昨日、久しぶりにサイキックマッサージとスターサファイアセッション

日本で数少ないトレーナーであり、友人でもあるまてぃ と話をしました。


彼女のワークは、この二つのセッションの創始者であるサガプリヤ

20数年以上も学んでいることもあって、まるでサガプリヤのワークに参加

しているのかな?というような錯覚をもつほど、そのエッセンスがあふれています。


まてぃは時々言います。

「私は何もしてないけど、そのときに起こることに身を任せていたら

勝手にみんなが変容していくのよね。」


そうなんです。まてぃのワークは、みんなが勝手に大きな気づきを得て、

勝手に変容していくんです。

それは、ヨーコさんのワークもそうなんですが、

セラピストが「不在」のときこそ、あらゆる必要なことが自然発生的に起こって

参加者そのものの「在り方」に大きな影響を与える。

それには、存在に対する大きな信頼が必要ですよね。


私は、まだいろんなことを心配したりするからまだまだだなあと

自分の身に当てはめているんですが、

でも、身近にいるセラピストたちから、そんな美しい「在り方」を

直接体験できている私は、なんて幸せなのかしら~って思ったりします。 


そんな素敵なまてぃのワークは、関東で根強いファンが多いのですが、

じつは福岡でも5年ほど前に何度かしたことがあるんですよ。

その彼女のワークを「福岡で再開しよう!」という話がでてきました。 


内なる自己成長のアプローチの仕方は様々な入り口がありますが、

このワークでは、内なる男性性と女性性にフォーカスして、

人の成長を促していきます。 

私もこのワークに、サガプリヤに出会ってから関わりだして9年たちます(早い!)

その間、本当に内側の男性性と女性性の在り方が、ゆっくりだけど確実に

変化してきています。

そして、この内なる関係性を観ることで、色々な気づきがやってくるようになりました。

また、関係性や仕事、そして瞑想など、すべてがリンクしています。


内なる男性性、女性性といっても、経験したことのない方にはピンとこないことも

多いかもしれません。

これから、ブログを通して、すこしづつ紹介していこうと思っています。

ご興味のある方は、もうしばらく 読み進めてください。


今回は、まてぃのブログ より、参加者の感想をコピペしてのせます。

(まてぃの了承済み) なんらかの気づきのヒントになったらいいですね。


私も、サイキックマッサージのセッションを行っています。

4月中旬より、サイキックマッサージのセッションを 

より多くの人に体験してもらいたいという想いから、

特別価格で行うことにしました。

尚、ご希望のかたには、

ミニスターサファイアセッションも行います。

(両方とも、イタリアでサガプリヤにて、直接学んできました)

ご希望の方は、http://antar.jp/top  までどうぞ。

詳細は、上のHPの新着情報をチェックしてください。 


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(まてぃのブログより~その1)
2012年04月09日


瞑想会後の感想~男と女の間には・・・

ミニスターサファイヤセッションとは言いながら、毎回、深~い瞑想会となっています。
参加者が集まって共有するスペースとその後の瞑想は深く、
私も驚きます。一応の流れはありますが、
毎回、ガイド瞑想はその時のエネルギー創造されていきます。

昨日は、男性性・女性性をそれぞれの脚への重心で感じ、その後、中心へ戻り、
中空の竹の瞑想へと入りました。
ここで、かなりグランディングしたので、それから、エナジーリィーディングへと
休憩して、今度は男性性と女性性からダンスし、
最後は受け取ることと与えることのダンスシェアへ・・
最後にチャクラサウンドと続きました。

瞑想会後に感想を頂き、素晴らしかったので、シェアさせてもらうことにしました。


以下☆★★

マティさん、昨日は瞑想会に参加させて頂き有難うございました。
実はあれから、家にあって読み途中だったOSHOのインナージャーニーを読んだら
なんとそこに瞑想会の続きの内容が書かれていました。


恐らく男性性の恐れは、先の見えない状況に責任を取るのが怖くて決断できず、
一方女性性は時が過ぎてしまう事、自分の若さや美しさが失われることを恐れて待てない。
という両方とも恐れに根付いているんだと思います。

でも両方とも私で、私は相手に何を望んでいるのかと聞かれた時
太いパイプ、繋がり、何があっても壊れないつながりが欲しいと言っていたと思いますが、
その時に見えたのは、お腹のあたりから出ている太いエネルギーパイプでした。

