以下は、2008年に書いた 「からだの声を聴く」瞑想(Talking to the body) 私の体験談です。 


瞑想の体験は、個人によってまたはその時によっても異なりますので、ご了承ください。


これを読んで、ピンときた方は こちらへどうぞ→ http://antar.jp/info


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三日目のtalking to the body瞑想

まてぃからの個人セッションが終って、会場に直行。
まだ、セッションの余韻が残っている。

この日は、talking~瞑想の前に、ちょっとしたゲシュタルトを使ったワークを行う。

「自分」が、「自分の体」に語りかけるワーク。
「自分」の前に、「体」にみたてたバスタオルを置いて、適度な距離を置いて対面する形で座る。

最初、「自分」が、「自分の体」と見立てたバスタオルを観ながらエネルギーを感じる。そのとき感じたこと。

「へえ、体って自分と分けることができるんだ」ってこと。

今まで、自分=体と思ってたので、この思い込みが外れたところでワークするのは興味深かった。
自分の体の前にいる「自分」は、とてもリラックスしていた。
そして、感謝の気持ちとともに、
「今まで、あなた(体)の声を聴こうとしなくてごめんね」という気持ちが湧いてきた。

その後、バスタオル(体)の方にすわる。
意外なことに、体がピンと緊張し、右側に痛みを感じる。
全くリラックスしていない。
「自分」のエネルギーと完全に違うのを感じた。
そして、前にいる「自分」を観ようとした。
でも、「自分」がそこにいない気がした。

「あれ、これって・・・個人セッションの時に、悲しみのあまり体を抜けた状態と同じだ?!」

「体」は緊張して、前にいるはずの「自分」を感じることができないので、
再び、「自分」の位置へ戻る。

その「自分」が、「体」に声をかけてみる。
「私は、ここにいるよ。」と「自分」は言った。

そして、再び「体」へ移動。
そう言われた「体」は、ようやく、「あ、いる。」と感じた。
「自分」がそこに「いる」と感じたとたん、
今まで緊張していた体もリラックスしはじめた。
そっか、「体」も「自分」と一緒にいたかったんだな。。。

ワークの終わりに、「自分」がしっかりと「体」であるバスタオルを抱きしめる。
そして、こう言った。「これからは、もっとあなた(体)の声を聴くね」と。

その後、talking to the body瞑想に入る。

三日目の今日は、「守護者」に語りかけることとなる。
「守護者」は、潜在意識からの声。

横になるとすぐ、まてぃのリードの声がやさしく語りかけるように聞こえてきた。

あれ?今日は、なんでこんなゆっくりしゃべってるの???そう感じた。

後でまてぃにその話をすると、「今日も、いつもと同じスピードだったよ。
日によって、違って聞こえることがあるみたいだよ。」と言っていた。
自分の意識によって、こんなにも違って聞こえるとは、本当にびっくりだった。 

左足のくるぶし辺りに意識がいった。まだ何か残っている感じがする。
守護者と話をする日なので、そこに働きかけようと思ったが、
実際は爆睡状態に近かった。

時々、「まだかな?今日は長いな」と思いながら。実際、長かったようだ。
だから、なんにも覚えていない。。。ただ、気持ちよかった。

体も、二日目のように、「聞いて聞いて!注目して!」と言ってる様子はなく、
その場にリラックスしていた感じがした。
とにかく、体の声を聴いてあげた(!?)から、落ち着いたのかな?

talking to the body瞑想は、爆睡しても、潜在意識が働きかけているというから、
何かが起こっていたのだろう。

この日は、一日目二日目とうって変わって、
まてぃの「もどってきましょう」という声とともに、「パカッ」と目が覚めた。

参加者の一人の人のシェアが、興味深かった。

自分のアトピーについて守護者に質問したらしい。
返ってきた答えは、自分が今まで知ってるもの以外のことで、意外だったと。

まてぃが、図に描いて説明してくれた。
意識は、氷山のようで、表層意識は、その氷山の一角。
潜在意識は、海面下の隠れた部分で普段私たちが意識しないところ。
そちらのほうが、表層意識よりもずいぶん大きい
。ここに守護者がいて、talking to the body瞑想をすることにより、
守護者が、潜在意識にある答えを表層意識の方へ押し上げてくれる。
なるほど。そっか。 



