本日も自愛について。
そして「自分を褒める」について。
ぜっきー的考察をお伝えします。
ご自愛・自分を愛するっていうから
仰々しいというか
重苦しくなっちゃうんですが(私だけ?)
ご自愛って
結局のところ
「自分を認める」ってこと。(私はこの言葉が好き)
なにはなくとも自分を認める。
なにもできなくても自分を認める。
人にメーワクかけまくってても自分を認める。
怒っても自分を認める。
笑っても自分を認める。
バカやっても自分を認める。
マウント取っちゃっても自分を認める。
失敗しても自分を認める。
損得考えちゃっても自分を認める。
なんなら、自分のこと嫌いな自分も認める。
↑
「自分を好きになれ」ってことじゃないからね、もともとね。
今の自分を認めさえすれば
全てに「許可」が出るんです。
当然
現実からものっすごい
かけ離れたことを願う自分も
それを受け取る自分も
あっさり簡単に許可が出る。
これらを全て総称して「自分を愛する」って呼んでます。
「自分を愛する」って
自分を好きになることじゃない。
嫌いなままでもいい。
そのままで愛せばいい。
達人たちが言ってることって
このことです。
上記のブログでも書きましたが
自愛という言葉、私はほんとーーーーーーうに苦手でした。
むしろ嫌いでした。
なんかこう…ナルシスト?
自分に酔ってる?みたいな印象があったの(笑)。
ご自愛?ケッ!!って思ってた。
斜めに見てましたよ。
身体触っていい子いい子するとか…ごめん、気持ち悪い。自分を抱きしめるとか…うーん、で?ってなってた。
それ本当にご自愛なの?ってね。
でも結果的にやっぱり
全ての土台は「自愛」にある。
あるんですよ。
ただし。
私の自愛とは
自愛=自分を認める。
自愛=許可力。
ということです。物理的に自分を褒めるとか抱きしめるとかもいいんだけど…うん。そこじゃないのよね、ぜっきー的にはね。
そもそもね。
よく考えてみて?
「なぜ叶わないんでしょう」
「これだけはうまくいかないんです」
「どっちが正しいんですか」
「◯◯しないと××できないですよね」
「△△されたってことは愛されてないってことですよね」
「どうしても□□しちゃうんです」
「普通ダメですよね」
「恥ずかしながら●●なんです」
「こんな現実も私が望んだんでしょうか」
こういうこと、日常で言ってませんこと?
これ系の言葉が出てきてる時点で
全て「自分が悪い」
「自分がダメだから」って
視点からのスタートになってるの
ですよ!!
「なぜ叶わないんでしょう」→叶わないってことは私の何かが間違ってる→私のなにがダメなんだろう?→悪いのは私=世界に現れる
「これだけはうまくいかないんです」→なんで?私が何かやっちゃってるからだ→私に足りないものがあるからだ→悪いのは私=世界に現れる
「どっちが正しいんですか」→正反対のこと言ってるように聞こえる…え、私にとって必要なことを教えてくれる人はどっち?→すでに玉座を明け渡してる→私は自分じゃ決められない→私が悪い=世界に現れる
「◯◯しないと××できないですよね」→◯◯できないってことは…私が悪い=世界に現れる
「△△されたってことは愛されてないってことですよね」→私のことが好きなら△△なんてしないはず!!→私は愛されてない→私の何がダメなの?どこを直せばいいの?→私が悪い=世界に現れる
「どうしても□□しちゃうんです」→□□しちゃう私はダメ→私が悪い=世界に現れる
「普通ダメですよね」→そのまんま世界に現れる
「恥ずかしながら●●なんです」→こんなこともできない自分はダメ、こんなことやっちゃう自分はダメ→私が悪い=世界に現れる
「こんな現実も私が望んだんでしょうか」→望んでないことが現実に現れた→私のやり方がおかしい→私が悪い=世界に現れる
↑
そこ!!
そこ気づいて!!
もうね、自責通り越して自虐です。
ネタじゃない自虐。
ホンマモンの自虐ですよ。
なんでみんなそんなに
自分いじめるの好きなんやろ(笑)。
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「思考は現実化する」研究会でも
ブログに書くから、話すから、って
「質問ちょーだーい!!」って
私がみんなに「お願い」してるんですよ。
お願い、私に質問を浴びせかけて❤️
って言ってるんです(言っとらんだろ・笑)
なのに
「こんな質問ですみません」
「おいそがしいところごめんなさい」
「こんなこと聞くのはどうかと思ったんですけど」
「的外れかもしれませんが」
ってすっごい言われる。
めちゃくちゃ言われる。
びっくりするほど言われる。
8割くらいの人が言ってる。
いや質問欲しがってるのは私なんだってばよ(笑)
謝ることってさ
もしかして
謙遜の意味で使ってるのかもしれないけど
それ、全部今すぐやめ!!!!
研究会メンバーは特にやめ!!!
いらんから!!
素直に質問してくれい!!
目の前に
聞ける人がいて
「なんでも聞いてー」って言ってるのに
聞かないとか
究極の自虐だヨ?
はい、いいですか(パンパン!←拍手の音)
今日から研究会メンバーは
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話は元に戻ります。
そしてね、自分を褒めるってやつも…よくがんばっとるねー!くらいは言うけど、なんか、えらいえらい、よくできたねーとかサ…
無理。
ちょっとした小さいことでも褒めましょう、みたいなメソッドもあるじゃないですか。褒めグセをつけよう、とか。
そういうことをノートに書きましょうとかね。
すいません。
なめとんのかー!!
ってなるんです、私は。
あ、褒めワークやって、心地よい人はやってね。
私は「心地よくないから、やらない」ってだけの話です。
で、ある時ふと気づいたんです。
そもそもね、そもそもよ。(今回そもそも論多めです)
「私は完璧な存在である」わけですよ。
「私は完璧である」ならば
わざわざ褒めるとか
いらなくね?
原点に帰ってよくよく考えてみてください。
「私は創造主」なんだから、本来が愛そのものなんですよ。
私は作家(創造主)→全知全能の存在、だから自愛とか自分褒めはいらない、同時に自責も罪悪感もいらない、ていうかそもそもその概念がない。
私は主人公(登場人物)→わざわざ不自由さを持って生まれてきている(忘れてるけど)。だから自愛や自分を褒めることをしたり、自責をやめたり罪悪感をちょっとずつ手放したりしながらいろん体験をして感情を感じている。
ということになるんです。
究極「自愛」だけやってたら他いらない。
いらんのよ、本当。
前提が世界の見え方を決めている、って話をしました。
前提はなくなりませんが
自由に書き換えることはできます。
つまり自愛ってね
自分にとってどこまで最高に都合のいい前提を採用できるか、ってことなんです。
今までの常識をひっくり返すような解釈が「あってもいい」と許可をすることなんですよ。
自愛の極意とは
「叶えるためには
◯◯しなければならない」
この公式を捨て去ることです。
何しても
何しゃべっても
何考えても
何やっても
「叶っていい」んですよ。
「叶ってない」と認識してる時は「私にはできない」を採用している時。
「叶ってない」と認識するのは「現実を見た時」。
だから現実を見に行くな、確認するなと誰もが口を揃えて言うんです。
現実を見に行かなくていい方法。
↓
「叶う=具現化・現実化ではない」
「想像・妄想できる=叶う、すでに叶っている」
こういう方式です。
何度も繰り返し読み込んで
自分の中に落とし込んでください。
今日もありがとうございました。
ぜっきー
超・リアルに原点回帰してます♫
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