で、丁度そのあと読んだOSHOの本に、一番深いつながりはハートではなく、臍だ。
と書いてありました。

ハートは愛で繋がるが、臍は生命エネルギーで繋がる場所らしく、
そしてここは生存の恐怖とリンクしているとか。

しかも、質問された時にしっかり繋がるけど自由も欲しいと言っていたと思いますが
ここは、友情で繋がるもっとも深い部分で相手に自由を与えるものでもあるとも書かれていました。

OSHOの本には愛はなくなる?流動的?だが、友情はなくならないらしく。
つまり私は愛は流動的で不安定なのがどこかでわかっていたから、パートナーとは臍で
もっと安定的に繋がりたいんだなぁ。。。と思いました。

でも、その本ですごく興味深かったのは、恐怖はなくならない。
ただ恐怖に向き合うと勇気と挑戦が生まれると書いてあり、
今後は恐怖心と挑戦心をセットに更なる冒険に出かけようと思いました。

本当に男性性と女性性の統合は興味深いですね。
インナージャーニーにはお臍を育てる瞑想についてもアドバイスがあったので
今後はこれをやってみようと思います。

またマティさんにアドバイス頂いた、自分の中のジューシーさに繋がる事も
女性性の恐怖を和らげる効果がありそうですね。

セッションや瞑想会など参加させて頂きたいと思います。
色々有難うございました! (女性・OL)

だいたい10名くらいが、バランスのとれたいい感じの瞑想会となっています。
次回も企画していますので、楽しみにしてい下さいね!


ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~


ここでは、私がそのときに共感して読んだ言葉たちを 集めていきます。 


今回は、インドの神秘家OSHOの言葉。 OSHOはたくさんの講話を残した人です。

私がインドを訪れたきっかけとなったのはこの「神聖なる不満」でした。


そのときの私は、何かに枯渇して求めていました。

マイホームを手にいれ、「これで私の生活がうるおって、満たされた人生になるわ!」

と思っていたのに、実際新居に移ってみると、

逆に「心にぽっかりと穴」があいてしまったのです。


そのとき、ふとベッドに横になっているときに、

「インドに行く」という言葉が浮かんで自分でびっくり。

いやこれは何かの間違いだ

とか、そんなことで解決することじゃないとか、それは夢だとか、

1ヶ月間いろんなことが頭をめぐり、そしてやはりインドに行くことを決意しました。 

決定的だったのは、いつも行っている神社のおみくじ。初めての大吉。

「行くところ利益あり」なんて書かれてあったのが、私を後押ししてくれました。

(ははは、単純な私です汗


インドに行ったとき、OSHOはすでに他界していて直接、

肉体的には会うことはありませんでしたが、

でも、光明を得た人とは、死は死ではなく、その芳香をあらゆるところに

残しているのですね。肉体は関係ない。。。

この初インド旅行は、その光明の芳香に触れることのできた、

私の人生にとって一大事の、まさに何世にも渡って探し求めていた

(と感じたほどの)貴重な体験でした。


ひとひらのはなびらが、なんと輝いてみえたことでしょう。。。

この世界は、すべてのものが光輝いて存在している・・・そんな体験でもありました。


そしてそれが、自分の中にも「ある」ことに気づいた最初の体験でした。


ときに、OSHOの講話から 助けられたり ヒントを得たりすることがあります。


今回は、この「変容の旅を始めるには、神聖なる不満が必要」という言葉

を今一度かみ締めたくなったので、ここで紹介していきます。


では、OSHOの言葉を 引用していきます。 

(Mixiのサガプリヤのコミュからの抜粋です。感謝!)


***************

OSHOへの質問:
 私は「マーケット・プレイスでの瞑想」というグループをリードしています。

そのグループは「マインドが、どのようにその人の現実を創り出しているのか」を

教える事を含んでいます。

エクササイズのひとつは、欲望をかなえる方法を人々に見せることです。

欲望をかなえる方法を人々に見せることは、

彼らを瞑想の状態へと連れて行きますか?

あるいは、彼らをますます瞑想から遠ざけてしまいますか?