その後は、最後の日だったので、一日目に参加した友人も合流し、みんなでご飯を食べに。
みんなでとても盛り上がって、たくさんしゃべった。
ラッキーにも、お店の計らいで、プロのマジシャン二人が私たちのテーブルの目の前で、
マジックを披露してくれ、盛り上がる。
そのあと、まてぃのリクエストで、「マハラジャ」へ~。
20代の頃にはやったディスコが、中洲に復活したのだ!
キンキンキラキラの照明となつかしのディスコ音楽に酔いしれ、思う存分はじけた。
みんなほんとにはじけて踊りまくっていた。

三日間の締めは、瞑想の「静」からディスコでの「動」へ。
正反対の極を、一日の中で思いっきり満喫した。

人生は、お祭りセレブレーションだ!

今回は、3日間のtalking to the body 体験瞑想だったけど、
普通は、7日間のワークという。

3日間だけでも、深いものが出てきてすごかったが、
これを一週間つづけたらどうなるのだろう。。。 とても興味深い。

以下は、2008年に書いた 「からだの声を聴く」瞑想(Talking to the body) 私の体験談です。 


瞑想の体験は、個人によってまたはその時によっても異なりますので、ご了承ください。


これを読んで、ピンときた方は こちらへどうぞ→ http://antar.jp/info


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2日目の トーキングトゥーザボディ瞑想

一日中、今日は大雨霧
まるで、浄化をさそうかのように。。。

今日のtalking to the body瞑想は、昨日とまったく違う人たちの
グループだったので、昨日とは別のエネルギーが流れていた。

今日の私。
最初に、まてぃが、「今日、話しかけてみたいところに意識をもっていってください」

という誘導にあわせて、今日はどこに意識を持っいこうかと身体をスキャンしてみた。

まず意識が行ったのは、パソコンのせいではっていた首と少し重く感じる頭だった。
頭と首に焦点を当てていくと、今度は右側の背中あたりが痛み出した。

昨日感じた箇所と同じだった。


「あれれ?また同じ」と思った瞬間、今度は左側の腰が痛み出す。


そしてさらに、昨日と同じ、胃までシクシク痛くなってきた。

体中いたるところに痛みが来て、全ての箇所が、「私に注意を向けて!」

と言っているようで、その声がまるで合唱のように頭に鳴り響くかのように感じ、

だんだんむかついてきた。


おまけに、左側の腰のあたりには、小さな少女のイメージが。

「ん?インナーチャイルドかな???」


分からないが、その少女が「え~んえ~ん」と泣いていた。
あ~まるで、かえるの大合唱のようだ。

「うるさーーーい!だまってーーー!」という感情が湧き出るとともに、

眉間にしわがよってきた。


そのとき、携帯のマナーモードがなる。

「来たい!」と言ってた◎◎さんかな??? 

しばらくすると、ロックしてあったドアに人の気配。。。

 「どうしよう?でも途中から入れないしな。

でもせっかく仕事を途中で切り上げてきたのに、かわいそうだな。」

なんて考えながら、まてぃの声も入らなくなり、気もそぞろになりだした。

「あ~もういやだ。身体の声聴きたくない!身体の声よ、シャラップ!!!」

と思っていた矢先のタイミングよさ!?


物事は、すべてタイミングよく起こる。。。のね。

気もそぞろで、うるさーーーいと思っていた私には、

ちょうど瞑想を抜け出すグッドタイミングが来たようにも感じた。

でも、途中で立っていいんだろうか???

