鮮戦争における成果は、正常な関係樹立を望む日本人民の要求実現を助け、
日本が再び帝国主義侵略の道を歩まないようにすることに寄与する」
という文面を含んでいる。日本の一部の者が中国との交流を望んだことを指している。
ちなみに同日、毛沢東は習近平の父親・習仲勲らと別件で談話している。
国内行事はゼロ!
●1954年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ、モロトフ宛てに祝電。
特徴はアメリカ帝国侵略集団が日本に軍国主義を
復活させようとしていることを痛烈に非難。
日米安保条約に関して抗議し、協力団結を呼び掛けている。
台湾解放にも触れている。国内行事はゼロ!
●1955年~59年:抗日戦勝に関しては一切触れていない。
もちろん国内行事はゼロ!
このように1950年代、中ソ対立が生まれる1955年までは、
ただ単にソ連に祝電(謝意)を送っているだけである。
つまり、「抗日戦争はソ連のお蔭で勝利した」
という位置づけをしていることが分かる。
巨大なモニュメントには「1945」からと書かれているが…
◆1960年以降~毛沢東逝去(1976年9月9日)まで
●1960年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし、9月1日にメキシコ代表と対談し
「日本人民は素晴らしい人民だ。第二次世界大戦では
一部の軍国主義者に騙されて侵略戦争をしただけだ。
戦後はアメリカ帝国主義に侵略され、
日本にアメリカ軍の基地を作っている。
アメリカ侵略国家は台湾にも軍事基地を置き、
我が国を侵略しているのは許せないことだ」という趣旨のことを語っている。
●1961年~1969年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし1965年から、10年ごとに記念切手を出している。
●1970年~1976年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし、1972年9月には、日本の田中角栄元首相の訪中と
日中国交正常化に関する記述に多くのページが割かれ、
日本を讃えている。
国交正常化したからと言って、突然、そのあとに対日強硬路線を取る傾向は皆無で、
日本に対して非常に友好的だ。
以上見てきたように、現在の中国(中華人民共和国)を建国した毛沢東は、
中国とは、「中共軍が日本軍を打倒して誕生した国」
だとは思っていない。
中国国内における抗日戦勝は主として
国民党軍がもたらしたものと知っている。
自分自身が戦ってきたのだから、完全に分かっている。
もし、抗日戦勝日を祝えば、
まるで「国民党を讃える」ということになってしまう。
それを避けるためにも、
毛沢東は抗日戦勝記念日を祝おうとはしなかったのである。
そして中国とは、国民党軍を倒して誕生した国であると認識しているので、
建国記念日である国慶節(10月1日)は、
毎年盛大に祝っている。正常な感覚だ。
~中略~
毛沢東は「日本に厳しい歴史教育や反日教育」などしていないどころか、
抗日戦勝記念日さえ無視してきたのである。
問題は、それに比べた現在の中国、
特に習近平政権の
「抗日戦勝と反ファシスト戦勝70周年記念」に対する、
あまりの熱狂ぶりだ。
抗日戦争勝利の日から遠ざかれば遠ざかるほど熱狂的になり、
なりふりをかまわず歴史を歪めている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
というレポートです。
毛沢東が死去してから、この『勝利の祭典』が
作られていったかがご理解いただけたと思います。
毛沢東が「日本に感謝している」と伝えた
エピソードを合わせてご紹介します。
毛沢東は、1961(昭和36)年1月24日に、
訪中していた
日本社会党(現、社会民主党)の国会議員らに対して、
シナ事変について次のように語っていました。
毛沢東「日本の軍閥はかつて中国の半分以上を占領していました。
このために中国人民が教育されたのです。
そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、
団結もできなかったでしょう。
そしてわれわれはいまなお山の中にいて、
北京にきて京劇などをみることはできなかったでしょう。
日本の『皇軍』が大半の中国を占領していたからこそ、
中国人民にとっては他に出路がなかった。
それだから、自覚して、武装しはじめたのです。
多くの抗日根拠地を作って、
その後の解放戦争[日本敗戦後の国共内戦]
において勝利するための条件を作りだしました。
日本の独占資本や軍閥は『よいこと』をしてくれました。
もし感謝する必要があるならば、
私はむしろ日本の軍閥に感謝したいのです」。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1990年代以降、
作られていった「対日戦勝」の歴史
それを近年、「パレード化」し
さらに、虚偽の史実を「真実化」しようと
企んでいます。
この虚偽の「祝典」に参加する国は
日本と戦っておらず、むしろ日本だった韓国も
含まれています。
捏造を、常識であるかのように通そうとするとき
それに対する糾弾も強くなります。
いみじくも、
ブロガーのなでしこりんさんが訴えているように
本日、9月3日は何かがあるかもしれません。
なでしこりんさんのブログ
→9月3日に、中国でテロが発生する可能性、あると思いますか?
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