OSHO:
 マーケット・プレイス(世間)での瞑想とは、私のメッセージそのものだ。

だが、あなたは、そのメッセージを誤解している。

まず、瞑想とはマインドの中にあるものではない。

世界はマインドの中にある。瞑想は、マインドを超えたところにある。

マインドは世界を創造するが、瞑想を生み出すことは出来ない。

マインドがもたらすのは、不満、充足、快楽、苦痛、不安、苦悩、

もしくは動物のような満足、水牛のような満足だ。

だが、水牛は、瞑想の中にはいない。
 
 あなたの世界とは、あなたのマインドの投影だというのは正しい。

だがあなたは、人々が、彼ら自身の欲望に満足するようになることを助けている。

あなたは重大な質問をした。

あなた自身のしていることが、人々を瞑想に導くか、それとも遠ざけるかという質問だ。

それは人々を瞑想から遠ざける。あなたは彼らの友ではない。

あなたは、人々が、彼ら自身の欲望に満足出来るようになるよう、

彼らにいわば、毒を与えているのだ。

 瞑想への大切な一歩となるのは、神聖なる不満であり、満足ではない。

自分の金、自分の力、自分の評判に満足している人間が、どうして瞑想するだろう?

あなたは人々に阿片を、麻薬を与えている。
 
大昔から、全ての宗教が同じことをして来た。人々に阿片を与えること。

人々を満足させること。人々に慰めを与えること。

この世間に満足することには、宗教的な価値があると教えること。

全ての宗教は、人々に慰めを与えて来た。

だが、慰めは宗教ではない。宗教は革命だ。

そして革命が、満足から生まれることはない。

それは途方もない不満から生まれる・・・

 瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。

だが瞑想とは、満足という意味ではない。いつかは満足がやって来る。

だが、それは瞑想の出発点ではなく、瞑想の究極の開花においてもたらされる。

瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちて来る。

よりバランスが取れ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。

それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。

だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。

 私は、人々に満足を教えない。

だが、これまでも人々は騙され、ペテンにかけられて来た。

あなたが世間に入って、自分の欲望に満足する方法や、

自分の状態に満足する方法を人々に教えるなら、

あなたは人々から愛され、尊敬されるだろう。

だが、それによってあなたは、人々の精神に鋭さを与える訳でもなく、

人々に英知をもたらす訳でもない。

あなたは人々を鈍感にし、凡庸にする。馬鹿はいつでも満足している。

 あなたは、人々が自分自身の存在を変容させるのを助けてはいない。

その場合には、不満が必要だからだ。

人は、自分を変容させる為には、どんな代償、どんな危険もいとわなくなるほど、

世間に対して絶望しなければならない。

瞑想とは、危険なものだ。

危険というのは、あなたのエゴが犠牲になるからだ。

あなたが残るか、それとも瞑想が起こるかのどちらかだ。

 普通、あなた方は「自分が瞑想する」と考える。

あなた方には、瞑想という現象が分かっていない。

あなたが瞑想することは出来ない。

あなたは障壁であり、邪魔者であるに過ぎない。

瞑想に起こって欲しかったら、あなたは消えなければならない。

自分が重要だという考えは、捨てなければならない。

 無のごとき人間にならなければならない。

あなたが無のごとくなった時、沈黙があなたを訪れ、

それに続いて満足がやって来る。それは、世間に対する満足ではない。

存在に対する満足、星や、薔薇や、海や、岩や、山々に対する満足だ。

それは、一国の大統領や首相になることによる満足ではない。

世界一の金持ちになることによる満足でもない。

それは、あなた方の野心の世界とは、全く関係がない。

それは、野心のない状態だ。完全に空っぽであり、あなた自身もいない。

 そのような空っぽさの中に、満足がある。

花が咲くのは、そんな時だけだ。

だが、そのような満足は神に属するものであり、あなたが求めて達成したものではない。

あなたは、それが起こるのを許しただけだ。あなたは、その邪魔をしなかった。

あなたは、中空の竹のように、竹笛のようになった。

そして歌が自分を通り抜けていくのを許したのだ。

それは、あなたの歌ではない。その歌に、あなたの署名はない。

それは、存在そのものの歌だ。

 マーケット・プレイスに行きなさい。マーケット・プレイスに瞑想をもたらしなさい。

だが、私の言うことを、正確に理解しなさい。

瞑想とは、人々を現状に満足させることではない。

人々を現状に満足させるとは、彼らに麻薬を与えること、

「あなた方はみんな正しい。人生とはこんなものなのだから。

みなさんは、すでに身に余るほどのものを受け取っているではありませんか」