他の人たちも横になっているし。。。どうしよう。。。

ちょっとだけ、上半身を起こしてみよう。

起こしてみた。

まてぃは、誘導を続けている。

私は、目で合図をして、まてぃの様子を伺いながら、立って、戸口へ。


ドアを開けてみた。もうすでにだれもいない。
メールを見たら、案の定、◎◎さんからだった。
とりあえず、メールの返信をして、再び部屋へ。

そのとき、他の人たちを見ると、深いところへ行っている様子が伺えた。

◎◎さんのことが気になりながらも、私も、再び横になり、まてぃの声に耳をかたむける。
身体に意識を戻すと、まだやはりかえるの大合唱はつづいていた。

やがて最後の方に、まてぃの誘導の声が「身体に金色の光を送りましょう。

身体に感謝を送りましょう」というのを聞いて、そうやってみた。


すると、今までの痛みや「早く、瞑想おわれ!!!」と思っていた気持ち、

そして大合唱がデクレッシェンドされながら、小さくなっていった。


それにしても、具合悪かった。こんなに身体の声の悲鳴にも近い声を、

一度にいろんな場所から聞こえてきたのは初めてだった。


実際に聞こえたわけじゃないけど、ほんとにそれに近いものを感じたのだった。

それはまるで、堰を切ったダムのように、


「こっちに注目して!」「いいや、私に注目して!」「こっちこっち!」


といっせいに流れ出してくるようだった。

起きても、まだ不機嫌な自分がいた。お腹がしくしく痛むし。

とにかく、いっぺんにだったから、一つ一つに耳をかたむける余裕がなかったのが本音。

あまりの大合唱に耳をふさいでいた・・というのが正しい表現かもしれない。

瞑想が終わり、みんなでそれぞれのシェアをした。

それぞれ、体験が違っていて興味深かった。

まてぃが言ってたのは、まていの場合は、

4日目から好転反応的にネガティブな感情や抵抗が出てきたらしい。


私の場合は、二日目に出てきた。
それにしても、思った以上に強烈な体験だった。


まだ尾を引いている。シェアをしながら、いろんなきづきがあった。


ここでは、あんまり詳細を今は言えないけど、と

にかく、身体の反応は、起こるべくして起こっているんだということは理解できた。

潜在意識の扉が開いて、隠されていたものが表面化してきた、そういうことのようだ。

明日、まてぃがスターサファイアの個人セッションをしてくれることになった。

そのとき、今日の身体の反応について、もっと光を当てられ明らかになることだろう。。。

talking to the body瞑想は、自分の深いところ、潜在意識に想像以上に入ってきた。。。はぁ。。。

まだお腹がヘンだ。。。おやすみなさい。

今週の土曜から行われる、「しなやかなこころとからだとすぴりっと」ですが、

こころとからだの声に耳を傾けるワークショップです。


同じような内容で、2008年に3日間にわたり、

サイキックマッサージのトレーナーでもあるまてぃが

来福して、「からだの声を聴く」(Talking to the body)

