「見返してやる!」が、人生のガソリンだった。 | マーサのブログ♪

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シンガーソングライター、活動歴約8年間の実績の下、
音楽活動を始めたい方へのサポートを行っております。

また、音楽活動以外のお悩み相談も承ります。
ブログには、心のこと、音楽のことを中心に
綴っています。よろしくお願い致します。

「見返してやる!」

 
いつからそう思っていただろうか。
 
はっきり覚えているのは、20歳の時、だった。
高校の時の担任に、結婚のことを相談したときだった。
今の夫との半同棲状態が実家にばれて大もめし、家族と
物別れに終わり、八方塞がりだったことを、
メールで相談した時だった。
助けてほしかった。・・・というよりも、
アドバイスなんかいらないから、味方でいてほしかった。
見守ってほしかった。
 
・・・・・・なのに。
 
君は被害者意識が強いとか、なんとか。
具体的には覚えていないけれど、
私や、地元を離れて夫と結婚することを
否定する言葉の羅列だった。
 
ただでさえボロボロだった中、乱暴に投げつけられた言葉達に、
さらに傷ついたし、傷はさらに深くなった。
あの時のショックは、今改めて思いだしても、
身体に染みついている。
 
以来、私は、「学校の先生」というイキモノを、(自分の両親も含め)
「古い慣習に縛られた共感能力のないロボット」扱いにして
勝手に敵視していたし、
(驚いたことに、娘の通う学校の先生方は、そんな風ではなかった。
都会の学校の方が、もっと冷たいんだろうな、という
先入観もあったりしたのだけれど)
自分を否定して嘲笑った人間、
自分を、紋切り型の言葉でボロクソに
非難して傷つけた人間、
自分と正面から向き合わずに
逃げるように離れていった人間、
余計なことを言ったりしたりして
足を引っ張ってきた人間への
怒りで、常に頭の中はいっぱいだった。
 
「見返すには、自分が幸せになること」
その言葉をモットーに生きてきた。
あんな頭の固い大人になんかなりたくない、
もっと視野を広げて、見識を深めたい。
娘に対して、古い固定観念をおしつけるような
親にはなりたくない。
娘がどんな状態であっても、どんと構えて見守ってやれるような
親になりたい。
どんなことをしても、この負の連鎖は、私で止めるのだ。
 
「なにくそ!!」
 
と思って生きてきた。
これまでの自分の選択が誤りでないことを、
常に証明したかった。
 
見返すことと、自分が幸せになること、
それらの両立が可能なことを、
常に探していた。
いや、彼らを「見返すため」に幸せになりたい。
そういう思いが大きかったし、
常に頭の中にあった。
 
自分が幸せになれそうなことを見つけても、
それが目に見える結果が
すぐに出るものではなく、
「見返す」ことに
繋がらなそうであれば、容赦なく
切り捨ててきた。
 
「お前、そんなんでいいのか!?」
「そんなんじゃ見返せないじゃないか、
もっともっと華々しく活躍しなければ!」
って。
 
自分が、何事においてもすぐに目に見える
結果を求める理由が、初めて腑に落ちた。
 
何も結果には結びつかないけど、昔から
表参道の街は大好きだ。歩いていると、
なんか知らんけど、気持ちがアガる。
 
あったかくなったら、ここにも行ってみたい。
これからは、こういうことを、増やしていけたらいいのかな。