といった言葉で、彼らを慰めることだ。人々は、そんな言葉に喜んで耳を傾ける。

 私は言いたい。

変容の旅を始めるには、まず第一に、神聖なる不満が必要だと・


変容の旅を始めるには、まず自分の生きている世界や、

自分の演じている人格に、完全にうんざりしなければならない。

巡礼は、途方もない不満から始めなければならない。

そのような不満がないなら、人は容易に怠慢になる・・

個人が、より大きな不満を抱くようにさせなさい。

「この不満、この苦悩を超えていく道が、どこかに見つからないだろうか?」

という疑問が、彼の中に生まれるまで。

 瞑想は不満から、苦悩から、抜け出す為の道だ。

あなたは、ただ観る者、ただマインドを観る者にならなければならない。

あなたは、マインドが世界を創造すると言った。それは真実だ。

だが、瞑想はマインドではなく、マインドは瞑想をもたらさない。

瞑想とは、マインドの外に出ることであり、マインドを観る者、

つまり、欲望、創造、想念、夢想など、マインドの中で進行する、

全てのことがらを観る者になることだ。

 あなたは、ただ観るだけの者となる。

だんだんと、この観る者は、力を増し、中心が定まり、深く根を降ろすようになる。

そして突然、あなたはひとつのことを理解する・・

自分はこの観る者であり、マインドではないと。

そして、もろもろの物象が自分の外にあるように、このマインドもまた、

自分の外にあるのだと。

世間は、あなたの外にある。マインドも、あなたの外にある。

肉体も、あなたの外にある。

あなたは、もっとも深いところにあるものであり、全てはあなたの外にある。

 マーケット・プレイスに行きなさい。

自分のマインドを観る者になる方法を、人々に教えなさい。

だが、自分の欲望に満足する方法を人々に教えてはいけない。

本当の満足が到来するまで、人々により大きな不満を抱かせなくてはならない。

あなたが彼らを満足させるなら、彼らに、本当の満足は決して到来しない。

偽物で満足してしまったら、そのこと自体が障壁となる。

 マインドは超越されなければならない。

マインドは、私達が演じるべきゲームでもなければ、私達の生きるべき世界でもない。

私達の生きるべき世界は、マインドを超えたところにある。

マーケット・プレイスでの瞑想とは、美しいアイデアだが、

瞑想とは何かを、ただ知的にではなく、自己の存在をもって正確に理解しなさい。

人々と分かち合える何かを、直に体験しなさい。

そのような体験がなければ、あなたは、自分の知らないことをくり返すオウムに過ぎない。

 私は、自分の知らないことをくり返すことを、私のサニヤシン達に禁止する。

自分の知らないことについては、「私は無知です。知りません」と言った方がいい。

その無知は、あなた自身のものであり、少なくとも、それは真実を口にしたことになる。

あなたの自尊心は、他人から借用した知識をくり返すことを自分に許してはならない。

それはあなたのものではなく、それを分かち合うことは出来ない。

そもそも、あなたはそれを持っていないのだから。
 
 あなたが知っている全てのことは、あなたのマインドの領域のものだ。

だが、瞑想はハートの体験だ。

だから、まずあなたのハートを歌わせ、踊らせなさい。

瞑想の中で喜び、それからマーケット・プレイスに行きなさい。

Osho, The Rajneesh Upanishad, #33 より抜粋

今宵は満月。 まぶしいくらいの光を放ってました。


ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~

お月様は、地球のどこからでも見えるね。

太陽もだけど。


このお月様を、今いったい何人の人が見ているのだろう。


その人たちの人生って 今どんななんだろう。


月をみてたら、イマジネーションが広がるよ。  

ここは、桃源郷かしら~?  


周囲4キロの池?の周りを取り囲むように

満開の桜が咲いている場所。

糟屋郡の駕与丁公園。

ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~


この美しさが写真に うまく表現できないことが残念。



ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~

ヒーリングスペース アンタール      つれづれなるままに~


プリプリに咲く、さくらたち。


自分たちの美しさを惜しげもなく見せている桜たち、


美しさを分けてくれてありがとう♪


人の中にも こんな美しさある ・・・・ んだよね。


内なる美しさに どんどん気づいてあげて


恥ずかしがらずに 表現していけるようになりますように・・・


桜を見て そんなこと 思いました。



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4月15日(日)①15時~②17時~

YOGA または Body/Mind Balancing

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