ワークショップをリードしてくれました。 


そのときの感想を見つけたので、参考のためここにシェアいたしますね。


ただ、個人によって 

ワークショップのなかで起こることは違うので、ご了承ください。



これを読んで、ピンときた方は こちらへどうぞ→ http://antar.jp/info

<2008年6月>

トーキングトゥーザボディー瞑想の一日目です。


最初、二人組みになって、

自分の身体の今の状態やどう感じているのかを言う。

1人は、鏡となって聞く。

私が話したこと。


時々、自分の右側の身体と左側の身体のエネルギーバランスが

全く違うように感じていた。


右は、左より重く感じて、地面へ引っ張られているよう。

左は、反対にとても軽く、

まるで自分の身体が透明になっているような感覚があった。


そんなとき、どちらかというと、右の身体のほうが重いので、

うっとおしく、「右側も左側になればいいのに・・・

そしたら、私はとても楽になれるのに・・・」という思いが湧いてきて、

右への感謝の気持ちなんて、全く忘れているようだった。

今日は、そんなことを話していると、右の背中あたりがうずきだし、

それは胸の方まで達した。


まるで、「こっちに注目して”!」とでも言っているようだった。


そしてまた、お腹がすいていたことを話す。

すると、お腹のことで思い出した。


夜、夫が遅く帰るため、一緒に12時頃に軽く食べることが

多くなっているこの頃。

朝起きると、お腹がでていて、お腹すいてない。

こんな生活状態は、健康によくないことは分かっているのに、

つい一緒に食べてしまう。 そんなことを話していると、お腹がいたくなってきた。


お腹までもが、「そうそう!そうなのよ。

だから、ホントは痛いんだよ」と訴えているようだった。


そして・・・二人組みでの話の後は、

まてぃの誘導によって、瞑想に入る。身体に話しかけていく。。。


私が意外に感じたのは、ふだん、talking to the body瞑想を

CDを使って行うときは、右の方が「注目して~!」と

訴えることが多かったので、話しかけをしていた。


でも、今日は、左側が右側のように重くなって、

「私のほうに意識を向けて!」と言っているようだった。

「今日は、左へ意識をもっていって、話しかけてみよう」と決めて、

誘導にまかせながら瞑想へ。

まてぃの声は聞こえるけど、自分は、

ただ深い海の底に横たわっている感じ。


潜在意識へダイブしたようだ。

だんだんと、左への対話も意識レベルから

潜在意識レベルと移行していったのか、

今は何もまったく!覚えていない。

また、グループで行うと、一人でCDを使って行うときと比べて、

エネルギーの違いをとても感じた。

やはり、グループで行うのはいい!!!とつくづく実感。。。

「では、もどってきてください」という声とともに、

次第に海面へ浮かんでくるようにゆっくりと戻ってきた。


人によっては、「パッチーン」と戻ってきた人もいたが。。。

私も、CDでは、「ぱちっ」と目がさめるときと、

ゆっくり戻ってくるときと日によって違う。

今日は、ゆっくりゆっくり。。。


はじめて、左側が重く感じた日だった。一体なんなのだろう。

きっと、あとで分かるのだろう。今ではない。

家に帰って、寝転んだ。

あ、いつもと違う!!! 


自分の中のエネルギーも外のエネルギー(オーラかな)が、

いつもと違う質感を帯びている。。。


これは一体なんなのだろう。


しいて言えば、ときどきふっとしたときにおとづれる、

やわらかいエネルギーが自分の中と外を

「動いている、うごめいている」、そんな感じかな。


それが、いつもだったら、長く続かないのだけど、ずっと続いている。

お風呂に入ったとき、お湯がやわらかく感じた。

マインドがストップしている。

目をとじたら、とても分かる。
ずっと目をつぶっていたい。そんな感じ。

とにかく、何かが私の内側で起こっている。

これからまた、いろんな気づきが起こると思う。

2日目、3日目と続いていくのだが、
なにが起こっていくのか楽しみだ。

<つづく・・・>


昨日の一枚  We are the World!


ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~


ふと空を見上げると、まんまるのお月様が 雲の隙間から顔を出していた。

昨日の夜は、無性に瞑想したくなり ひたすら ただ静かに座っていた。

外で人と会う楽しさ

内で一人在る豊かさ

どちらも 私にとっては 大切なひととき。。。 


いづれにしても 私たちは つながっているのだから・・・。 

今日は、雪そして曇り。
それもまた たのしからずや。

15km地点で振り返ってみて 驚いた。。。
スタートのカードから「流れ」があることを・・・。

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ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~
今日のカード <円熟> 


草と花の違いは、
自分がブッダであることを知らないあなたと、
自分がブッダであることを知った瞬間との違いと同じだ。

実際、それよりほかに違いはない。

ブッダは完全に花開いている、すっかり開いている。
彼の蓮(ロータス) 、彼の花びらは、完成の域に達している……。

確かに、自分自身が春で満たされていることは、
蓮の葉に降りる秋の露よりもはるかに美しい。

それは見守るにはもっとも美しいもののひとつだ。

秋の露が蓮の葉に降り、朝日に照らされて本物の真珠のように輝く??。

だが、もちろん、それは一時的な体験だ。陽が昇るにつれて、
秋の露は蒸発しはじめる……。

このつかの間の美は、確かに、
あなたの実存のなかの永遠の春とは比べものにならない。

できる限り遠くまで後ろを振り返っても、
それはつねにそこにありつづけていた。

できる限り前に目を向けても、あなたは驚くだろう?
?それはあなたの実存そのものだ。

あなたがどこにいようとも、それはそこにあり、
花々がたえずあなたに降り注ぐ。

これはスピリチュアルな春なのだ。

Osho No Mind: The Flowers of Eternity Chapter 5


解説:

この人物は他に類がなく、静かで、それでいて油断がありません。
その内なる実存は花で満たされています??

