疾走 ~長い歴史につながる成功への道筋~ | 日本と中国の真実に迫る!

日本と中国の真実に迫る!

ご訪問いただきありがとうございます!

「なぜマスメディアは中国やアジアの真実を報道しないのでしょうか?」、そういった日々の疑問をブログにしています!

自由にご拡散ください!

おはようございます。


「マスコミが報道しない中国の真実」
管理人の長谷川です。



昨日、満州国のお話に続きまして

今日は関係する話をしたいと思います。

満州建国後、日本は列強諸国と肩を並べる
世界最高水準の蒸気機関車「あじあ号」

奉天から新京に走らせました。





実は、その後、
「新幹線計画」が立案されたのです。


なんと\(゜□゜)/

戦争前のことです。



〇戦前に計画された新幹線


新幹線『通称:弾丸列車(だんがんれっしゃ)』とは、
日本で1939年(昭和14年)に始まった、
通称「弾丸列車計画」で計画されていた列車のことです。


1932年、満州国建国後
日本と大陸の物資輸送量が増え
特に1937年、盧溝橋事件以降、軍事物資が増大しました。


1939年、鉄道省にて
「鉄道幹線調査会」が発足し
「新幹線」「広軌幹線」と呼ばれる大鉄道計画が立案されました。







1940年に具体化された計画では
1954年までの「15ヵ年計画」が構想されて、
将来は対馬海峡に海底トンネルを掘削し、

満州国の首都新京(現:長春)や
中華民国の北京までの直通列車を走らせる

というものでした。


東京から北京までをつなげる一大計画だったのです!



・新幹線(弾丸列車)の運行計画





・新幹線(弾丸列車)の模型



〇戦前に掘られたトンネルが

今の新幹線のトンネルに活用された!


残念ながら、1943年
戦局の悪化に伴い、工事自体は中止となりましたが
日本国内に掘り続けていたトンネル

「新丹那トンネル」「東山トンネル」
の工事は途中まで進められました。


戦後、1959年、新幹線の着工式が
行われた時、すでに掘られていたトンネルの前で
式が行われたのです。





そして戦前と同じ「新幹線」という名称で
1964年に東京、大阪間を結ぶ高速鉄道が誕生したのです。





〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●



それから・・・15年後
1978年に日本を訪れた鄧小平は
日本の新幹線の速さに驚いたといいます。


なんと( ̄□ ̄;)!!


中華人民共和国は
1949年の建国後、共産主義社会の建設を突っ走りましたが
30年たっても工業は全く進んでいなかったのです。


この新幹線を見て鄧小平は経済の開放路線を
決定したとも言われています。


それから40年たった2011年
中国では日本の新幹線と姿形が
そっくりの列車を走らせましたが…


結果はご存知の通り
大きな事故を起こしてしまいます(´□`。)





今の日本は
戦前からつながっていた歴史は封鎖され
すべて悪だったという歴史で塗り固められています。


それが真実か否か・・・
たとえ過去の歴史に対し、

レッテルを貼るように「ファシズムだった」
いうのは簡単ですが
ひとつひとつの事象を探ってみると

それが間違いだったと気づくでしょう。


歴史のなかには現在につながる『通路』があります。

歴史を断絶した国にはその『通路』がなく
光を見ることなく、衝突していきます。


封鎖された歴史の『通路』を探り当て
真実をみることが必要不可欠である
と強く思います。



お勧めのブログをご紹介します。

あずささんの

牛浜庵~あずさの花鳥風月・魑魅魍魎~
http://ameblo.jp/yokoushimai/


何気ない日常の中からマスコミの偏向報道に気付き

政治など様々な問題点を発信しています。

ぜひお読みいただければと思います。


今月もお読み頂き

ありがとうございました。

また、来月もよろしくお願いします。



こちらも合わせて

お読みいただけると嬉しいです。

憧憬 ~歴史に埋もれたあの国の真実に迫る!



当方、ブログランキングに参加させていただいております。

貴殿のご支援、よろしくお願い申し上げます。


人気ブログランキングへ

にほんブログ村