どこに行こうとも、それらの花が春の質を運び、
そこに生命の息吹をよみがえらせます。

彼が感じているこの内なる開花と全体性には、
どんな制限もなく動いてゆくだけのゆとりがあります。

彼はどの方向にも動いていけます??
喜びと円熟が外側のものですり減ってしまうことなどありえませんから、
その動きが内へ向かうものであろうと外へ向かうものであろうと、
まったく関係ありません。

彼は中心に定まり、さらに広がってゆく時期を迎えているのです―
まわりの白い輝きは彼の守りであり、彼の光です。

生での体験すべてが、完成というこの時に彼を導いてきたのです。

このカードを引いたときは、
この瞬間が贈りもの??つらい仕事をよくこなしたことへの
贈りものをたずさえていることをよく知っておきましょう。

いまや、あなたの基礎はしっかりと固まり、成功と幸運はあなたのものです。
なぜなら、それらはすでに内側で体験してきたものの結果だからです。

一昨日から昨日にかけてのカードは、「源 The Source」
ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~

なぜだか、二日間、この「源」カードとともに過ごした。

2日間かけて禅タロットマラソンを1km進んだことになるうまい!
早いときもあれば、歩みが遅くなるときもある。
それがマラソンさ、ケセラセラ~♪ てな調子で進んでいます。

昨日は、ヒプノセラピーの再受講(最近集中しています)へ。
その話は、また別の機会にするとして・・・

<源>のカード・・・を感じていると、 
サイキックマッサージの創始者サガプリアから
サイマを受けたときの記憶がよみがえってくる。


そして、瞑想のときに 時としておとづれる。
 
それは、まさに 自分の「源」へ還った感覚。
そしてそれは、「我が家に戻った」という そんな感覚。

最近、この感覚に似たものを感じることが多くなってきた。
きっとヒプノを受けている影響もあるのかなと 思う。

そんな感覚を楽しんでいる。

今朝、間違えて 2回タロットをクリックしてしまった。
すると・・・ 2回とも同じカードが! 

We are the World! イエスっ♪

良い一日をお過ごしください。

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ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~
今日の一枚 <We are the World >

地球のあらゆるところで
数えきれないほど多くの多くの人びとが祝い、
歌い、踊り、歓喜に満ち、神性に酔っていたら、
どんな地球規模の自殺も起こりえない。

そのような祭とそのような笑い、
そのような正気と健全さ、
そのような自然さと自発性があれば、
どうして戦争などありえるだろう?

生は創造するために、
楽しむために、
そして祝うためにあながたに与えられている。

涙を流して嘆いているとき、
惨めなとき、あなたは孤独だ。

祝っているときは、全存在があなたと共に参加する。

祝祭のなかでのみ、
私たちは究極なるもの、
永遠なるものと出会う。

祝祭のなかでのみ、
私たちは誕生と死の輪廻(りんね) を超える。

Osho I Celebrate Myself Chapter 4

解説:

ここでは、人間が虹の生きものとして描かれ、
生という贈りものへの喜びと感謝のもとに手を結び合い、
地球というマンダラのまわりを踊っています。

このカードはコミュニケーションの時を、
私たちそれぞれが全体にもたらす豊かさを分かち合う時を表わしています。

ここには執着はありません、独り占めはありません。

それは劣等感や優越感を味わう恐れのないサークルです。
人間性の共通した源、私たちの夢と望み、
希望と恐れの共通した原点がわかると、
私たちはみな存在の大いなる奇跡で
ひとつに結ばれているのを見ることができます。

私たちみんなの手に入る、
愛と智慧の宝を創りだすために、
私たちの途方もない内なる富をひとつに組み合わせることができたら、
私たちは永遠につづく創造の絶妙なパターンへと結び合わされます。